勝利の宴

貸切にしたラトゥーチェフロレンスのサロンに歓声と陶器のジョッキを強く合わせるガツンという音が響く。


「そんなに乱暴に扱うんじゃねぇ! 絶対割るなよ! 弁償させるからな!」


あまりにも乱暴な乾杯にアレックスが叫ぶと、再び派手な音を立ててジョッキが鳴った。


「ボロ儲けしたくせにケツの穴が小さいっすね」

「そのほうが具合がいいだろ。実際……」


「おい! それ以上言ったら宴会はお開きだ!」


「お頭のケツにかんぱ〜い!」


「アレクの財布にかんぱーい」


「お前ら!! いい加減に……!」


「ほら、飲んで飲んで。どうです? 美味いでしょ。タダ酒サイコー!」


「俺の金だな! タダじゃねえ!」


「神聖皇国の連中を上手いこと誑かしてせしめたんだろ。そうなるとスッた賭け金以上に飲んで食って、ここの女達も可愛がってやんなきゃなぁ?」


「ああ、くそっ、おごるなんて言わなきゃ良かった! というか、マーティン、あんたは賭けに参加してねえな?!」


「こまけぇことはいいんだよ」


新大陸へ教会の設立に来たというレグルス神聖皇国の司祭と交渉は実にうまくいった。

総督に紹介状を書いて、船の修理と新大陸への入植の手助けすることを約束し、代わりに彼らが持ってきた莫大な財の一部を得る契約を交わせたのだ。

そして帰港後に賭けの精算をしたところ、アレックスに想定以上の金が入った。

賭けに負けた皆の恨みがましい目を躱すために下位の船団員達に小金を握らせた後、今回貢献した者や役付きの者へ奢りを約束して今に至る。

眉間に皺を寄せて勧められたジョッキを開けたアレックスは親指と人差し指でつまむように泡のついた唇を拭った。


「俺はもう安酒は飲まないって決めてんだよ。ヘザー、悪いがいつものを持ってきてくれ」


「はい」


出された手に銀貨を握らせると、ヘザーは満面の笑みでアレックスに大きな胸を押しつけて口元に唇を寄せた。


「嫌な顔せずに気前良くくれるウィスのこと、大好きよ」


「そういうサービスはディックにでもしてやれ」


「これはサービスじゃなくて愛情表現だってば」


「はいはい、嬉しいよ。酒をさっさと持ってきてくれりゃあ、もっと嬉しいんだが」


「あいかわらずつれないんだから」


軽い口調でひらひらと手を振ったヘザーが酒を取りに離れると、すっとマーティンとルークがアレックスの近くに寄ってくる。


「相伴にあずからねぇとなぁ」


「いい味の酒はいくらでも飲めるからな」


「酔えば同じなお前らに、飲ませる酒はない」


しっし、と追い払ってアレックスは隅の方でディックに話しかけられながら無表情に酒を飲んでるランスに声をかける。


「ランス、こっちで一緒に飲まないか? 気に入ってるワインを一人で飲むのは味気ない」


「新入りに贔屓が過ぎねえか? 俺だって美味い酒の味は分かるさ」


「親父はルークと一緒にドブ酒でも飲んでろよ。頼んどいてやるから」


「しつけぇ野郎は嫌われんだろ? 五年以上前の事じゃねえか」


「あの酒を二度と口にしないって決めてるし、あれを飲める奴にいい酒を奢りたくない。あの時、客じゃなかったら吹きかけてたからな。だいたいランスは今回一番の功労者だぞ。他の誰より呑む権利がある」


「まあ、そうだけどよぉ。それはさておき美味い酒が飲みたい」


「俺はランスに説教もしといた方がいいと思ってんぞ。いくら強くたって一人で突っ込みすぎだ」


切り込み隊のハーヴィーが横から口を挟んだ。

よくよく見ると、いつの間にかアレックスのまわりに館の娼婦も含め、ほぼ全員が集まって来ていた。当然、アレックスの開けるワイン狙いだ。

唖然としていると、そこにヘザーがディックに酒の入った箱を持たせて、地下の酒蔵から戻ってきた。


「あ、おい、ヘザー! こんなにグラス持って来んな。酒もなんで箱で持って来てんだ? そういう気遣いはいらねえよ!」


「私も飲みたかったし、皆も飲みたそうだったから、箱ごと持ってきちゃった」


「いいぞ、ヘザー! 気が効くな!」


「持ってきちゃった、じゃねえ!」


声を荒げるアレックスに萎縮する様子もなくヘザーはワインの栓を抜いた。


「全部の栓を開けちまえ。そうしたら飲まなきゃなんなくなる」


「手伝うぞ! 誰がアレクを押さえとけ」


この船の乗組員達の連携はとても取れているが、特にこういう時の連携は最高だ。止めようとするアレックスを尻目に、女達の手によってさっさと一箱分の栓を抜かれてワインが全員に行き渡った。


「はいどーぞ。かんぱいっ」


ヘザーが会心の笑みでアレックスにグラスを渡して優雅な仕草で音頭を取る。


「ああ、クソッ! この一箱だけだぞ!」


不機嫌に頭をかいたアレックスも皆に倣ってグラスを掲げた。


「乾杯。あー、さいっこうだな! 普段の一杯よりはるかに高い一杯は最高だ」


自棄気味に言うアレックスに、品のある仕草でグラスを傾けてランスが微笑う。


「なるほど、皆で味わう酒は良いな」


「それはどうにも貴族的な物言いだな」


言葉通りにとって頷いてはいけない響きだと直感が告げる。はっきり否定しないと酒蔵のいい酒が全て消えてなくなると察し、アレックスはランスに釘を刺して続けた。


「前言撤回だ。いい酒は一人で飲む方がはるかに美味い。気に入りの酒を大量に補充しないといけないとヤキモキしなくていいからな」


丸めた肩をランスの大きな手が叩く。


「自分だって建前の会話をしているだろう。嫌って顔をしていない。楽しそうだ」


「そんなこたぁ……しょうがねえなって思ってただけだ」


頭に浮かんだ反論はどれも弱い。眉を顰めてごまかすとシルクの滑らかさのワインを一息に胃に収めてため息をつき、アレックスはグラスを置いた。


「あーあ。気分を変えるか。ピアノとフィドルどっちにするかな」


「弾けるのか?」


「嗜み程度にな。芸は身を助けるっていうだろ。高い金で身請けされた、顔とケツの具合だけが取り柄の、弱くて役立たずの元男娼が身体も使わず馴染むのに役に立ってくれたよ」


自虐的な物言いでアレックスは言った。

航海中は油断出来ないとはいえ、基本的には単調で代わり映えしない生活だ。皆娯楽に飢えていて、楽器を弾ける人間は歓迎される。

戦闘も操船時の肉体労働にも素養がない自分がそれなりに受け入れられたきっかけはこれだ。


「一曲目はお前に選ばせてやる。明るいので頼む」


「レントラーは弾けるか?」


メルシア旧王国の農民が収穫祭の時に踊るための明るい旋律の曲だ。


「それぐらいなら」


 立ち上がって置いてあったフィドルを手に取ったアレックスは軽快な調子で弾き始めた。

音楽が流れると皆楽しげに拍子を取り、知っているものはダンスのステップを踏む。

嗜み程度というには充分以上の腕前で、それはランスの耳に心地よかった。

温かく楽しげな音色だが、わずかに郷愁が含まれていて、先程振る舞われたメルシアのワインを飲みながら聴くと、すでに捨てたと思った思い出が蘇って胸が詰まる。

 全て弾き終わったアレックスにランスが惜しみなく拍手をすると綺麗な所作の礼が返り、流れるように次の曲を弾き始めた。聞いたことがない曲だったが、テンポの速い、底抜けに明るく楽しげな曲だ。


「「待ってました!!」」


皆の歓声が上がって、ディックがアレックスの演奏に合わせてピアノを鳴らした。


「はい、おかわりどうぞ。あのワインはなくなっちゃったけど。これも悪くはないよ」


空になったグラスを引き取ったデイジーが新しいジョッキをランスに渡す。


「ありがとう」


「なあランス、そっちとこっち取り替えてもらっていいか?」


そこにやってきたルークがひょいと小さなグラスを机の上に置いて瓶の中身を注ぎ、ランスのジョッキを取り上げた。


「構わない」


一息で飲み干し、手酌でもう一杯注いで飲む。

瓶を半分ほど開けたところで一曲終わってフィドルの音が止まった。


「お前……その酒、平気なのか?」


「ちゃんと酒の味もするし、毒も入ってなさそうだが?」


「味覚がないのか?! ないんだな……」


「美味いものは美味いと思えてるぞ。……多分。まずいものが毒とそれ以外って区別しかつかないだけだ」


「ほんと、お前そんなに若いのに……もうそんな汚水を飲むな。デイジー、俺が飲めるやつを一本こいつに持ってきてやってくれ」


「ずりぃぞ! この酒が飲めるやつにはいい酒飲ませないんだろ! こいつに飲ませるなら、俺らにも飲ませろ!」


「うるせえ。俺の勝手だ。まだ若造で飲んだくれでもなさそうなのに、これを平気で飲めるんだ。どれだけ、人生過酷だったんだ……」


つい、生きていれば同じ年だったはずの養子の少年と重ねてしまう。同情で上等な酒を頼んだアレックスにランスが首を傾げた。


「これぐらいなら陛下も飲んでいたよ」


「ヴィルヘルムが?!」


弟がこれを飲める事が意外で、思わず呼び捨ててしまったが、幸い不審には思わなかったらしい。


「これはフィリー山脈を越えて隣国に攻め入った時に身体を暖めるために回し飲んだ酒と似た味がする。あの時は想定以上の吹雪に見舞われて糧食も尽きた。あの時口にした軍靴の煮込みよりもはるかにマシだ」


「酷い話だ……その時はまだ十二、三才だろ? その位で戦場に出されるにしても大抵後方だ。過酷な行軍を伴う戦場なら不参加でしかるべき年だ」


過ぎてみればそれも思い出、程度の軽さでランスは語るが、彼の年齢を考えればそれに参加している事がそもそもおかしい。

当時ヴィルヘルム王が赤狼団と共に冬のフィリー山脈を越えて隣国に攻め入った際の地獄の行軍は華々しい勝利の逸話とともに赤狼団の精強さの証として人々に喧伝されていて、はるか離れた南海の統治領まで伝わってきているのだ。


「正規の軍隊じゃないから倫理なんて後回しだ。俺は守られるような立場も資格もなかったし、剣の腕も立ったからな」


自嘲ともつかない淡々とした口調で言うと、ランスはデイジーが持ってきた酒に口をつけた。


「ああ、これが良い酒ってのは分かる。ありがとう」


一方その頃。

場末の酒場で安酒を舐めながら、一人恨みをつのらす男がいた。


「クソどもが……いつか吠え面かかせてやるからな」

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