第20話 sense of loss 1

ミイシャが獣人だったというショックは思いのほか尾を引いた。前世の記憶が戻って心細かった頃いつも子猫が慰め、癒してくれていた。

 しかし、獣人の正体を現してから、フェリシエルのもとに姿を見せなくなった。王子の口ぶりだとあまりよくないものであるようだが、日に日に喪失感がまし、会いたくてたまらなくなる。


 代わりの猫を飼おうとも思ったが、どうもピンとくるものがない。王子に匹敵するサテンシルバーのハムスターが市場で見つからないのと同じ感覚だった。

ミイシャは気まぐれな子猫だったので、今までもしばらく姿を見ないこともあったが、ここまで寂しく思ったのは初めてだった。



◇◇◇



 今日は定例の王子との茶会だったが、また王妃とメリベルが現れいつもの茶番が繰り広げられた。フェリシエルは、ただ微笑し、王子のいうことに適当に相槌を打ち、虚ろに時をやり過ごす。


 帰りに王宮の図書館によった。城とは別棟で地下から四階まである大きな建物である。城は新しく建て替えたが、図書館は随分古いものを使っているらしい。世界各国の希少本も多数あり、昔の武具や農具なども展示されている。


 フェリシエルは、兄にアドバイスされた財務関連の入門書を借りにきたのだ。城に何度もきて、ジークやモーリスといったヒロインの攻略対象と出くわすのはこりごりだった。


 だから、茶会の帰りのついでに借りようというわけだ。モーリスは図書館が好きそうだが、きっとジークのようなタイプは図書館には来ないから出くわすことはないだろう。ついでに勉強をして帰ろうかと先週出た課題も持ってきていた。


 フェリシエルは目的の本を探す前に獣人関連の図書を見に行った。我ながら未練がましいとは思う。あの日は満月だった。ミイシャの人化と月は何か関連があるのかもしれない。  そういえば王子は朔の晩に数時間人になれないと言っていた。獣人と言ってもいろいろ違いがあるのだろう。いや、王子は神獣か


フェリシエルが真剣な表情で何冊か本をみつくろっていると


「やあ、フェリシエル嬢。久しぶりだね。最近あまり城で見かけなかったけれど、具合でも悪かったのかい?」


 いきなり馴れ馴れしく声をかけられてフェリシエルは、驚いて心臓が止まりそうになった。


「ジーク様、お久しぶりでございます」


 脳筋だと思っていた彼が図書館にいるとは思わなかった。騎士団長の息子である彼は、毎日鍛錬しているせいか逞しい体つきをしている。そして攻略対象の御多分に漏れず、無駄にかっこいいが、フェリシエルはマッチョな攻略対象者には興味がない。


「獣人に興味があるの? 随分と変わっているね。そういえば、俺は昔ライカンスロープに遭遇したことがあるよ」

「え? ライカンスロープって、人狼のことですか?」

「そう、獣人は危険だからね。父上ときっちり仕留めたよ」

自慢気なジークの言葉に背中が粟立った。ミイシャはどうなのだろう? 

「獣人は皆危険なのですか?」

「そうだね。特に危険なのは彼らが獣化するときだよ。それまで人の言葉が通じていたのに、完全に獣の姿になった途端、理性を失って襲い掛かってくるんだ。ここよりずっと東に獣人の国があるけれど、そこに住んでいる獣人と違って、この国に現れる野生の獣人は知性がなく凶暴だ」


 フェリシエルはその説明に少し混乱した。それならばミイシャはどうなのだろう。


「あの、猫はどうですか?」

「え?」

「だから……猫の」

「フェル、なにしているの?」


 この世でフェリシエルを人前でフェルなどとふざけた呼び方をする者は一人しかいない。


「殿下!」

まずいところで会った。きっと今の会話は聞かれていたはずだ。


「悪いね、ジーク。ちょっとフェリシエルと話したいことがあるんだ」

 一瞬、ジークが眉根を寄せたが、

「ええ、もちろん」

 といって破顔した。


 やや強引に連れ去れられたフェリシエルはジークに別れの挨拶する暇すら与えられなかった。いつも感じがよくそつのない王子とは思えない。王族なのだから、こういう態度をとっても問題はならないし、現に第二王子のエルウィンはかなり尊大だ。


 しかし、リュカ王子は違った。外面がよく礼儀正しい。それが今日はどうしたのだろう。王子とジークの間で何かあったのだろうか。フェリシエルは少し不安になった。



 乙女ゲームはヒロインのためのもの。その裏でおきる人間模様などシナリオにはない。何がどうなっているのやら。

「ねえ。財政関連の図書を借りに来たんでしょ? なんで獣人関連のところにいたのかな?」

 王子の青紫色の瞳が冷たく光る。その美貌と相まってフェリシエルは凍えそうな恐怖を覚えた。彼はフェリシエルに詰問しながらも本棚からいくつかの本を取りだしていく。


「すぐに忘れる鳥頭のフェリシエルでも覚えられそうな本だよ」

そう言って三冊ほど渡された。


「鳥頭って、失礼です!」

「ん? じゃあ。課題はどこまで終わったの? 前回の授業ではミスが多かったって聞いたけど」

なぜか王子が知っている。フェリシエルは悔しくて唇をかんだ。


「課題出して」


 有無を言わせぬ口調だった。フェシエルは仕方なく課題を出す。彼はそれをひと通りみると「基本的なことがわかってないようだね」と言いながら、また数冊本を見繕う。フェリシエルは合計五冊の本を借りることになってしまった。


 重いなと思っていると王子がすべて荷物を持ってくれた。彼は従者が持とうとしたのを断る。フェリシエルは王子の紳士的な態度に驚いたが、ここは城のなかで、皆が彼に注目している。婚約者との仲の良さをアピールしたいのだろう。王子は感じよく図書館の司書たちにも声をかけていた。


 建物を出たところで、フェリシエルは素直な感想を口にする。

「王族って大変ですね。いろいろ気を使って。面倒くさくないですか?」

「君、時々、とんでもないこと言うよね」

 微笑んでいるが目は笑っていない。フェリシエルは失言に気が付いて、すぐに謝罪した。

「フェリシエル。君が私と婚約破棄したい理由がわかったよ」

 王子が呆れたように耳元で囁く。


「それは、違います」

「じゃあ、なんだというの?」

 きっと前世の話をしたら気がふれたと思われるだろう。いや、それはそれでいいのかもしれない。いっそ話してしまった方が楽かも。


「今度、二人きりでお会いできる機会があれば、お話いたします」

「結婚すれば、毎日二人きりで会えるよ」


 それはどうだかわからない。きっと、彼は仕事でフェリシエルを顧みないだろう。いまの王のように側室を持つことも考えられる。

 しかし、そんな心配はいらないのかもしれない。そのうち彼の方から婚約破棄してくるだろうから。ならば早い方がよい。ただひとつ困るのは、彼がメリベルと結婚してしまうこと。ファンネル家的にも悪い気がする。


「いえ、できれば、その前に」

「そう」


 そっけない王子の返事で、会話は終わった。彼は馬車まで送ってくれた。そして、別れ際、耳打ちされた。


「ジークには気を付けて」


 フェリシエルはその言葉に驚く。どういう意味なのだろう。王子を見ると彼はさっと踵を返し城へ戻っていった。背筋がピンと伸びたその後ろ姿は、まるで戦場にむかう騎士のように見える。城は彼の家であるはずなのにまるで敵陣に乗り込むようだ。

 

 馬車に乗り込んでから気が付いた。この間、ドリモア家を助けてもらった礼を言っていなかったことに。

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