第35話 でんちゃん来ないかな?
今やっと王子の仕事がひと段落した。ずっと手足となって働いてくれていたシャルルは早めに家に帰した。護衛のエスターも休ませなければならない。彼は真面目で王子が働いていると休まない。命令には従順だが、そういうところは意外に頑固だ。
夜会でアストリア侯爵令嬢ミランダは王族控室にリカルドの名前を勝手に使って入ったうえ、フェリシエルに狼藉をはたらいた。ミランダの件は修道院送りで手を打つことになりそうだ。どちらかと言うと王族控室に勝手に侵入した罪の方が重い。それと合わせて、王宮の警備を見直さなければならない。
何よりも、リカルドがかんかんだった。もともとミランダが気に入らなかったらしい。彼女は、まだ婚約内定の段階だというのに、王都にタウンハウスを買ってくれとねだっていたという。リカルドは王宮に仕事を持っていないので、結婚すれば領地に引っ込まねばならない。それが不満だったようだ。それにしてもミランダは軽率なことをしたものである。
この沙汰を聞いてわが婚約者は何と言うだろうと、王子はふと考えた。家族に愛されて育った甘い彼女のことだ、厳しすぎると言うかもしれない。
問題はジークの方だ。今は父子ともに蟄居している。もちろん夜会での件もあるが、違法なホムンクルスの実験施設が問題となっていた。
すでに現場は抑えてあるが、朽ちかけた屋敷の所有者は、領地に引っ込んだ伯爵で、レスター家とは何の関係もない人物だった。そのうえ、伯爵はある日突然見ず知らずの男に大金を積まれてあの土地を貸したという。
普通、怪しみそうなものだが、その人物は身なりも立派だったらしい。風体を確認したが、ジークではなかった。年齢が違う。だが父親のレスター公爵ウィリアムが関係していることはないようだった。
ジークは魔導にそれほど明るくないので資金提供をしているのだろう。まだ証拠固めが出来ていない。この事件が明るみにでれば、レスター公爵家は取り潰しが妥当だ。ただ王はそれに強硬に反対している。
ウィリアムとは旧知の仲であるからだ。生半可な証拠ではジークを引っ張れない。どうしたものか。
そして、なぜ彼は急にフェリシエルに執着しだしたのだろう。その前まではメリベルに夢中だったはずだ。あの夜会で、彼は理性を失っているように見えた。腹黒で計算高い彼らしからぬ行動。ジークはある意味王子と同類なのだ。
彼が廃墟に入るところを王子は自身の目で見ているが、残念ながらそれは証言できない。ネズミになるなどと弱点をさらすわけにはいかないからだ。
しかし獣化も悪いことばかりではない。結構便利だ。城を抜け出して気分転換するとか、フェリシエルの様子を見に行くとか。暗殺者の手から、さらっと逃れるとか。諜報活動などなど。
王子はそこで思考を止める。今日の分は働いた。彼は手中にあるサファイヤのカフスを見てほくそ笑む。フェリシエルは単純なので何の疑いもなく片方を受け取った。彼女は育ちがいいので人の厚意は素直に受け取るたちなのだ。
いかにもミランダのような輩につけこまれそうなタイプである。そのせいか裏表のない彼女といると妙に和む。なぜ、昔あれをうるさいと感じたのだろう……。
実はあのカフスは王子が開発した追跡装置なのである。趣味の魔術が高じて出来た最高作品だ。これで彼女が王宮に来た時もたちどころに見つけ出すことが出来る。その上魔法を練り込んであるから彼女の安否もわかる優れものだ。
(フェリシエルには以前湖畔で王族に伝わる秘術を施しているから、小道具などを使うことなく探し出せるのだが、新月の時はそうもいかない)
今のところ問題なく使えているようなので、開発を進めて金持ち相手に売りに出すのも良いかもしれない。
ここのところ王妃の浪費が過ぎるので、金の心配までしなくてはならなくなった。そのうえ弟のエルウィンがメリベルに夢中になり、やたら高価なものを贈りたがる。さらに最近国王がますます腑抜けになってきた。
あいつらは口出しする癖に働かない。
窓の外に目を向けると陽が傾いていた。久しぶりに、巣に帰ろうか。帰巣本能が囁く。王子は執務室を後にした。
◇◇◇
「今日は来ないのかしら」
フェリシエルは陽が落ちたあたりからそわそわしだした。
「どうしたんだ。フェリシエル、なんだか落ち着きがないな」
兄のシャルルが久しぶりにこの時間にいる。という事は仕事がひと段落したのだろう。
だから、今夜はでんちゃんが来るかもしれない。新月ではないけれど、あのハムスターは暇を見つけては結構マメにやってくる。
遊びたい盛りなのかもしれない。夜会以来会っていないので、居ても立っても居られない。フェリシエルはでんちゃんに会いたい。
「なんでもありませんわ。それよりお仕事の方は落ち着いたのですか?」
「う~ん、今日は小休止ってところ。まったく殿下はすごいな。いつ寝ているんだろう。いつ見ても仕事をしたり、陛下や王妃の相手をしたりで休んでいるところ見ないんだよな。まあ、ときどき見当たらなくなって護衛が探しているけれど」
「はあ」
フェリシエルは気のない返事を返す。
「お前は殿下に興味がないのか?」
呆れたようにシャルルが言う。
「え、まさか」
正直それほど興味はないし、いままですっかり忘れていた。
「だよね。そういえばフェリシエル、あの夜会でのトラブルで、お前の評判は上々だぞ」
「なぜですか?」
フェリシエルは心底不思議で目を瞬いた。王子があの時こなければどうなっていたかわからない。
「なんでもお前は、大男を相手に声を張り上げることもなく毅然とした態度で拒否していたというではないか」
「当然です!」
褒められれると得意になるのがフェリシエルだ。
「そういえば、フェリシエル、あの日、ジークのやつが殿下に手首折られただのなんだの言っていたんだが、お前知っているか? 殿下は知らんと言っていたが」
「ふえ? わ、私? あの、な、何も見ていませんわ」
恐怖のあまり声が裏返った。実はまぢかで彼の凶行を見ていたのだ。微笑みながら、あっさりと人の手首を折る王子。怖い怖い怖い。え、何、怪力なの?
そういえば以前馬車が襲撃されたとき、王子が彼女を抱きかかえながら、軽々と走ったのを思い出した。いろいろ彼は異常。たぶんダイハード。思い当たる節が多すぎた。今度聞いてみよう。話してくれるかもしれない。
「そうだよな。周りにいた人たちも、殿下がジークの手をお前から軽くはがしただけだって言ってたし、そんなんで折れるわけないよな」
いやいや、グギッと骨が折れる嫌な音がしていた。
「わ、私もそう信じたいです」
フェリシエルはあの時の恐怖を思い出し、こめかみに一筋の汗をながしながら、こくこくと頷いた。どちらかというとジークにというより、王子にトラウマを植え付けられた感じだ。あのお方は裏の顔がやばすぎる。
ふと日の陰りを感じ、サロンの掃き出し窓の外に目をやると日が傾き夕景が広がっていた。
ところで、でんちゃん、まだかしら?
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