第18話 満月の夜に

 シャルルがサロンをのぞくとフェリシエルが分厚い本を開きながら、うんうんとうなっていた。話は殿下から聞いている。


 妹はお妃教育と称して財務の勉強をさせられているのだ。

 それは第一王子リュカのたっての願いだった。ゆくゆくはパートナーとして執務を手伝ってもらいたいとのこと。フェリシエルの賢さがわかっていて信頼してくれているのだろう。


 兄の自分がいうのもなんだが、フェイリシエルは非常に優秀だ。今は難しくともきっと習得することだろう。


「フェリシエル、最近、殿下と上手くいっているようだね」

 真剣に本と向き合っている彼女に声をかける。


「え? そうなんですか? まあ、適当に合わせていますけれど」

 ちょっと偉そうに答える。


「おいおい、フェリシエル。殿下の前でそういう態度をとっていないだろうな?」

 殿下は何も言っていないが、この妹ならあり得そうだ。

「まさか!」

 フェリシエルは一笑に付すが、その笑顔はひきつっている。絶対に何かやらかしていると思ったが、深く突っ込まないことにした。知らない方がいいこともある。


「最近、財務の勉強を始めたようだな」

 シャルルは話題を変えた。

「はい、お妃教育の最終段階と言われまして。それにしても王妃陛下もこんな難しいことを習得したのですね」

「え? いや、まさか、あの王妃がそんな高等な教育……じゃなくて、そうだね。フェリシエルなら賢いから、あの王妃より早く習得できるよ」

 殿下に口止めされていたのにうっかり喋ってしまうところだった。


「まあ、当然、そうでしょうけど。お兄様、いま何か言いかけませんでした?」

 フェリシエルが疑わしそうに猫のような青い瞳を眇めシャルルを見る。シャルルはドキリとした。

「ああ、いやなんでもないよ」

「何かごまかしていません?」

「そういえば! フェリシエル、お妃教育では随分といい成績を収めていると殿下がおっしゃっていたぞ」

「ふふふ、まあ、そうでしょうね」

 妹は褒められてまんざらでもなさそうで満足そうに笑う。こういう素直で単純なところがすごくかわいい。そのせいか使用人たちにも愛されている。


「財務も最初は大変だろうが、お前ならきっと出来る」

 もう一押し励ましてやった。

「ええ、私もそんな気がしてきました」

 やっぱりフェリシエルは素直でかわいい。

「そうそう、フェリシエル、その本は少し難しすぎるから、初心者用の本にするといい。王宮図書館にあるから、行ってごらん」


 王宮と聞いてフェリシエルが嫌な顔をした。ついこの間までは殿下に会いたくて、用もないのに王宮に行きたがっていたのに随分な変わりようだ。シャルルは少し不安だった。


 そのうちフェリシエルはぱたんと分厚い本をたたんだ。

「ではお兄様、今日はこれからお客様が来るので失礼しますね。ヘレン、セシル、お庭にお茶の用意をしてちょうだい」

 フェリシエルはメイドたちに指示を出すと立ち上がった。

「フェリシエル、客って誰? まさか、レスター家のジークじゃないようね?」

「は? どうしてジーク様が?」

 フェリシエルが不思議そうに首を傾げる。

「いや、最近仲がいいなんていう噂を聞くから」

 今は大事な時期だ。くだらないと思っていた噂が命取りになるときもある。

「まさか、ぜんぜん親しくないです」

 だがフェリシエルはきっぱり否定した。むしろジークを嫌がっているように見える。

「それならいいんだ。そうそう、ジークに誘われたからって、うっかり修練場にいったりしないでね。お前には殿下という婚約者がいるのだから」

「当然ですわ。修練場など興味ないですか。それに今日は、これからドリス様がいらっしゃるのです」

 フェリシエルが嬉しそうに答える。

「ドリモア伯爵家のご令嬢かい。どうしたんだい、急に? あの家は斜陽だよ。付き合ってもなんの得もないと思うけど」

ドリス・ドリモアは一年ほど前までフェリシエルの取り巻きをやっていた。しかし、彼女の家が傾き自然と離れていった。

「はあ~、お兄様ったら、ほんとうに失礼だわ」

 フェリシエルが呆れたような顔をする。妹は損得勘定なしに人と付き合うところがあり、少し心配だ。賢くはあるが深窓の令嬢なのでいつか騙されるのではハラハラさせられる。

 

「みゃあお」

 サロンに響く可愛い鳴き声に振り返るとフェリシエルの愛猫ミイシャだった。

「ミイシャ、おいで!」

子猫はまるでフェリシエルの言葉わかるように彼女の腕の中に飛び込む。妹は破顔し子猫を抱きあげるとサロンを後にした。


その表情にはまだあどけなさが残りシャルルは心配だった。



 ◇◇◇

 

 フェリシエルはドリスと久しぶりに会えることを楽しみにしていた。なぜなら、最近フェイリシエルの周りに現れるのは、これから彼女を陥れる予定の攻略対象者ばかり、いつも悪い意味でどきどきして心臓に悪い。たまには乙女ゲームに登場しなかった。モブキャラにあって癒されたい。


 今日はドリスにミイシャを紹介しようと、フェリシエルは意気揚々と玄関までドリスを迎えに行った。

 

 ここはファンネル家の色とりどりの花々が咲く庭園。令嬢二人は差し向いに座っている。焼き菓子を食べながら旧交を温めている途中でドリスが突然涙を流した。


「もう、本当にどうしたらいいのか……」


 その言葉を皮切りにわっと泣き伏したので、フェイリシエルは慌ててハンカチを差し出す。

「いったい、どうなさったのですか?」

「実は……」

 嗚咽しながら彼女は事情を語り始めた。


 一年前、領地が干ばつに見舞われたという。父のドリモア伯爵は領地の資金繰りのため東奔西走し、その甲斐があって、最近になって少しずつ持ち直してきた。


 ところがひと月ほど前、ドリモア卿のもとに怪しい人物がやってきて、外国での投資話を持ち掛けてきたという。家族で反対しているのだが、ドリモア卿は聞く耳を持たないらしい。


「せっかく、領地も持ち直してきたのに。父はお金で苦労したせいか。怪しい儲け話に目がくらんでしまって。このままでは領地さえ失ってしまいそうで」


 そう言ってドリスは小さく震えた。助けてあげたいのはやまやまだが、正直フェリシエルもどうしていいのか分からない。よその家の問題だ。とりあえず慰めの言葉をかける以外できることはなかった。

 ドリスも話して少し心が軽くなったのか、帰るときには笑顔すら見せが、それが逆に切ない。助けてもらいたかったわけではなく、胸の内を聞いて欲しかっただけなのだろう。

 

フェリシエルは切ない気持ちでミイシャともに彼女を見送った。



 

 その夜、フェリシエルは昼間届いた金の鳥かごを部屋に取り付けた。中に特注の回し車も設置した。これで可愛いハムスターが見つかれば完璧だ。本当はサテンシルバーの王族ハムスターに使っていただきたいのだが、彼が中に入ってくれるとは思えない。

(そうだ。何か罠を仕掛けましょう!)


 フェリシエルはハムスターの部屋を整えながらもふとドリスの話を思い出す。誰に相談したらよいのだろう? 兄のシャルルはドリスの家を「斜陽」などと言っていたし、協力してはくれないだろう。王子はどうだろうか? いやいやもっと相談に乗ってくれなさそうだ。そもそも彼とは自由に会えない。


 その時、こつんこつんと窓を叩く音がした。フェリシエルは王子かと思ったが、今日は新月ではない。無視しているとひたすらこつんこつんと窓がなり続ける。それはもう、しつこくて……。

 うるさいので、カーテンをさっと開けた。するとそこには人ならざるものの影が……!


「ねずみ?」

「おまえ……それ、わざとだろ」


 バタンと窓を開けると王族ハムスター。サテンシルバーのもふもふ。フェリシエルは即座に取り上げ、なでなでした。

「どうしたんですか? 今日は満月ですよ」

王族ハムスターに頬ずりしながら言う。触り心地がエクセレント。

「ええい。もう離せ。こちらにも、いろいろと事情があるのだ!」

フェリシエルの手の中でハムスターがジタバタ暴れる。

「それが離せないのです」

「おい! いい加減にしろ」

がぶっとフェリシエルの指をかんでハムスターがシュタッと飛び降りる。


「殿下、危ない!」

「シャーー!」

 ミイシャが毛を逆立て王子を威嚇した。


「だめよ。ミイシャ」

 フェリシエルが慌てて王子を床から拾い上げる。


「殿下、申し訳ございません! この貴賓室にて、しばらくお待ちくださいませ」

 とりあえず王族ハムスターを金の鳥かごにしまってしまった。

「こら! 鳥かごにしまうやつがあるか!」

 殿下が怒っているがそれどこではない。先ぶれもなしに猫を飼っている家に来るハムスターが悪いのだ。


「ミイシャ。いい子ね。落ちついて」

 優しく声をかけ抱き上げた。

「今日はね。お部屋で一緒に寝れないの。まだ今度遊びに来てね」

しかし、いつもは聞き訳がよく賢いミイシャが金の鳥かごの中にいるハムスターを睨んでいる。


「フェリシエル、気をつけろ。その猫、普通の猫ではないぞ。おかしな術がかかっている」


 王子がそういった瞬間、ミイシャがフェリシエルの腕をすり抜け、鳥かごに向かってジャンプした。籠の底に猫の手が当たり、激しく籠を揺らす。


「だめよ。ミイシャ、やめて」


 フェリシエルは鳥かごを夢中で抱きしめた。ハムスターが柵に叩きつけられてしまう。


「どうして……。フェリシエルはぼくより、その獣が好きなの?」


 今にも泣きそうな子供の声が聞こえた。思わず、鳥かごの中をのぞく。王子の声ではないし、声は後ろから聞こえてきた。


 振り向くとそこにはミイシャではなく小さな男の子がいた。ただし……それにはもふもふの猫耳が生えていた。


「え? アレ? ミイシャは?」

「そいつがさっきの猫だ」


 声はフェリシエルの上から降ってきた。ハムスターではなく人に戻った王子が彼女の前に立っている。


「え? 籠脱け?」

「驚くところ、そこではないだろう? 現実逃避は見苦しい。そいつは可愛い子猫なんぞではなく獣人だ」


「えーーー!」



 そんな馬鹿な! 私って人外ホイホイだったのぉ?


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