行き倒れと娼館

「ここは……娼館に見えるが?」


 ルークと別れた海岸から獣道を通り、開かれた道に出てさらに歩くと歓楽街がある。大通りを抜け、たどり着いた建物を見たランスの咎める口調にアレックスは真面目に答えた。


「見えるも何も娼館だ」


「どこかに普通の宿屋はないのか?」


 娼館にレジーナを置いておきたくないと言外に含ませるランスにアレックスは肩をすくめた。

「本島までいけばともかく、この島で余所者が泊まれるのは連れ込み宿か娼館だけだ。教育には悪いが、そもそもここは悪徳の島だからな。ガキ向けの場所なんかねぇよ。高級娼館だから防犯がしっかりしてて、ヤバい客が少ない分多少はマシだ」


 ランスは鼻の上に皺を寄せた。先程抜けてきた街の様子を思い出したのだろう。早朝のこの街は皆深い眠りに落ちている。

 折り重なり、汚物や酒にまみれて道と同化するように、あるいは家畜と共に寝る住人達を避けながらきたのだ、初めて来る人間から見てもこの街のありようは推して知るべしだ。


「だいたい金もないんだろ? ここは俺の持ち物だから金の心配なしだ。風呂もあるし、ベッドの寝心地も最高だ。王宮のベッドに負けてない」


「王宮のベッドで寝たことがあるような口振りだな」


「こういうのは堂々と言ったもん勝ちなんだ。誰も寝たことがないから嘘でもばれない」


 軽口を叩きながら、門番に鉄格子が嵌った飾り扉を開けてもらって娼館の中に入る。

鉄格子は荊をモチーフにした優美な飾りに見えるが実際のところは簡単に扉を破られないように工夫された防犯用だ。

 中に入ると出た時と同じく一階のサロンは静まりかえっていた。カウンターで1人、眠そうに肘をつき細巻煙草を燻らしていた美しい中年女がアレックスに気怠く話しかけてきた。


「あら、ウィステリア。ここじゃそうそう見ない男前引き連れてどうしたの。あんたの客?」


 客、と言う言葉に含まれた色とウィステリアという花の名にランスの片眉が訝しげに上がる。


「デイジー、お前寝てたな。ルークと出る時に声をかけたろ。こいつらがルークが言ってた行き倒れだよ」


「ああ、あの時かい。寝てないよ。うとうとしてただけ。背中にも小さなお客さんがいるんだね。気がつかなかった」


「ディックは部屋にいるか?」


「起こしとこうかい?」


「無理だと思うが頼む。後で行くから」


 デイジーと言葉を交わすと、正面の階段をランスに示して階段を並んで歩きながら会話を補うようにアレックスは口を開いた。


「案内する。ウィステリアは俺の昔の呼び名だ。今でこそオーナーだが、元々ここで働いていた」


 働くといっても色々あるが、男娼として働いていたと通じたらしい。ランスの声に驚きが乗った。


「珍しいな。ここは女の相手もするのか」


「男相手だ。この島にいる女のほとんどが娼婦か元娼婦か未来の娼婦だ。男を買える女はほとんどいない。ちなみに男は海賊か盗賊か詐欺師かごろつきかヒモだ」


「なるほど、それでさっきの口説く云々……」


 ランスの目があからさまに泳いで、アレックスは失笑した。

 潮に焼けるがままの白っぽい金髪を前は目元が隠れるほど伸ばして、後ろは雑に括り、日焼けで赤くがさついた肌の三十男と男娼が結びつかないのだろう。

 船で多少はついた筋肉を強調する開襟のシャツと顔を隠すための無精髭も加えて、いかにもならずものの海の男といった風体に見えているはずだ。


「昔はずっとマシな見てくれだったからな。髪を整えて髭を落とせば、今でも案外誘われるからルークは心配したんだろ」


「そうなのか……」


訝しげに顔を覗き込もうとするランスの視線を避けたアレックスは肩をすくめて声を落とす。


「世の中には物好きも多いってことにしとけ。それより、もう少し静かにしろ。客が起きてきたら厄介だぞ。お前も結構なもんだが、お嬢ちゃんみたいなのは見た目だけで価値が高い」


 すべらかに輝く白い肌に蜂蜜のように艶やかな金の髪は珍しく、それだけで悪党を引き寄せる。この島においては年齢も性別も身の守りにはならない。むしろ小さい方が具合がいいという外道も多い。

青年のおしゃべりを封じ、静まり返った廊下を歩いて4階への階段を上がって少し歩き自室に入るとアレックスはレジーナをソファーに降ろして、辺りを見回しているランスに尋ねた。


「なんだよ?」


「想像よりはるかに片付いているなと思って」

 アレックスの私室は広いが、きっちりと整頓されていて、いっそ生活感がない。


「そりゃ掃除を頼んでいるし、人を入れられないところは自分で片してるからな」


 交渉事に商売の話など、この部屋で対応することも多い。客の多い主人の部屋のしつらえというものはあるから部屋を散らかせない。


「すまなかった。あなたみたいな雰囲気の人は大抵、片付けが嫌いで書類の整理もしないから」


「俺も部屋の片付けなんてせずに、気に入りの酒でも飲みながらダラダラしたいところなんだがな。この島の奴らは書類や決め事が嫌いだ。読み書き出来ねぇ奴も多いから、面倒事がほとんどここに舞い込んでくる。そういうのを効率よく処理するのに片付けは必須なんだ」


「なるほど」


「おしゃべりはそんぐらいにして、先に風呂に行ってこい。石鹸はあるやつを使ってくれ。お前の着替えを調達してくる。俺のじゃ入らねぇだろう」


 ランスを風呂に案内してやると、アレックスは部屋を出て娼館の入り口近くの小部屋に向かった。


「起きねぇだろ」


「昨日は特にお楽しみだったみたいでね。全然ダメだよ。熟睡中」


「ディッキーディック、起きやがれ!」


「へっ……!!」


 耳元で叫ばれて全裸の男が身を起こし、隣の全裸の女も寝ぼけ眼で同じく身を起こした。


「ヘザー。お前は寝てていい。用があるのはこっちのデカブツだ」


 ヘザーと呼ばれた女の薄がけをかけ直してやると女は再び横になって寝息を立て始める。

 男は盛大に跳ねた髪の毛を掻きながら眠そうな声でアレックスに尋ねた。


「……なん、すか。今何刻で……」


 リチャード・ディクソン、海運業を営む裕福な家の出で、明るい栗色の髪と緑の眼をした若い男前だ。

 モテるのを良いことに火遊びを繰り返した挙句、女性トラブルが原因で、家を追い出されてこちらに流れ着いたらしい。

 名前に引っ掛けたあだ名は、実のところ女と同衾する事ばかり考えている、という意味のスラングが由来だ。


「朝の七刻」


朝1刻から12刻、夕1刻から12刻として分けている。朝7刻は特に早い時間ではないが、かれは昼頃まで惰眠を貪るつもりで昨晩散々励んだのだろう。まだ起ききってない声で男はぶつぶつと文句を呟いた。


「勘弁してくださいよ……今日はゆっくりしていいって言ってたじゃないですか」


「事情が変わった。超弩級の厄介ごとだ。定期船が襲われたらしい。確認中だから早く港に戻れ。ルークに頼んだが、使い物にならん奴も多いだろう。もう何人かいたほうがいい」


 昨日は褒賞の分配日で、今日は特に何もなければ出航しないと決めていたから港に戻っていないものも多いだろう。

 定期船が襲われたの一言で、ディックは一気に目が覚めたらしい。


「マジすか?!」


 ベッドから飛び出して、昨日の褒賞で買ったと思しきパリッとした服を身につける色男にアレックスは尋ねた。


「ところでここにお前の着替えはあるか? 人に貸したい」


「そいつでよけりゃあ」


 ベッドの下に投げ捨てられた服をつまみ上げてアレックスはため息をついた。


「……まあいけるか。デイジー、軽い食事を用意しておいてくれ。あと、子供の着られる服も頼む。後で取りに行く」


「この時間なら出来合いがあるからいつでも大丈夫。必要な時に取りに来て。服の方は探しとく。嬢ちゃんを風呂に入れる時にでも呼んでおくれ。あれぐらいの子だと入り方も分からないかもしれないし、女手がいるだろう」

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