第10話 イベント1



 年若く美しい王子とその婚約者が群衆に向かって手を振ると、大きな歓声が上がった。リュカ殿下の隣で人々に向かって微笑みかけるフェリシエルは、なぜこうなったのだろうと首を傾げた。


 現在、彼女は王都の隣にあるノルド大公領に王子とともにいる。領都には大きな修道院があり、そこには孤児院が併設されている。二人はこののち慰問に訪れる予定だ。


 確かこれはゲームのイベントにあった。朧げに覚えている。

しかしあの時、隣に立っていたのはフェリシエルではなくメリベルだった。なぜこうなったのか自分でもわからない。新しく思いついた病弱設定で逃げようとしても、不思議と王子は要所要所でフェリシエルを引きずり出す。


逃げだしても王子はシャルルと仲が良いらしく、いつも先回りされ捕まってしまう。結果、もれなく公式行事には連れ出されることとなった。


ちなみに乙女ゲームのように、公式行事の時にメリベルが彼の隣に立ったことはただの一度もない。もし、そんなことがあればたいへんだ。やはりここは現実の世界で性格はさておき、王子は頭の良い人である。

まあ、性格云々に関してはフェリシエルも人のことはいえたぎりではない。


 毒を飲まされた事件以来、二人きりで茶会をすることはなかった。よって、王妃とメリベルを交えたお茶会をやっている。しかし、困ったことに今まで王妃とメリベルをそつなくもてなしていた王子が、なぜかフェリシエルと仲睦まじげにし始めた。


必要以上にフェリシエルを気遣う。今まで周りの顔をそこそこに立てていたのに今ではフェリシエルを優先する。彼の変わりように戦慄した。この間、はっきりフェリシエルを嫌いだと言っていたではないか。


 茶会の間、王妃が時折突き刺すような視線を向ける。そんなとき王子がフェリシエルの手をぎゅっと握りしめる。「フェリシエル、どうかしたの?」と優しく声をかけ、甘く魅惑的な笑みをうかべる。

(あなた誰ですか?)

 そんな問いをごくりと飲み込む。メリベルと王妃は微笑んでいるようで、瞳には仄暗い影を宿している。

祖なんな彼女たちの姿を見るにつけ、王子に向かって「やめて!」と叫びたい。


フェリシエルは、何度も王子の手を振り払いそうになった。そのうち確実に王妃に仕留められそうだ。

だが、王子の力が意外に強く、振り払おうにも物理的に手が抜けなかった。

(ほんと何なのこの人?)


 どう考えても彼の行動は彼女たちを煽っているとしか思えない。しかし、王子と二人で話す機会が全くないので、彼の真意はわからない。一時は王宮で不仲説も出ていたが、今ではすっかり熱愛説が主流となっている。フェリシエルは頭を抱えた。このまま順調にいくはずがない。だが、関係は良好な状態だ。


 そして迎えた慰問の日。このままフェリシエルは断罪されることなく無事王子と結婚するのだろうか。最近、そんな考えがチラリと頭をかすめる

(実は王子ルートと見せかけて、メリベルが別のルートを選択していたとか?)


 ここへ来るとき、同じ馬車で来た。彼の真意を確かめようとしたが、会話はほとんど交わされず、王子は不機嫌だった。


ところが馬車が現地についた途端、上機嫌で紳士よろしくフェリシエルをエスコートし始めた。彼の外面のよさに腹が立ち、足の一つも踏んでやろうかと思ったが、王子は察しがよくなかなか実行に移せない。おかげでもう少しで無様に転ぶところだった。悔しい。

 もしかしたら王子は犯人を知っているのかもしれない。だから余裕なのだろうか?


 二人は民衆への挨拶のあと、やたらと大きく重厚なつくりの修道院内を視察した。孤児院の子供たちが歓迎の聖歌を歌う。その後、控えの間に通された。赤の絨毯が敷き詰められ、調度品は贅を凝らしていた。この修道院は貴族の未亡人が多く、資金も潤沢だ。


 それなのに孤児院の子供たちは元気そうだが、それほど豊かな生活をさせてもらっているようには見えない。よく見ると服は粗末で、皆一様に痩せている。随分と寄付金が集まっていると聞くが、所詮は貴族の慈善事業。この修道院は大公の広告塔なのだろう。


「どうした。修道院がそんなに物珍しいのか?」


 フェリシエルがしげしげと応接間に飾られているツボを見ていると、王子が珍しく話しかけてきた。


「別に……。ただ、ここにある壺の一つも売れば子供たちにもっといい生活がさせてあげられるのに思っただけです」

「へえ、随分殊勝なことを言うのだな。それとも何かの冗談か?」


 フェリシエルはカチンときたが、相手にしない事にした。彼は喧嘩がしたいのだろうか。いや、彼女のことが気に入らないにしても、先ほどからカリカリし過ぎている。不機嫌というより、なんだか様子がおかしい。改めて王子を見た。


「何か心配事でも?」

 フェリシエルが問うた時、部屋にノックの音が響いた。

「失礼いたします」

修道女が子供連れて訪ねてきて、ぜひ修道院で作っている菓子を試食してほしいという。確かに王子が美味しいと言えば宣伝になる。しかし、彼が口にするものは誰かが毒見をしなくてはならない。


 当然断るだろう思っていた王子が快く引き受けた。これには従者も面食らったようだ。急遽、従者が毒見を引き受けようとしたが、王子がそれを認めなかった。迷惑な話である。彼に何かあったら、疑われるのはフェリシエルだ。当然二回目となれば、ただではすまない。罰を受けるのは、いつでも周りの者だ。

 フェリシエルは怒りの視線を王子にそそぐが、彼は知らん顔を決め込んでいる。


 仕方がないので王子に差しだされた一欠片をフェリシエルが横から奪って口に入れた。さくりとしたビスケットは口の中でほろほろと溶けた。バターの香りが鼻をつき、素朴な味わいに懐かしさを覚える。

 

 「とても美味しいですね」


 フェリシエルが極上の笑みを浮かべて素直な感想をくちにする。彼女のとった突飛な行動にあっけにとられていた修道女たちも、その笑顔に引き込まれるように微笑んだ。

 王子はというとフェリシエルを穴が開くほど凝視していた。相当驚いたようだ。フェリシエルは胸がすくような思いがした。


 その後、貴賓室の準備が整ったからと迎えが来た。長く眺望の良い回廊を歩く。途中、貴賓室には従者や侍女などの使用人は入室できないと聞いた。フェリシエルは嫌な予感がした。王子を守る者がいなくなってしまう。しかし、控えの間と貴賓室は近いからと言われると王子は快諾した。


 フェリシエルは目を丸くした。公にはなっていないが、この間命を狙われたばかりなのに無防備すぎる。まるで自ら罠にかかりに行くようなものだ。彼は何を考えているのだろう。

 そして二人は観音開きの大きな扉の前に立った。扉には金の縁取りがあり、ユリの花をモチーフとした凝った装飾が施されている。ノルド大公家の紋章だ。


 貴賓室というだけあって、部屋は確かに豪華だった。壁に絵画が飾られ、家具は優美で金のかかっているものばかりだ。しかし、どこか違和感がある。部屋もなぜか全体的にほこりっぽい。そう、まるで長く使われていなかったように。


「では、ごゆっくりお過ごしくださいませ」


微笑みを浮かべた修道女は扉をゆっくりと閉めた。


 この状況怪しすぎる……。

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