極楽鳥

 船の出港は慌ただしいが、新人のランスにできることはあまりない。

 言われるままに雑用や力仕事を手伝い、海へ出て一息ついていると、先ほどの賭けで胴元をやっていた若い男が人懐っこい笑顔を浮かべて近づいてきて、ランスは首を傾げた。


「よお、着古しで悪かったな。新しい方はどうしても渡したくなくてさ」


「なんのことだ?」


「服だよ、服。新しい奴は昨日買ったばっかでさ。これなんだけど似合うかなー? 貴族か裕福な商人の船が出どころだと思うんだよ。男前に磨きがかかるっての? アレックスの客人に渡すのにそろそろ捨てようと思ってた着古しはどうかとも思ったんだけど、俺のサイズでこんだけイケてる服はあんまなくてさ」


 べらべらと話し続ける男の言を総合すると、アレックスが持ってきた服の持ち主が彼だったらしい。

目線半分ほど彼の方が背が低く、自分よりも硬そうな体型ではあるが、たしかに服のサイズはあまり変わらなそうだ。


「……そうだな。赤いコートと帽子についた羽の合わせがいい。極楽鳥みたいだ。俺には似合わんし、これで十分だ。袖も足りてるし穴もない」


「それ、褒めてる?」


苦笑しながら聞かれて、ランスは真顔で頷いた。


「似合ってると思うが。そのつもりだったんだが、通じなかったか?」


「皮肉か褒め言葉か絶妙なラインだったぜ。俺はリチャード。ディックって呼ばれてる。ここじゃあ主計長みたいな役回り。金回りと仕入れた物の管理は俺。あと酒や食事の量の計算も。ところであんたの知り合いで可愛い女の子がいるなら紹介してくれねぇ?」


 自己紹介の流れで闊達に尋ねられ、ランスは眉根を寄せた。


「紹介ってのはどういう意味でだ?」


「そりゃあ、ヤ……恋人候補として。紹介してくれたら酒や食べ物のいいところを振り分け……いてててて! なにするんですか!」


 あからさまな買収を持ち出そうとしていたディックの頭を後ろからそっと近づいたアレックスが渾身の力で掴んだ。


「ランス、取り合うな。コイツは女にモテることと突っ込む事しか考えてないヤリチンだ。女なんか紹介してみろ。二週間後にコイツと一緒に殴られる羽目になるぞ」


「いてて! ひどい、俺の生きがいを……! あ、そうだ、あんた色男だしモテるだろ? 好みのタイプはどんな子? タイプじゃない子に声をかけられたら紹介してくんないかな?」


「いい加減にしろ! ディック!」


 アレックスが名前を強調して呼ぶとランスは含まれた意味に気がついたらしい。


「なるほど、悪名か。それならメルシアの首都に行くことがあったら、姉に連絡を取って紹介するよ。弟から見てもまあ美人だ」


「え?! マジで? 頭! 今すぐ行ってもいいっすか?!」


「ドルフより強くて、気が強くて、ろくでなしの浮気男のタマは粉砕するタイプでいいなら。今、俺のやらかしで怒り心頭だろうから、詫び状を持って代わりに怒られてきて欲しい」


 行ってくれるなら手紙を書く。とても助かる。とランスが続ければ、ディックの喉が音を立てた。


「……それ、命の保証あるのか」


「……奇跡が起きれば?」


 肩を震わせるランスと絶望した顔のディックにアレックスは苦笑した。


「からかわれたんだよ、ディック。お前はうちで稼ぎを使ってくれてりゃあいい。お前の散財が大好きな馴染みの花達が待ってるだろ。ほら、仕事しねぇと稼ぎが減るぞ」


「それもそうですね! あ、でも本当好みじゃない娘に粉かけられたら俺に紹介してくれよ。おっぱいとお尻の大きい子が好みだけど、極端に若い子じゃなかったら守備範囲だから」


そう言い置いて下甲板に走って行った青年のはためく赤い裾を、アレックスがため息混じりに見送っていると、ランスが横で押し殺した笑いをこぼした。


「あそこまで執着できるのはいっそ、清々しいな」


「あの悪癖と寝汚いのさえなけりゃあなあ……。動きも良いし文字も海図も読めるし、計算は早いし、気も利くし、皆に好かれてるから、船の一隻も預けられるんだが。お前も気をつけろよ。遊ぶのは自由だがトラブルは勘弁してくれ。あいつの揉め事だけで腹一杯だ」


「安心しろ。女遊びにも火遊びにも興味ない」


「それを言えるのか? 面の皮が厚い……!」


「執心する相手がいるのに他の女と情を交わすほど器用じゃないってだけだ」


「意外だな。ジーノの母親と逃げたのは本気だったのか」


「火遊びの成り行きで逃げるにしては重いだろう」


「一刻も早く取り戻したいという気概はともかく、お前から駆け落ち相手に対しての愛情や慈しみを感じないんだよな。ジーノへの扱いは義理の子供というよりも主に対する態度だし、駆け落ちというよりは王命の遂行……」


「アレックス」


 独り言のように続けられたアレックスの言葉をランスが遮った。


「なんだよ。当たらずとは言え、遠からずか?」


「船が見えた気がする。望遠鏡を貸せ」


「船? 気まずい事を聞かれたからと言ってごまかさなくていいんだぞ」


「ごまかしなんてしてない。さっさとよこせ」


 アレックスとて目は悪い方ではないが、霞んで島影と共に滲む水平線の辺りを視認できるほど良いわけではない。

怪しみながらも望遠鏡を渡すと、片目を瞑って望遠鏡を目に当てたランスはそれから目を離して眉間を揉んだ。


「いるのは間違いないが、どんな船かまで見極められない。高いところからなら確認できるかもしれない」


「よく見えるな」


 ランスの手から望遠鏡を取り戻して目に当てるが、アレックスには探し出すことができなかった。

諦めて望遠鏡を再び渡すとそれを服の帯に束さんで、ランスは段索に足をかけ、するするとメインマストの檣楼に登っていく。


「嘘だろ……」


 荒れていないとはいえ、船は揺れる。海上経験のない者は縄梯子のようになっている段索を昇るのすら腰が引けてままならないのが普通だ。実際にアレックスも滑らかに昇れるようになるまでにそれなりの時間を要したし、その間はそれはもう船員達に舐められた。

慌ててランスを追いかけて檣楼に昇るとランスはすでに望遠鏡を覗き終わっていた。


「十時の方向に船がいる。距離は約6000ヤードってところだ」


返された望遠鏡で船を確認して、接合部を縮め懐に戻したアレックスは溜息をついた。


「追いにくいな……やるしかねぇが。ところでランス、お前本当に船員の経験ないのか?」


「ない。海図の読み方は習ったが、一応客だからそれ以上は手伝わさせて貰えなかった」


「ちょっとこのまま一番上まで昇って、てっぺんのメイントラック……金色のキャップを触ってこい」

「なぜだ? まあ構わないが」


 細くなった段索で昇れるところまで昇ったランスはそのまま器用に檣に体を絡めて一番上までたどり着き、メイントラックに触る。


「これで……いいのか?」


 風にちぎれる声に大声で応を返し、下に降りるように指示し、アレックスは先に降りて大きく声を張り上げた。


「ランスが船を見つけた。それとメイントラックにも触ってきた。教えりゃなんでもできる金の卵だぞ。大切にこき使え。十時方向、水平線の先に快速船。確認しろ。追っかけんぞ!

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