南溟の楽園編

呑んだくれが見つけた行き倒れ

 総督府の置かれたエリアス島に侍るような位置に、海亀島と呼ばれる小さな島がある。 

 その島には新大陸や本島の発展とともに歓楽街が生まれ、娼館が立ち並ぶようになった。

 その中でも最も格式高い娼館、ラトゥーチェフロレンスの経営者にして、メルシア連合王国に認可された私掠船団の船団長でもあるアレックスは朝一番に団員のルークに連れ出され、海岸を歩いていた。

 朝日を反射した水面と白い砂が寝起きには眩しい。目をすがめたアレックスは口を開いた。


「珍しいな。お前がこんな朝早くに起きて俺を連れ出すなんて」


 人の良さそうなこの中年男が、船を出さない日の早朝この時間、起きている事はあまりない。いつもなら酒瓶を抱えて寝ている頃合いだ。


「単に寝てねぇだけだ。港のヤサに戻るとこだったんだよ。アンタかジジイなら起きてんだろうと踏んでな。呼ぶのにアンタのが近かった」


 徹夜で酒を飲んだ後の朝日はきつい。

 自分以上に眩しそうに顔を歪めているのも無理はなかった。


「なるほどな。どうりでいつも以上に酒臭い」


 私掠船団といってもその前身は海賊団で、乗組員達も海賊時代とさほど気質が変わらず、報奨金で気ままなその日暮らしを楽しんでいる者が多い。

 彼も御多分に漏れず、先日狩った密貿易船捕縛の褒賞で潤った懐で思う存分飲んだようだ。


「まさかあんなところに人が倒れてるなんて思わねぇだろ。俺じゃ介抱も満足に出来ねぇが、助けりゃふんだくれると思ってな。服がな、そうそうお目にかかれねぇいい布だった。金持ちなのは間違いねぇ」


 アレックス達の所有する私掠船は隠し港に係留してある。

 陸からは迷いやすく、海からは海流の乱れがあって船団員以外の人間がたどり着くのは難しい。だがその途中にある海岸で行き倒れの人間を見つけたとルークは自分を呼びに来たのだ。


「あと娘の方がとんでもない別嬪だ。拾って育てりゃウィステリアにも負けない稼ぎ頭になるだろうさ」


 名案を思いついたとでも言いたげな様子のルークの一言に意図せず眉尻が持ち上がった。


「それは『分かって』の発言か? ルーク」


「おっと酒のせいだ。悪気があったわけじゃねぇ。その娘、どことなくあんたに似ていたもんで」


「そういうことにしておいてやるよ。ルーク・ザ・ドランク」


 緩んだ腹と日焼けだけではない不健康な浅黒い肌は酒が原因だ。そして失言も。

 正直失言が多いのを酒のせいと誤魔化しているのか、本当に酒のせいなのかは判別がつかない。

 なぜならこの男から酒が抜ける事がないからだ。飲んだくれの多いこの島の住人の中でも、特に酔いどれドランクと呼ばれている程度の飲んだくれだ。


「悪気があったら許さんが、ないからってムカつく事はあるんだよ。ウィステリアは稼ぎたくて稼いだわけじゃないし、望まねぇのにここに来た人間を娼婦として働かせるつもりもない。ガキならなおさらな」


「悪かった」


 素直に誤りも認めるし、言うことに悪意がないところは憎めないのだ。アレックスは深く頭を下げたルークの肩を、気にしてないという意図をこめて軽く叩いた。


「あそこだ」


「ほんの子供じゃねぇか。さっきのは最悪だぞ……」


 倒れているのは若い男と六歳ぐらいの少女だ。海からたどり着いたらしく、乾き始めた男の黒髪と服には砂に混じって塩もうっすらと浮かんでいる。

デザインこそ庶民が好んで着る作りだったが、ルークの言う通り、娘の方の服の生地は最上級、男の方もそれに次ぐ品質の綿が使われている。

それは位の高い貴族や王族がお忍びでよく着る服で、アレックスは目を細めた。

二人が水を飲んでないかを確かめ、衰弱はしているものの命に別状がなさそうな事を確認し、唇を湿らせる程度の水を少女に与えると、アレックスは男の頬を軽く叩いた。


「おい、大丈夫か?」


 うっすらと目を開けた青年の半身を砂浜に座って膝で持ち上げ、皮袋から水を飲ませてやる。

「……こ、こ……は?」


「ラトゥーチェ島。海亀島って呼び方のが有名かもしれねえな」

 

 掠れた声にアレックスが正直に答えると青年は身体を起こした。


「……!! レジーナ様は?!」


「こっちの嬢ちゃんか? 水も飲んでなさそうだし、気を失ってるだけだろう」


 緩慢な動きで少女を抱き寄せてこちらを睨む青年にアレックスは肩をすくめる。


「なんかするつもりなら、お前の介抱なんかせず、さっさと嬢ちゃんだけ連れ去ってる。信頼しろとは言わんが、介抱した人間を信用してくれても罰はあたらないと思うが」


「悪いが……こちらも気が立っている。初対面を信用できない。乗ってきた……定期船が賊に襲われて、船から飛び降りて逃げ出してきたばかりだ」


「定期船が襲われた?」


「そうだ。船はほぼ制圧されていた」


「ここの近海でか?! ありえねぇ!」


 ルークが顔色を変えて男に詰め寄る。それを腕で制したアレックスは簡易海図を懐から取り出し、男の横にそれを広げた。


「いつ出航の船だ?」


「ハンバー港から新大陸に渡る船に二ヶ月前に乗った。襲われたのは昨日の夜中。深夜の八点鐘がなって少し経った頃だ」


 八点鐘とは見張りの交代を告げる鐘だ。深夜の八点鐘ならば六刻ほど前だろう。


「通常の運行ならこの辺りだな……」


「おそらくこの辺りだ」


 男の情報を元に指を刺した瞬間、男にも同じ一点を指し示され、アレックスは首を傾げた。

「読めるのか?」


「船長と懇意になって、毎日の航路は確認していた。航海士の域じゃないが、多少は海図も読める。旅は順調で凪にも嵐にもあわず、ほぼ航路通りに進んで、明日には新大陸につけるだろうという日に襲われた。その後は星で方向を確認しながらここまでなんとか辿り着けた。誤差はあるだろうが間違いないはずだ」


「ありえねぇ! いや、だが、アレックスが間違うとも思えねえ……」


 青ざめた顔で震えるルークを尻目にアレックスはもう一度青年に念を押す。


「乗っていたのは間違いなくメルシアから新大陸への定期船だな?」


「ああ」


 訝しげに肯定する男に先程示した辺りを指で弾きながらアレックスは言った。自分でも驚くほど低く不機嫌な声が出ている。


「俺達はこの一帯を根城にしている私掠船団の者だ。俺はアレックス、こっちはルーク。この辺りは俺達のシマのど真ん中でな。定期船については、私掠行為をおこなわない約定を結んでいる。それが襲われたとなりゃ大問題だ」


 説明を遮ってルークが声を荒げた。


「犯人を探して、サッサと吊るさねぇとこっちが吊るされる」


 ルークはアレックスが海賊船の船長に身請けされる前からその船に乗っていた古参だ。『メルシア王の海賊狩り』で処刑された人間をたくさん見ているから気が気ではないのだろう。


「そんなわけで、お前らの乗る船を襲った輩とは敵になる。少しは信用してもらえねぇか?」


 少しの間をおいて男はアレックスに手を伸ばした。


「……彼女の母親が、その賊に囚われてしまった。救い出すのに船が必要なんだ。助けて欲しい」


 アレックスはその手を取れずに首を振る。

この近辺で私掠船団に筋も通さず、ましてや定期船を襲う海賊は外道中の外道だ。囚われた人間の末路は悲惨に決まっている。


「捕まった女は諦めた方がいい。運がよけりゃあ奴隷として売られてくるだろうから、手を回して保護はしてやる」


 かつての自分を思い出して、無意識に一歩引いたアレックスのズボンを縋り付くように伸ばされた手がつかんだ。


「あの方が必要なんだ。頼む。それに彼女は大丈夫だ」


「なぜ、そう言える?」


「船を出してもらえればなんとかする」


 問いには答えずに要求だけ繰り返した男にルークが非難がましく声を張った。


「さっきあんたは初対面で信用できないって言ったな。こっちだって同じだ。船は財産だ。理由も技量も分からん奴に大切な船を貸せると思うのか?」


 口をつぐんだ男の手を今度こそ取って、アレックスは口元に笑みを浮かべる。


「なんにしろその話は後だ。落ち着いてから仕切り直そう。ここに着くまで大変だったろう? この海岸の回りは潮の流れが難しくてな。ボートでこの近くまで来ても海流と岩場に阻まれる。そこから泳ぎ切らなけりゃ、海側からここにはつけない。それを小さな子連れで出来るやつはそうはいない。風呂と暖かい食事が必要だろう。話はその後だ。それにレジーナ様とやらをここにいつまでも寝かせておくわけにもいかないだろ? まだ朝方だから涼しいが、すぐ日が高くなる」


「……襲われた時に何も持ち出せなくて礼もろくに出来ないが、助けてもらえるか?」


不満げに顔を歪めたルークを小さな動きで制して、アレックスは頷いた。


「もちろん。定期船が襲われた情報を持ってきた奴を粗末にゃしねぇよ。ルーク、肩を貸してやれ。おれはこっちの嬢ちゃんを運ぶ」


「大丈夫だ。一人で歩ける。さすがに彼女は運ぶのはきついから、運んでもらえると助かるが」


 男は立ち上がって肩を回すと、動きを試すように砂の上で軽く跳んだ。


「お前、本当に海を泳いでここに着いたんだよな?」


 疑わしげなルークに男は頷いた。


「体力には自信がある。俺はランス・フォスター。こっちはレジーナ。助けてもらって感謝する」


 やっと名乗った男はアレックスを不躾に見つめた。


「ところでアレックス、どこかで会ったことはないか?」


「口説く気か?」


 アレックスを庇うように立ったルークにランスが首を傾げる。


「なんでそうなるんだ」


「口説き文句の定番だろ?」


「いや、単にどこかで会った気がしただけだ。あんたらはできてるのか? 興味ないから安心してくれ」


「できてねぇ! そんな噂広まったら厄介だ。勘弁してくれ」


 慌てるルークをよそに、アレックスは男を観察した。どこか記憶に引っかかる造形をした男だが、見覚えはない。

意志の強そうな眉と甘く垂れた目元の整った顔立ちをしているが、その表情は陰鬱としている。

 色彩の方はといえば、光の加減で紫がかって見える癖のある黒髪と狼を彷彿させる琥珀色の目をしている。

昔の客の中でも琥珀の目を持つ人間は自分を身請けしたマーティンだけだし、それ以前に知る琥珀の目の持ち主の一族に黒髪はいない。

 そもそも中背の自分が見上げるほどの長身と、正式な訓練で鍛えたであろう優美な剣のようにしなやかな体躯を持つ人間は、あらくれ者揃いのこの島では早晩お目にかかれない。身の回りにいればすぐに思い出せるだろう。

 過去の知己の可能性もあるが、大陸共用語の微かな訛りから類推するメルシア王国の貴族にはフォスターという家名を持つものはいなかった。

よしんば自分が向こうにいた頃に会っていたとしてもおそらくその頃、彼は子供だ。おそらくお互い分からないだろう。


「出身は?」


確認のために訊ねると予想通りの答えが返ってきた。


「連合王国だ。あんたは?」


「俺もメルシアだが、あんたみたいな知り合いはいないな」


 そう言って、話を切り上げたアレックスはルークに海図を持たせて耳打ちした。


「親父に伝えろ。俺はこいつからもう少し話を聞き出して後で行く。さっき見せた辺りの調査しておいてくれ。本当ならなんかしらの跡が見つかるはずだ。いないたぁ思うが、その海賊船がうろついてる可能性もある。気をつけろよ」

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