第7話 罠
その夜、フェリシエルは前世の夢を見た。
毎日仕事が忙しく、社畜生活から逃げるように乙女ゲームにのめり込んでいた。課金しまくったお気に入りの王子様ルート。本来ならば、婚約者であるフェリシエルがやる予定だった公式行事を王子とヒロインがこなし、二人はだんだんと愛を深めあっていく。その過程がよいのだ。前世の彼女はどきどきしながら現れる選択肢を選んでいく。
そんなある日ヒロインにとって劇的な事件が起こる。それにより悪役令嬢は退場を余儀なくされた。その事件は――
そこでフェリシエルははっとして目を覚ます。
(劇的な事件? いったい何が起こるというの?)
いくら自分に問うても答えはでなかった。前世の記憶は所々に穴があり、すべてを思い出せているわけではない。
翌朝、ファンネル家の明るく日のさす食堂で兄のシャルルを捕まえた。父はもう王宮に出仕した後だった。
「ねえ、お兄様。ベネット家ってどういう家なのですか?」
「珍しいね。そんなことを聞いてくるなんて。それは、メリベル嬢が気になってのことかい」
シャルルが片眉をひょいと上げる。
「今は前ほど彼女のことは気になりません。それよりもメリベル様は最近伯爵家に入った方であるにも関わらず王妃陛下が懇意にしていらっしゃるので何かあるのかなと思いまして」
シャルルはしばし黙考した。フェリシエルに話していいものかと逡巡しているようだ。
「あの家にはあまり良い噂はない。裏社会とつながりが深く、お抱えの呪い師がいるという話も聞いている」
「呪い師ですか?」
それは物騒だ。この世界には当然のように魔法も呪いも存在する。
「ああ、あくまでも噂だが、それを使って敵対勢力を呪っているというのだ。それに財力はかなりある。うちに匹敵するかもしれない。悪辣な商売をやるバクスター商会とつながっていて、ベネット家がいろいろと怪しい商売に出資しているようだ。どれも証拠がつかめなくて推測の域を出ないがな」
残念そうに兄が言う。
フェリシエルには今一つピンとこなかった。それにしても兄はきちんとベネット家の情報を収集しているようだ。やはり、ファンネル家の対抗勢力なのだろうか。
「それは、たいへんなお金持ちというわけですか」
シャルルは渋い顔をした。
「そうだ。王家に一目置かれるくらい。だからと言ってお前の殿下との婚約が揺らぐことはないから、安心しろ」
シャルルはフェリシエルを安心させるように微笑む。
だが、そうは言われてもあと半年もしないうちにはあっさり婚約は破棄されてしまう。原因は何?
「安心しろとは、何か根拠や保証があるのですか。お兄様の話を聞いているとベネット家はファンネル家の政敵のように聞こえるのですが?」
すると兄が「はあ」と残念そうに溜息をつく。
「フェリシエル、お前はそういうところに気をつけろ」
「はい?」
「可愛げがない。まあ、私にはいいが、殿下には口の利き方に気をつけろよ。プライドの高いお方だ」
(お兄様、忠告が遅いです。フェリシエルはとっくにやらかしました)
「以後気を付けます。今のお兄様のお話をざっくりとまとめると、私が殿下にとても嫌われない限り婚約解消はないという事ですね」
シャルルは苦笑した。
「そういう事だ。せいぜい発言には気を付けてくれ。ただ殿下は一時の情に流されることはないお方だ。例えお前が気に入らなくとも婚約が解消になるとは思えない。それに王妃陛下にはお前と殿下との婚約を覆すほどの力はないよ。茶会をメリベル嬢と一緒に邪魔をするからといって気に病むことはない。それよりどうしてこんな話をするんだ。殿下と何かあったのか、それともメリベル嬢から何かしかけられたか?」
シャルルは王妃もメリベルもあまり好きではない。それは話をしているフェリシエルにも伝わってくる。兄が彼女らを語るとき、いつも眉間に軽くしわを寄せる。多くの殿方が夢中になる可憐なメリベルになびかない兄を頼もしく思う。
「いいえ、何も。もう、嫉妬心などありませんから。ただ、メリベル様はどんなお家で育った方かと疑問に思っただけなのです」
わざわざ兄に王子に嫌いだと言われたことを伝える必要はないだろう。前世の言葉に知らぬが仏、沈黙は金というものあったような気がする。フェリシエルは口を噤んでいることにした。
そのとき食堂のドアがバタンと大きな音を立てて開いた。
いつもは冷静な執事のテイラーが、少し慌てた様子で食堂に入ってくる。珍しいこともあるものだとみていると、シャルルに耳打ちをした。
兄の表情が見る間に険しくなっていく。彼はフェリシエルにゆっくり食事をするようにと言いおくと、執事をともなって食堂から出ていった。嫌な客でもきたのだろうか? あのような兄の姿を見たのは初めてだ。
フェリシエルは嫌な予感がしたので食事を早々に済ませて、何が起こっているのか見極めるため客間へ向かう。すると玄関ホールの方が何やら騒がしい。何事かと覗いてみると、数人の騎士と官吏がきていた。
「無礼だぞ。これではまるで罪人のような扱いではないか。フェリシエルは渡さない。きちんと父を通したうえでの申し出ならば話を聞こう。それも王宮ではなくこの家の中でだ」
シャルルが威厳を持って言い放つ。
突然のことでフェリシエルは混乱しかけた。断罪にしては早すぎるし、第一身に覚えがない。それとも王子が昨日のことを根に持っての嫌がらせだろうか? だが、それにしてはことを荒立てすぎだ。あの計算高い王子のやり方ではない。
やり取りはだんだんと激しくなっていく。相手は王命で来ているのだろうから、次期当主が相手でもなかなかひかない。
跡取りである兄が不敬罪になったらファンネル家の一大事だ。それに原因は自分にあるようだし。フェリシエルは腹を括った。
「私に何か御用でしょうか?」
フェリシエルは胸を張って前に進み出た。兄は必死に止めたが彼女は官吏と騎士ともに馬車にのりこんだ。
さすがに縄を打たれることもなく扱いも丁寧だが、逃亡は許さないとばかりに馬車の中では両側をガタイのよい騎士に挟まれる。確かに罪人のような扱いだ。どこの貴族令嬢が走る馬車から飛び降りて逃げおおせるというのだろう。
フェリシエルが王宮へ行くのは賭けだった。冤罪の罠かもしれないのだ。しかし、断罪はこんなに早くなかったはずだ。いったいこれから何が起こるというのだろう。
王宮に付くとハイネス卿の執務室に連れていかれた。卿は貴族専門の取り調べ官だ。さすがに公爵家令嬢を取調べ室に連れていくわけには行かなかったらしい。続き部屋の応接室に通された。
挨拶がすむと着席を促された。じつに座り心地の良い椅子だ。しかし、目の前には喉を潤す紅茶すらない。
フェリシエルはハイネス卿とむかい合う。薄いブルーの瞳に酷薄そうな唇。いったい、なんの咎を問われるのか? 今のところ、まったくといって身に覚えがない。
「昨日殿下と二人きりで茶会をしましたね」
「はい」
それがどうしたというのだろうか。まさか今更王子が腹を立てているとでもいうのだろうか。
「なぜいつもの庭園ではなく。あのような奥まった部屋へ? しかも未婚の男女が、人払いまでしたそうではありませんか?」
まるでフェリシエルが連れ込んだような口調だ。
「すべては殿下がお決めになった事です」
こんなくだらない質問をするために呼んだのかと、カッとなったが抑えた。対峙した二人の間にしばらく沈黙が落ちる。
どうやらフェリシエルが不安になって話し出すのを待っているようだ。見え透いた手を使ってくれる。臆せず彼の目を見返した。
しかし、これはいったい何取り調べなのだろう。
「殿下が毒を盛られてね」
ハイネスに言葉にフェリシエルの頭は真っ白になった。
「え?」
死んだの?フェリシエルはガタンと椅子から立ち上がる。
「それで、殿下は?」
「……一命は取り留めました」
ハイネスが重々しい口調で言う。
「容態はどうなのです?」
フェリシエルが更に畳みかける。
「それがあまりよくはなくて……」
と言葉を濁す。
(そんな馬鹿な、昨日はあれほど元気だったのに)
フェリシエルの心臓がどくんと脈打つ。
「それで昨日は殿下と二人きりで茶を飲み菓子を食べたのですよね。誰もいない二人きりの部屋で」
「は? それが何か……」
そこで彼女はハッと目を見開いた。どうやらフェリシエルは毒を盛った犯人にされるらしい。
(私は嵌められた……)
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