突きつけられた過去

 話を聞き終えたアレックスは大きくため息をついて天井を見上げた。

 ランスから見ても巨軀と言わしめるノーザンバラ訛りの隻眼の海賊は、自分を捕らえて娼館に売り払った男で間違いないだろう。

 それに加えてランスが連れて逃げた王妃がその男達と繋がってたという。

 たまたま海賊に捕われ、男娼として売り払われたと思っていたのに自分が襲われたところから既に陰謀があった事にいまさら気付いてしまった。

 いや、今まで考えたくなくて、強いて無視してきた事に目を向けざるえなくなった。

 問い詰めて吐かせなければよかったのではという後悔を握りつぶし、これは自業自得だ。もっと早く自分で探らないといけない事だった、海賊の正体を察するのが遅かったぐらいだと己に言い聞かせる。


「言う通り洗いざらい話したんだ。協力してくれるな」


 傲岸とも取れる態度で不遜に足を組んだランスに眉間の皺をもみほぐしながらアレックスは答えた。


「お前の話を咀嚼する時間を寄越せ。湖の騎士」


「湖の騎士? ああ……あれもランスだな」


 メルシア王国で昔から人気の騎士と王妃の恋物語。王妃に恋をした騎士が王を裏切り国を捨てて逃避行を選ぶ話だ。

 一瞬考え込んだランスは、にっと唇を歪めた。どうやら元の物語を知っていたらしい。


「俺の方が誘われたんだが、ま、王妃と不義を働いたのは確かか」


 罪悪感のかけらも無い顔で肩をすくめるとコーヒーを優雅な仕草で口に含む。


「しかしよくここまで来れたな……」


「ノーザンバラに逃げる偽装をしてきたからじゃないか? 新大陸に向かうと思ってなかったんだろう」


 ランスの言にアレックスは首を捻った。


「その程度の小細工で逃がしてくれるか? これ以上動くことも少ないと目されていたディフォリア大陸の地図の三分の一を十年たたずに塗り替えた王だぞ」


 メルシア連合王国、国王ヴィルヘルム。

 アレックスの実の弟にして、メルシア以外では畏敬をもって賢征王と呼ばれる男。

 苛烈な戦いぶりや侵略の速度でノーザンバラ帝国と対をなす征服者として語られることも多い一方、侵略後は絶対的な王権をもって堅実で温厚な治世を行って民衆からの支持も厚い事から、賢く征する王、という意味の二つ名で呼ばれている。

 その王が王妃にやすやすと逃げられるという事は考えづらい。理由までは読めないが、掌の上で踊らされていると考えた方が正しい気がする。


「そっちは今心配することじゃないさ。あんたの手は煩わせない」


 作り笑顔を浮かべたランスはどこか不穏で恐ろしい。

 アレックスはコーヒーを啜り、粉にした木の実を糖蜜で固めた菓子を口に放り込んで噛み砕いた。短時間で疲れ切った脳にガツンとした甘さが染みる。


「で、噛み砕けたのか?」


「菓子をか?」


 意図を分かってあえてそう返すと、こちらを煽るかのように作られた表情が崩れて、元々吊り気味の眉が不機嫌に引き上がった。


「違う。さっきの話だ」


「話を聞く限り、お前は戦力になりそうだし船には乗せるつもりだよ。匿ったのがバレたら括られるのは間違いないだろうが、ノーザンバラの海賊共を総督に突き出さねぇとどのみち括られる」


「なら決まりだな」


 わずかに表情を緩めたランスをアレックスは制した。


「せかすなって。俺はそう決めたが、乗組員に話して承認を取る必要がある」


「承認?」


  怪訝な顔で促されてアレックスは先を続けた。


「海賊は無法者だが、その分、掟……船での秩序ってのがしっかりしてる。船は一人じゃ動かせねぇし、一人のやらかしで全員死ぬ世界だ。役割はあるが身分はねぇ。船長はちょっとばかし偉いが大事なことは皆で決めるし、掠奪した宝の配分も働きに応じて平等に分配する。船長だって暴虐が過ぎたり、頼りにならなければ、無人島に置き去りされる」


「今、その話は必要なのか? おまえらは海賊じゃないだろ」


「うちは私掠船団だが海賊上がりだ。そんなわけで、海賊としての掟もいまだに根強い」


「要するに仲間と相談する時間が欲しいってことか?」


「ああ。ここ数日は潮目が悪い。限られた時間でしか大型船が出せないから余裕もあるし、ジーナと二人でここで休んでいるといい。仲間には上手いことぼかして話すから安心しろ」


 ランスは鼻に皺を寄せて考え込む様子を見せたが、レジーナの様子と自分の体力を鑑みてアレックスの提案を飲むことにしたらしく、こくりと頷いた。


「護身用に剣が欲しい。なるべく質の良いものを」


「これでいいか?」


 アレックスは腰に吊ったレイピアを剣帯ごとランスに渡し、チェストの中からブロードソードを取り出すと身につけた。


「カトラスじゃないんだな」


 手渡した剣を抜き、しなり方や重さを試して刀身を眇め見たランスは鞘にそれを戻しながら尋ねた。

 カトラスは短い刀身の曲刀で、狭く天井の低い場所での戦闘に向いているため船員の愛好者が多い。


「苦手でな。レイピアや直刀の方が習った分、多少マシなんだ」


「できればそっちの長剣がいい。質はいいがレイピアだと心許ない」


「これはダメだ」


「長剣が一番得意なんだ。俺ならそれを十全に使ってやれる」


「これは貸せない。レイピアが嫌ならあとで他の武器を用意する」


「分かった」


「この部屋から出ないなら使う事もないさ」


 不満げな男にそう言ったとたんに、首筋に風と殺気を感じた。喉から意図せずにヒュッと悲鳴にならない音が漏れ、冷たい汗が背中を滴る。


「てめぇ…いきなり何する」


 ランスが抜いた剣の刀身がアレックスの首元に突きつけられていた。ギリギリ斬れないところを狙った技量、目で追えないほどの抜刀のスピード、そしてコントロールされた殺気。腰を抜かさなかった自分を褒め称えてやりたい。


「実力を知っておいてもらった方がいいだろう? そうすれば俺が行かなくても船で正しい判断ができるし、仲間の説得にも力が入る」


 内容こそ売り込みだが口調はあからさまな脅しだ。

 アレックスは引き攣りそうになる顔の筋肉を意志の力で全力で捻じ曲げ、自分が浮かべられる最高の微笑みでランスの琥珀色の瞳を見上げる。


「脅さなくても、お前が窮地に陥るような選択はしねぇよ。ランス。何度言えば信用してくれる? 助けた命をわざわざ獲るような事は俺はしない」


 目元が隠れていて効果が少し下がっても、誠実さの滲む優しく甘い声で蕩かせない者は、まずいない。それはアレックスの生まれ持った武器で、この苦界においてさらに磨かれた。


「……殺し時というものがあるからな。それを待っている可能性だってあるだろう?」


 ぴくりと身体を震わせたランスは、だがそれでもこちらに対する警戒と不信を解かなかった。その琥珀に浮かぶのは手ひどく裏切られ続けた底無し沼のような昏い光だ。


「お前いくつだ?」


 子供に話しかけるように尋ねると怪訝な声で二十一と返ってくる。


「……若造が。その歳でどれだけ地獄を見たんだ」


 養い子が生きていれば同じ年だ。

 じっとその顔を見つめ続けると、ランスは耐えきれなくなったのか目を逸らしてレイピアを鞘に戻す。


十二歳   ※の頃から護衛になるまで赤狼団で人を殺し続けていた。捕縛の手が掛かったら、一人でここにいる人間全て、鏖殺出来る程度の腕は持ち合わせている」


 赤狼団はヴィルヘルムが大陸を征服した際の尖兵としてその名を轟かせた傭兵団だ。正面切っての戦いはもちろん、奇襲や撹乱も得意で、大陸最強の武装集団と言うものもいた。

 何年赤狼団にいたのか分からないが、年端もいかない頃から最前線で戦ってきたのであれば強いに決まっている。

 彼は脅しの意図で言ったのだろうが、不思議と恐怖は覚えなかった。


「すごいな。生き延びるのは大変だったろう」


 アレックスは無意識にランスの緩いウェーブのかかった髪に手を伸ばして頭をくしゃりと撫で、そこで我に返った。


「おっと……悪い。死んだ息子と同い年だと思ったらつい」


 驚いたことにランスはその手を振り払わなかった。気まずいままそっと手を引くと、居心地悪げに口をへの字に曲げたランスがつぶやいた。


「見た目よりもずいぶんな年なんだな」


「今年で三十四だよ。見た目通りだ。息子とは血は繋がってなかった。娘しかいなかったから養子を取ったんだ」


「やっぱり養子を取るような家の出身なんだ」


 静かに問われてしばし逡巡したが、アレックスはそれに答えた。


「ああ。だが俺はもう死んだと思われているし、俺も昔の自分は死んだものと思っている。今はただのならず者だよ」


※年齢計算に間違いがありました。11才の頃から→12才に変更しました。

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