海賊と神殿騎士
距離もあり、風も悪かった。追いつけるか怪しい船に追い付けたのは運ではなく、その船を足止めした別の船がいたからだ。
快速船に食らい付いているスクーナーは海賊旗を掲げている。
「見た事ねえ船だな。こいつはいきなり当たりかもしれねぇぞ」
望遠鏡で旗を確認したアレックスは渋い顔でマーティンに言った。
「だとしたらついてん……のか?」
ついてると言いかけたマーティンは首を傾げ、疑わしげに語尾を揺らす。
「さあな。捕まえられりゃあ、ついてんじゃねぇか?」
アレックスはメルシアの国旗と、この船団の旗である荊棘の冠を被る髑髏の旗を上げさせ、相手の反応を待った。
私掠船団に金を払っている船はこの旗を見たらすぐに対応する旗を上げるか、決められた合図を送ることを定めている。戦闘中ですぐには無理でも、なんらかの反応を返してくる。そうすればこちらが助けることをみかじめを払っている船は知っているからだ。
「反応なさそうだな。全門装填、上手回しで航行しながら半々づつぶちまけて、両方のマストを叩き折ってやれ」
アレックスの命令に航海士と砲撃手が慣れた動きで指示を出す。
「切り込み隊、集まれ。ランスもだ!」
通る声で呼ぶと方々から人が集まってくる。今まではドルフが率いてきた彼らだが、そのドルフは今船倉に閉じ込められている。
「ランス、お前が切り込み隊を率いて船を制圧しろ。戦力を分けたいが、当たりだった時を考えると分けられねぇから、なるべく早く。スクーナーの方は私掠船団と関係ない海賊だと明らかだから、そっちから行け。捕獲するに越した事はねぇが、刃向かうなら斬り殺せ。リベルタ統治領では許可なく海賊旗を上げて他船を襲う輩は『生死問わず』で報奨金が出る」
いけるか? と確認を取ると、ランスは自信ありげに頷いた。
「あいつらがいなければ余裕、いたら互角だ」
「油断は死を招くぞ。死なないことを一番に考えろ」
「戦場で油断などするものか」
舌舐めずりしてランスは愉悦の笑みを浮かべた。ぎらついた琥珀色の瞳は獲物を見つけた野生の獣を彷彿とさせる。
「船に近づいたら鉤縄を使って渡り、板を渡す。そこら辺はこいつらが慣れてるから任せろ。海賊船の制圧が済んだらそっちから乗り移れ。もう道は出来てるはずだ。気をつけろ。向こうは見た感じ、密貿易船の可能性が高いが偽装してる場合も多い。単なる密貿易船なら、なるべく捕らえろ。海賊ではないなら皆殺しは避けたい」
アレックスのざっくりとした説明でも、ランスは大体理解したらしい。
「任せておけ。ところで予備に何か獲物を貸しておいてくれ。ピストルでもナイフでも。ああ、フォークでも構わない」
余裕を感じるランスの冗談に集まった男たちがどっと笑う。荒くれ者が集まっている切り込み隊は腕っ節が全てだ。
ドルフをのした上に、高所へ登る勇敢さと船上で問題なく動けることを示すマストの天辺上がりをこなした事でランスはすでに信頼を勝ち取っていたし、元々似たような集団であろう傭兵団に居たせいなのか砕けて打ち解けるのも早いようだ。
無意識に口元を緩めたアレックスは、近づく敵船の距離と方向を確認して、表情を改めた。
「そろそろだ。合図に合わせて右舷砲で海賊船の砲撃を行い、転回しながら左舷砲で快速船を叩いて、斜め後ろから海賊船に食らいつく」
アレックスの指示は明快でざわついた船の中でもよく通った。
それを受けて乗組員が帆や舵を動かすと生き物のように滑らかに動く。神がかったタイミングを物にできなければこのようにスムーズに船を操ることは出来ない。
「軍艦でもここまで操船が巧みなのは珍しい」
感心したランスの横に陣取っていた褐色の肌の若い男がにっとギザギザの歯を見せた。
「さんざんっぱら鍛えられたからな。なあに、お頭は戦上手だから今回も余裕だよ」
ちらり、とアレックスの方にランスは視線を飛ばす。明るく闊達な指示とは裏腹にその顔には血の気がない。
「余裕って顔色をしてないけどな」
「いつものこった。やっこさんは海賊が怖ぇんだとよ。自分こそ海賊に恐れられてるってのに」
ゲラゲラといかにも面白そうに笑い声をあげた後、男は鳶色の目を優しく細める。
「けど、外した事は一度もねぇ。怪我する奴や死ぬ奴も少ない」
「信頼してるんだな」
「そりゃもう。ガキんころから色んな船を見てっけど、あれよりも操船が上手い船長は見たことねぇよ。ひ弱いのはご愛嬌だが」
「切り込み隊、身構えろ! 全門構え! 18番まで等間隔、撃て! 」
腹の底から打ち据えるような轟音共に、大砲の弾が三本マストに次々と食らいつき、航行能力を奪い去る。
「18番から36番、構え! 海賊船のほうは航行能力が無くなった時点で砲撃を止めろ」
砲撃音の直後、船が激しく揺れる。一瞬よろけたランスの腕を男が取って支えてくれた。
「悪い。海の戦いは慣れてなくてな」
「いかにもベテランでございって顔してんのに」
「殺し合いはベテランだから間違いじゃない」
「うわぁ……敵にしたくねえ」
「ハーヴィー! ランス! くちぃ閉じて仕事しろ! 行くぞ!」
頭にバンダナを巻いた小柄な男にどやされたランスはハーヴィーの横を一足飛びで駆け抜けて、海賊船に飛び移り、レイピアを腰から抜き放った。
「は……マジか?! 飛び移れんのかよ! おい! 待て! ランス! 一人で行くな!」
甲板を見回すとすでに向こうの船に乗り移ってるのか、あまり乗組員はいない。行き掛けの駄賃とばかり目視できる敵に向かい、戦闘能力を奪う。あの海賊達も隻眼の男以外はさして強くなかったが、彼らは全く手応えがない。
「この船はハズレだ。二、三人居れば充分だろう」
板をかけて渡ってきたハーヴィーに声をかけたランスは船首までの敵を薙ぎ倒して快速船へ渡った。
甲板の上で海賊と戦っている騎士姿の男達を見て、ランスは呻いた。
「神殿騎士団……」
彼らはレグルス神聖皇国の神殿騎士の出立ちをしていた。
レグルス神聖皇国はディフォリア大陸全域で信仰されているフォルトル教の大神殿によって興された古い宗教国家で、かつては旧大陸全域を支配していた。
その後、レグルス神聖皇国の属州から分かれた国々が分割統合を繰り返し今の形になったのがノーザンバラ帝国とかつてのメルシア王国を含む小国郡だ。
小国郡を束ねたメルシア連合王国は宗教上の敬意を払うという名目、実際のところはノーザンバラ帝国への牽制のためにレグルス神聖皇国と不可侵の条約を結んでいる。
また神聖皇国を統べる大神殿はフォルトル教信者の破門権を持っている。昔ほどの力はないにしても、大陸全域で信仰されている宗教から破門される影響は小さくない。
メルシア連合王国の私掠船であるアレックス達は彼らと友好的に交渉しなくてはならないはずだ。赤狼団在籍中、彼らと戦う羽目になったあげくに面倒ごとになった記憶が蘇り、ランスは鼻に皺を寄せた。
「おい! ランス、単独行動は控えろ!」
追いついて来たハーヴィーにランスは伝えた。
「アレックスを呼んでこい。至急だ。これは神聖皇国の船だ。神殿騎士がいると言えば分かる」
ランスの声音で緊急性を察したらしい、母船に踵を返すハーヴィーを見送って、追いついて来た他の隊員にもランスは怒鳴った。
「海賊共だけを狙うんだ。獅子十字のシンボルのついてる奴には手を貸してこちらから攻撃するな。絶対に騎士と戦うな」
幸いならず者と騎士の違いは分かりやすい。ランスは怒号と火器の音が響く甲板を走り、いかにも海賊然とした男達を切り裂いて行く。
『敵、違う。我々、味方』
たどたどしく片言の神聖皇国語で声をかけ、敵でない事をアピールしながら次々と海賊を斬り倒し、あらかた片付いた頃、肩で息をしながらアレックスが現れた。出撃の時に腰にぶら下げていたブロードソードもなく身軽な丸腰で現れた男にランスは首を傾げた。
「待たせた……」
「ちょうどいいタイミングだ。海賊の掃討があらかた終わったところだ。ところで剣はどうした?」
「神の使徒相手に武器を持ってくるわけにゃいかんだろ? マーティンに預けてある。知らせてくれて助かった。しかし神殿騎士団の船がこっちまで来るとは……」
苦々しげな顔をしているアレックスにランスは頷いた。
「こちらから手は出していないし、皇国側に人死にはない。マストを折ったとはいえ交渉は可能なはずだ」
そこまで分かっている人間は得難い。ランスの肩を慰労の気持ちを込めて叩くとアレックスは声を張り上げて神聖皇国語で話しかけた。
『レグルス神聖皇国の騎士とお見受けする。私はアレックス。メルシア連合王国に属する私掠船の船長だ。この船の代表の方と話をさせて頂きたい』
『先程の若者が片言を発した事も驚いたが、まさかこの悪徳の地に
レノクとは神聖皇国の人間が自国語を指す言葉だ。感心しきりといった騎士にアレックスは曖昧に微笑んで首を振った。
『母語のように操れる訳ではないので期待はしないでいただきたい』
『神の意志を掌るレノクはそこな若者のように片言を発語することすら難しい。皇国の民ではない者で正しく話すことができるのは誇るべき事だ。この暗黒の地を憂いて神が使わした御手だろう』
手を差し出され固く握手をしたアレックスは、騎士の案内について船長のキャビンへ足を向ける。
それを見送ったランスはこちらで倒した敵を検分していたディックに尋ねた。
「アレックスの出自を聞いたことがあるか?」
「さあ。ラトゥーチェフロレンスの元店主はとんでもなく高級な華だって盛んに宣伝して吹っかけてたらしいから良いとこの出なんじゃないか? なんでそんな事気にしてんだ?」
「いや……神聖皇国語は賢征王も話せない。それをあれほどきちんと話せるアレックスは何者なんだと思ってな」
「お前だってさっき何か話してたろ?」
「あれは戦場であいつらと戦わないために覚えた単語だ。アレックスの皇国語を人並だとすると、鸚鵡みたいなもんだ」
レグルス神聖皇国の神殿騎士は厄介だ。神殿騎士は神の代行者であり、それを害した者は神敵となる。
そして代行者に傷を与えた者はその命を持って魂を贖わさせるという掟がある。
それゆえに、一人でも殺してしまえば神殿騎士との和解はほぼ不可能で、その場にいる全員を殺し尽くすか殺されるしかない。一度痛い目を見たランスは二度とそれを繰り返さないよう敵ではないというフレーズを必死で覚えた。
元々読む方は覚えさせられていたから単語を理解するだけならなんとかなったが、発音の難しさと話法のイレギュラーが多く、自力ではそれが限界だった。アレックスとあの男が話していた言葉も聞き取れなかったぐらいだ。
「街の人間に頼まれて、葬式で司祭を勤めたりもしてるが、ちゃんとしたもんだぞ。すんげえ聞き心地の良い祈りで眠くなってくるぐらいだ。多分、神職の家系なんじゃないかね」
ハーヴィーの言葉にある程度の説得力を感じてランスは頷いたが、その答えとは異なる仮説が頭の隅に浮かんで消すことができなかった。
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