第34話 夜会そのあとで
騒動が静まり、床に落ちて壊れた髪飾りを拾い上げると、そこに一滴の涙が落ちた。
フェリシエルは一人になりたくて、広いバルコニーにでる。カーテンの影にすっぽりと入った。これで誰からも見えない。
今思えば、ミランダはいつでもそうだった。フェリシエルと仲の良いふりをしながら、彼女のとても大切なものをすべて、少しだけ変え取り込むように真似をする。他人から見たら真似ではなく、似ている風に見えるように、どこまでも巧みで陰湿。そしてオリジナルを破壊する。
フェリシエルは手の中の壊れた髪飾りを握りしめた。かけがえのないものを奪われ、汚されて行くようで怖い。
王子に貰ったドレスがとても気に入っていた。それを汚してしまったのが悲しい。
気づいていたのだ。すべてフェリシエルの瞳と髪の色に合わせてくれていたことに。この髪飾りは彼が特注して作ってくれたもの。すべてがフェリシエルの為だけの特別なもの。王子は自身の飾りもブルーと金色でまとめていた。彼自身が身に着けるものすら彼女の為のもの。
そして今日、出来る限りそばにいてくれようとしていた。前世の話をしたからだ。フェリシエルの不安を和らげるために。彼がそれを素直に口にできない人だとわかっている。だから、無力な自分が悔しくて申し訳なくて涙が止まらない。なすすべもなく壊されてしまった。
(何一つ守れなかった)
カツーンと足音が響き、誰かがバルコニーに降りてきた。
「王族控室で、取っ組み合いの喧嘩とはいい度胸をしているな。いくら何でも自由過ぎるだろ。ここはお前の私室ではないぞ」
王子だ。フェリシエルは汚れたドレスも壊れた髪飾りも泣いている自分も見られたくはない。背を向けたままでいた。
「フェリシエル、今日はもう家に帰れ、もうすぐ迎えが来る」
後ろから近づいてくる。いやだ、見られたくない。心も体もかたくなになる。すると王子の気配が、ふと消え、とんという軽い音がした。間を置かず、ちょこんと肩にサテンシルバーのハムスターが乗る。触れるとふわふわで温かだ。陛下の用事は済んだのだろうか。
「……でんちゃん、でんちゃん、会いたかったよぉ。一緒にお家に帰りましょう」
涙が堰を切って溢れ出た。
「そんなわけあるか。私はこれからが仕事だ」
「それでも、一緒に……」
フェリシエルがハムスターに顔をこすりつける。
「だーっ! やめい。どこで涙を拭いているのだ。うっとうしい。私の高級な毛皮が濡れるではないか」
ハムスターがフェリシエルの手の中でジタバタする。柔らかで、まあるくて、もふもふでずっと手の中に閉じ込めておきたい。
「さっさと泣きやめ。お前は公爵家令嬢だろ。しっかり顔を上げろ。恥じるようなことはしていないのだからな」
王子の言葉にこくりと素直に頷く。
後は言葉もなく、迎えが来るまで一人と一匹は、並んでしばし夜風にあたり、中空に浮かぶ月をながめた。
……ずっとこうしていたい。
父母も兄も事後処理があってまだ帰れない。フェリシエルだけ先に帰ることになった。王子は夜会を抜けて、馬車まで送ってくれた。周りにはぱらぱらと人がいる。丁度、若い娘たちが帰る時間だ。
フェリシエルを馬車に乗せると、王子がカフスを片方外す。金に大粒のサファイヤが埋め込まれているシンプルなものだ。窓越しにフェリシエルの手をとり、それを握らせる。王子の手が彼女の手をそっと優しく包み込む。温かい。
「受け取ってくれ、肌身離さず持っていて欲しい」
フェリシエルを元気づけるつもりなのだろうか。
「殿下、カフスは片方だけでは使えませんよ?」
首を傾げる。
「あと二年もすれば私たちは結婚する」
そう言って微笑む。続く王子の言葉を聞いてはいけないような気がした。きっとこの人は本音を言う。
「ともに立ち向かってくれないか」
受け止めれば後戻りはできない。まっすぐな言葉。
「馬車を出してくれ」
フェリシエルの返事を待たず、王子が御者に指示だす。走り出す馬車の窓越しに見送る彼と視線が絡む。そらすことはできなかった。一人立つ彼は戦場に向かう騎士のように凛々しい。馬車が速度を増し、やがてその姿は夜闇のなかで銀色に滲んだ。
次の朝起きると、父母はそろって城に行くところだった。兄は昨日から帰っていない。
「フェリシエル、お前は何も心配することはない」
いつもは冷静沈着で無表情な父が不器用な笑顔を浮かべる。
「そうよ。私たちに任せて、あなたは今日はのんびりしていなさい」
母が優しく微笑む。
昨夜、汚れたドレスと壊れた髪飾りを見てセシルが初めて涙を見せた。壊れた髪飾りは執事のテイラーが腕の良い職人に修理に出してくれるという。「もう、いい」というのに、ドレスは使用人達が必死で染み抜きをしてくれた。なぜか、皆が優しい。いや、いつでも彼らは温かい。
フェリシエルは後悔した。ミランダを殴ってやればよかったと、ジークを蹴り上げてやればよかったと。うちの使用人を泣かすなんて許さない。
まんまとしてやられた自分に腹が立ち、むしゃくしゃしたのでセイカイテイオーの世話をしようと掃除用のフォークをかついで厩へ向かう。途中で馬丁と使用人達に全力で阻止され、侍女のヘレンに怒られた。
「お嬢様、公爵家のご令嬢という誇りをもってくださいませ」
この家の使用人は皆強く、己の仕事に誇りをもっている。
やることがないのでティーテーブルに座り、ミイシャを膝に乗せた。ファンネル家の庭園からぼうっと城を眺める。今ごろ王子はとても忙しくしていることだろう。そして今度はいつ遊びに来るのだろうか。フェリシエルはテーブルの上にぱらりと財務の本を開いた。
月のない夜が来るのが楽しみだ。ドングリを抱えたハムスターがやってくる。礼儀正しい彼は窓が開いていてもこつんこつんと叩く。
その日だけは私が守ってあげるから……。
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