第13話 R6.5/6(月・祝) 『人が動きたくなる言葉を使っていますか?』①


 十七章あるうちというか、LESSON17まであるうちのLESSON9まで読んだ。


 とりあえず乱雑に付箋貼ったところとかを羅列しながら振り返ってみようかな。



LESSON2

 ・ 冒頭に30秒のCMを入れよう

   ビジネス書に限らず、本は最初が光るのは常だが、これは実践価値が一番高い

  と思った。

   私が行う朝礼でも話すタイトルだけはホワイトボードに書き、自分

  でもそこから逸れないようにという意識と、社員に意識付けという意図で書き

  話していたのだけれど、いまいち話に乗っていないし、私自身も話しにくい。

  「大事なことを最初に言うだけでは不十分」とは、本書の引用だけれど、不十分

  さをとっても、話しにくさ、聞きにくさをとっても番宣CM30秒、は効果があり

  そうだ。さっそく実践したい。


 ・ 話の途中にタイトル、目次を入れる。目次は質問形で入れる

   目次は朝礼の研修系で言うならば、

  「独身男性を狙う」

   ① 皆さんの優れた点を活かせる

   ② 話が早い

   ③ 成長のため


   の①~③であろう。これを最初から書くのではなく、途中で書く。そしてその

  際に質問形式で目次である①、②、③を入れていく。

   そうすることで目を引くことは確かに出来ている。

   また、本のような構成で組み立てる意識。質問形式の良い例で「中田敦彦の

  YouTube大学」を出すこの引用のように、有名人を出すのも良い。中田敦彦の

  受け手の意識や質問を見抜いて、大きく態度で表すやり方もバチコン例として

  合っている。


LESSON4

 ・ ピーク・エンド

   営業でも使われる手法だ。この章では他にも自己開示、ダブル・バインド、

  限定感などの営業手法も出てきた。ピークとエンドが記憶に残るというもの

  で、もちろん知っているし営業では毎度お馴染みくらいに使っているのだが、

  私が朝礼でこれを使えていないことを強く意識させられた。

   自身も朝礼で言っているのだが「知っている」「理解している」「使っている」

  「使いこなせている」のそれぞれには、越えられない壁がある。

  「知っている」「理解している」の最初の二段階においては、意味が無い。使え

  ないのだから。そう言っている私も、営業手法を朝礼では使えていない。

   使いこなせていないのだろう。「一芸は万事に通ず」というが、一芸にまで

  至っていないのだ。

   同じく使いこなせていないものとして思い浮かぶのがLESSON6にも出た。

  「配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどんな意味であれ」という、

  スヌーピーの名言だ。

   持っている物で、使えていないものは多くある。新しい物も取り入れなければ

  ならないが、有り物を使えるようにしていくことも大事だ。

   話が逸れた。

   営業手法を朝礼で積極的に使っていく。

   エンドまでしっかりと意識する。

   二点をさっそく使いたい。


LESSON6 風を読む、空気を読む、人を読む。

 ・ 流行、現状、心情

   筆者が経験した広告会社のクリエイティブ・ディレクターという仕事は、

  この3つを読む仕事であったそうだ。これは、他でも活用できるというか、

  活用できれば大きな力になる。その営業所の流れ、現状、社員の現状が読め

  ていれば、何だって出来そうだ。

   キャッチコピー力も鍛えるという点では「電話を再発明する」というAPPLE

  のコピーが気になった。「〇〇を●●する」という形と、古くからある〇〇を、

  ●●という関連性の想像できなかったものから始める。

   ZORNの言う、韻の飛距離みたい。



 ふぅ。

 今日はいったんここまで。

 嫁がクルーズに連れてけというもんで。まぁ小舟だけれども。

 2,000円でクルーズって出来るもんなんやね。

 まぁGW何もしてないっちゃしてないので、夕方の時間くらい差し上げよう。


 引用しない部分で思わず付箋を貼ってしまったものに、LESSON9終わりのコラム

で、辻村深月の『かがみの孤城』のタイトルがある。俺もまだ読んでいない。

 ビジネス書ではよくあることなのだろうけれど、自身に何かリンクしたり、過去の実体験や過去に読んだ本にリンクする思いがあった。

 これを実際に文として突き付けてきたのが、辻村深月だった。本の名前は忘れた。『名前探しの放課後』だったかしら、と思って調べたら『オーダーメイド殺人クラブ』だったっぽい。

 辻村深月から逃げていたら(多分この表現が一番合っている)、わからなくなってきている。最近は本当に本も読んでいなかった。

 どういう表現だったかは忘れたけれど、本を乱読していくと、全く無造作に取った無関係の本が、驚くような繋がりを持っていることがよくある。そんなちょっとした奇跡が尊いのだという感覚について触れたものだった。


 俺にだって、そんな奇跡はあった。

 俺にもあった! 俺にもあったんだよ辻村深月!

 って叫びたかった。叫んでも届かないって分かり切っているから、切なかった。

 じゃあ頑張らなきゃって気持ちも生まれなくはなかったけれど、彼我との差を思い

「中学生や高校生の頃にああしてれば……」

って後悔と、自分が辻村深月ほどのめり込めるかって自問自答に、NOと分かり切った答えが出るのを見てられなくて、本をベッドに投げた。


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