『白い腕』⑤




●山口雄大、遭遇した夜




 帰り道。警察が送っていこうか、と申し出てくれたが、断った。パトカーに乗るというのも、初の体験で魅力的だったけど。そんな気分でもなかった。


 見てきたもののショックで走りだせずにいた俺は、歩いて帰っていた。


 どうしても考えてしまう。


 事故に遭った彼女はかわいそうだったな。服やバッグから、二十代半ばといったところだろう。


 彼女の家族には、もう連絡が入っただろうな。娘があんな体で戻ってきたのを見たとき、両親は……。妹があんな体で戻ってくれば、俺は事故の相手をどうするだろうか。


 トラックの運転手は、これからどうなるのだろう。携帯が開いた画面のまま転がっていたということは、よそ見の飛び出しだった可能性もある。警察でどんな事故だったか調べればわかるのだろう。


 顔を見ただけでわかるわけはないが、そんなに悪い人ではなさそうだった。これで人生が終わってしまうのであれば、人生を完全に奪ってしまったとはいえ、彼もかわいそうではあるかもしれない。


 今頃、二十数年で蜘蛛の巣のように張り巡らされた、彼女の人間関係を追って電話が鳴っているのだろうか。


 悲しむ人は多いだろうか。喜ぶ人もいるのだろうか。


 でも俺は、死んで嬉しいような知りあいは一人もいないぞ。例えそれが嫌いなやつでも。


 うん、例え小畑でも、死ねば、やはり俺は少しは悲しむはずだ。同情するはずだ。


 普段ならば、別に死んでも何も思わない、なんて考えるはずだった。


 しかし、今見てきた光景が俺にリアルに想像させる。自分の周りの人間が死んだときの衝撃を。涙が出てきて、また、吐いた。口の中の不快感を追い出そうと苦心して、頭と口の中から追い出すことに腐心していると、少しの間考えないようにしていたことを、考える。


 小畑といえば。腕だ。


 間違いない。あいつが腕を持ち出している。しゃがんで何をしていたのかはわからなかったが、腕がないとなれば、確信できた。


 あいつは腕を拾っていた。あの事故は、俺が通りかかる直前にあったのだから、あいつ以外に拾うのは不可能だろう。


「いい度胸してるじゃないの」


 そう、つぶやく。


 俺でも持って帰ったと思う。実際、持って帰りたいと思った。彼女をかき集めているときにも、そういう思いはあったのだ。


 しかし、あのタイミングであった。ポケットに入るサイズのものはなかった(と思う)し、どこかに隠すにしろ、警察が早く来るか運転手が見ている可能性、リスクもあまりにも高かった。


 実際、ドップラー効果とともに、かなり早くパトカーは現れた。


 運転手はその音に動揺していた。俺がいなければ、変な気を起こしてしまいそうなくらいに。俺も、さらに変な気を起こすことは避けられた。彼にとっても俺にとっても、警察の早い到着は喜ばしいことだっただろう。


 しかし、これから俺は、どうすべきだろうか。


 別に小畑は嫌いなだけであって、恨みはない。だから復讐しようとか、通報して何らかの処分をさせようなんて気持ちはない。むしろ、どうしても思い出せない死体が気になる。死体の一部、あれがゆっくりと見たかった。


 亡くなった女性やその家族、常識を考えれば警察に言っておくべきなのだろうが、別に構わない。死人に口も心もあるまい。家族にも、より強烈な思い出として残る。


 あいつを脅すなりなんなりしても、腕をじっくりと見たい。


 月曜は、あいつも俺も取っていた授業があった。腕にも興味があるが、腕を持ち去った人間にも興味があった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る