第19話 祈り
人外の子供はとてもかわいい男の子だった。7歳くらいだろうか。簡素なシャツにズボン姿だ。
「ミイシャ、えっと、あなたのお家はどこ? お父様とお母様は?」
「フェリシエル、間抜けな質問はやめろ。時間の無駄だ」
「どういう意味ですか?」
うつろな表情でフェリシエルが王子を振り返る。王子もミイシャも人型になってしまった。かわいかった動物たちが一瞬で人に……。まあ、ミイシャは人型でもかわいいが王子はいただけない。
「そいつはおそらく見た目通りではない。先ほど言っただろう。おかしな術がかかっていると」
「え?」
ミイシャを見ると一瞬で猫に戻っていた。そして素早くドアから出て行ってしまった。
「あれ、ミイシャ、やっぱり猫よね」
フェリシエルは自分が見たものは幻かと目を擦る。
「だから、現実から目を背けるな。だいたい、いつまで子猫なのだ? 猫の成長は早いぞ。おかしいと思わなかったのか?」
「だって私にしかなつかなかったし、そういう品種かと」
あまりのショックに声が震える。
「そんなわけあるか」
フェリシエルはあふれる涙を抑えることが出来なかった。
「うっ、うぇっ……うそよ……、あれはミイシャの皮をかぶった何かよ」
「往生際の悪い」
ぼそりと王子が呟くがいつも勢いはなく、どこか居心地が悪そうな表情を浮かべ、フェリシエルにハンカチを差し出す。
「まあ、あの獣人、途中でお前の飼い猫と入れ替わっていたのかもしれないし……。好きなだけ泣くといい。私はもう寝るぞ」
王子は舌打ちすると開いたままのドアを閉め、ソファーに横になった。
フェリシエルは、その姿を見てぎょっとした。一瞬で現実に引き戻される。
「え?ちょっと待ってください! 殿下それはまずいです!」
泣いている場合ではない。フェイリシエルの部屋で王子が堂々と眠ろうとしている。
「うるさいな。私は明日も朝から忙しいんだ」
王子がいかにも鬱陶しそうに言う。
「私、結婚前の乙女ですよ! 同じ部屋で寝るわけにはいきません!」
当然の主張である。それに、出来ればハムスターに戻ってほしい。というかハムスターなら許す。
「この間は同じベッドで寝たではないか」
「殿下、なんていやらしいことを! あのときはとても美しい神獣のお姿でした!」
ここは断固として譲らない。カムバック、ハムスター!
「うるさいな。フェリシエル、ちょっと後ろ向いて」
彼女は文句を言いつつも後ろをむく。一応王子の命令だ。
「これでいい?」
王子はあっという間にハムスターに戻っていた。小首をかしげキュートな瞳でフェリシエルを見上げる。
「ずるいです。殿下……」
彼女のその言葉を聞いて、勝ちを確信したハムスターはソファーに丸まった。
「あの、殿下。どうして王宮から逃げてきちゃったんです?」
フェリシエルはしゃがみ込んでハムスターに問いかける。
「……今夜はしつこく命を狙われてね」
「何やらかしたんですか?」
「……」
ハムスターはフェリシエルの相手が面倒になったのか無視を決め込んで丸くなる。
「あの殿下? それ狸寝入りですよね。ここに泊まりたいのなら、私の悩み事聞いてもらえます?」
「……」
が、返事はない。フェリシエルは勝手に話すことにした。ドリスの話だ。この際だから、王子に相談しようと思った。彼は性格はかなり残念だが頭は良いようなので、何か解決方法を考えてくれるかもしれない。そんな一縷の望みをもって……。
フェリシエルが話し終えると、根負けしたハムスターがのろのろと頭を上げた。
「そんなもの、シャルルに相談すればよいではないか」
「お兄様が、ドリモア家の為に動いてくれるとは思えません」
ハムスターが小首をかしげる。
「お前は自分の家が何をしているのか、知らないのか?」
「え? 文官?」
王子は呆れたように肩をすくめた。器用である分、少し腹立たしい。が、かわいいハムスターだから許す。
「……まあ、いい。シャルルに調べるように私から言っておこう。最近王都で、外国から来た詐欺グループが暗躍している。この件はその連中を一掃するのにちょうどよいかもしない」
「でも、調べているうちにドリス様の家が……」
「それも、シャルルに言っておく。本当にもう寝ろ。次に私を起こしたら、問答無用でお前に攻撃魔法をぶちこむ」
可愛いハムスターに脅され、フェリシエルは素直にベッドに入った。
その一週間後、詐欺グループは一斉検挙された。彼らは王宮勤めをしていない世間知らずの貴族を標的にしていたのだ。ドリモア卿はフェリシエルの父であるファンネル公爵ネルソンの説得を受け、途中から囮となった。彼の証言もあり、迅速に処分は下された。
そして今、フェリシエルはドリモア家のサロンにいる。ドリスにお茶に呼ばれたのだ。
「本当にありがとうございました。フェリシエル様、うちの面目もたちました。」
「ほほほ、よかったわね。ドリス様」
フェリシエルは何もしていない。
「それで、あの……急にあなたのそばを去ってしまって、すみませんでした」
それは彼女の取り巻きから抜けたことを言っているのだ。しかし、フェリシエルの取り巻きは今自然消滅しかけている。前世を思い出してから、取り巻きを連れて歩くなど派手なことは危険なのでしないと決めたのだ。
「それは別に構わないのだけれど、どうして私に相談なさったの? うちが公爵家で力あるというのはわかるけど、あっさり断るかもしれないし……」
フェリシエルは自分がわがままで高慢な女だと噂されているのは知っている。家の恥を告白した上で馬鹿にされたら、ドリスはいたたまれないだろう。
「それは……フェリシエル様が以前私を庇ってくださったから」
「はい?」
まったく身に覚えがなく、フェリシエルは首を傾げた。
「前に夜会で、私がミランダ様に『あなたのような傾いた家の娘が、夜会に来るなんて信じられない。早く家にお帰りなさい』と言われたとき、フェリシエル様が、ミランダ様に怒ってくださったんです」
一回だけそんなこともあった気がする。ドリスはそのことを覚えていて彼女を訪ねてきたのだ。ファンネル家の人間は基本損得で動くが、身分による極端な差別はしない。
ミランダはフェリシエルの主な取り巻きでアストリア侯爵家の令嬢だ。見栄っ張りで高慢な令嬢と噂されている。フェリシエルが不在の時は彼女がグループのボスだった。
「もしかして、彼女たちに苛められていたの?」
ドリスは目を伏せた。まったく気づかなかった。前世の記憶があるせいか、下々の気持ちがよくわかる。フェリシエルの胸がとちくりと痛んだ。貴族は縦社会だ。上に立つ者がしっかり目を光らせないと、下の者がいつでもつらい思いをする。ドリスが嫌な目にあったのはフェリシエルのせいだ。
しかし、フェリシエルの性分からいって頭を下げることは出来ない。
やはり貴族社会はとても面倒くさい。フェリシエルは幽閉エンドを目指そうと決意を新たにした。王妃なんてとんでもない。自分の一言で誰かを死に追いやってしまうこともあるのだから。過ぎた権力は心の平穏を奪う。
そういえば、王子はその立場から逃げられない。たとえ命を狙われようとも。いや、あの性格の悪い王子ならば問題ない。嬉々として公務をこなし、政敵にやり返すだろう。
そこで、はたと気づく。王子がメリベルと結婚したら、ファンネル家はどうなるのだろう? 間違いなく父は失脚する。その事実に今更ながら思い至った。
「え? 下手したらうち没落? 幽閉される屋敷も残らないかも……」
(頑張れお父様!お兄様!)
フェリシエルは心の中で声援を送った。
その夜、フェリシエルは、「私の可愛いミイシャ――獣人ではないただの子猫――が戻ってきますように」と祈りささげ眠りについた。
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