第6話 茶会
領地から帰り十日ほどのんびりした後、王子のお茶会に呼ばれた。
憂鬱だった。茶会など行きたくはない。なるべく王宮には近づきたくないのだ。それに短い時間とはいえ、王妃やメリベルも参加するかと思うと気が重い。
侍女ヘレンのすすめる華やかなドレスを断り、ベルベット地の濃紺のドレスを選んだ。これならば、明るい色を好むメリベルとかぶることはない。
王子との茶会のため、いつもの控室にヘレンと向かっていると、王子の侍従が迎えに来た。そのままいつものバラ園ではなく執務室に通される。こんなことは始めてだ。そこでは王子が待ち構えていた。いつもの習慣で機械的に挨拶は済ませたが、フェリシエルは聞かずにはいられない。
「どうなさったのです?」
しかし、王子はその質問には答えない。
「ここの所、体調が悪いということでお妃教育に出ていないようだけれど、随分と元気そうじゃないか」
褒美をもらった日、体調を理由に早めに帰らせてもらってから、王宮には足を向けていない。しっかり王子はチェック済みのようだ。
「……」
彼は、嘘は許さないとばかりに綺麗な顔に作り笑いを浮かべている。
「まあ、いい。ちょっと話がある」
そういうと王子はフェリシエルを王宮内部へといざなった。いつもの庭園へ出る回廊から一歩奥へはいると歩いたことのない廊下が続く。どこで茶会をやるのだろうと、さすがに不安になってくる。ここまで奥深くには来たことがなった。
王子は観音開きの立派なドアの前にたつ。
「この部屋は内緒話をするのに適しているのでね」
そんな風に言いながら王子は部屋へ入った。
椅子もテーブルも重厚な趣のある贅沢なものだった。濃茶の家具は金で縁取られている。豪華だが、どこか重苦しく古臭い雰囲気だ。
しかし部屋の四隅に配置されたアミュレットにフェリシエルは気づく。部屋には結界が張られていた。
王子は早速人払いをし、本当に誰もいなくなった。いつも距離をおいて空気のようについている従者も侍女もメイドも綺麗さっぱり部屋から出て行った。
仕方がないので、フェリシエルはまた手ずからお茶を淹れる。
テーブルにはさきほどまでいたメイドが用意してくれた美味しそうなフィナンシェがある。王子がすすめてこないのでフェリシエルは勝手にプレーンに手を伸ばした。誰も見ていないから、多分無礼講。
「時間の無駄を省きたい。単刀直入に聞く。どうして私と結婚したくなくなったのかな? 避けてるよね? 理由を聞かせて?」
フェリシエルはフィナンシェをパクリと口に入れたまま固まった。
「はい?」
いきなり確信をつかれた驚きと、時間稼ぎのため中途半端な返事をした。そして、紅茶をゆっくりと飲み干す。本音を言えば、愛が冷めたからということになるのだろうか。だが、かつて彼を愛していたという記憶は残っているが、実感がまるでない。
自分が死ぬかもしれないとわかった瞬間の掌返し、もともと自分はセルフィッシュな人間だったのだなと思う。
「時間稼ぎはやめてくれ。理由は?」
そういうと王子はカカオのフィナンシェを口に放り込む。初めてみる彼の不作法さに驚きを感じたが、それでも優雅で品がある。彼の纏う空気がそう感じさせるのだろうか。だてに生まれた時から王子様をやっているわけではないのだろう。
「いやだというのではなく。私には王妃は務まらないと思います。自信がありません」
というかフェリシエルに王妃なるという将来がないのは確定なのだが、彼にそれをうまく伝えることはできそうもない。
「そうは思えない。いつでも君の態度は堂々としたものだ」
王子様スマイルはどこへやら、いつもは見せないシニカルな笑みを浮かべる。とんでもない二重人格者だ。ゲームにはこんな設定絶対になかった。
「私はメリベル様に悋気を起こして、少しきついものの言い方をしていたようです。器の小さな人間です」
そんなこと欠片も思ったことはないが、できるだけ謙虚な態度を心がける。
「何か勘違いしていないか? 別に私は彼女に懸想していないけれど? 婚約者がある身でそのような浮ついたことはしない。そんなことをすれば評判が落ちて、私の今までの努力が水の泡ではないか」
無茶苦茶計算高いことをさらりと口にする。
確かに彼はよく勉強をし、よく働く。最近では陛下の代行もつとめるようになっている。しかし、これが乙女ゲームの王道ヒーローの裏の顔とは恐ろしい。
「前にも言ったが、これは政略結婚だっていうのはわかっているよね? 好き嫌いの感情で簡単に覆ることではない。それともファンネル家で第二王子を推すながれでもあるのか?」
王子が疑うように目をすがめる。
「はい? いえ、別に私は何も聞いていませんが……」
予期していなかった質問に戸惑った。無理もないフェリシエルは今世では王子だけを見て生きてきていたので政治的なことには興味を持ったこともなく、貴族同士のパワーバランスにも疎かった。
前世を思い出す前ならば、これを利用してやきもちを焼かせようなどと浅はかな事を考えたかもしない。そう、例えばほかに思いの人がいるふりをするとか。つくづく恋は人を愚かにする。
「それは現時点では、私と結婚したいということなのですよね?」
フェリシエルは一応確認を取った。
彼の近頃の態度を思うと、到底好かれているとは思えない。婚約当初の子供頃はもう少し話をしていたし、遊んだこともあったような気がする。
しかし今は茶会というと砂時計を持ち込み時には仕事の書類まで持ち込む。ワーカホリックなのか単にフェリシエルが気に入らないのか。
「当たり前だ。君と結婚できなかったら、公爵家という大きな後ろ盾がなくなってしまうではないか。それとも愛だの恋だのという妄言を聞きたいのか?」
いつもの王子様スマイルはなりを潜め、ぶぜんとして答える。これが今の彼の本音。がしかし、あと半年もすれば、その妄言をこの王子が口にして、フェリシエルは婚約破棄を言い渡される。理不尽だ。
人払いがされているので丁度いい。フェリシエルもこの機会に言いたいこと言うことにした。
「いえ、そうではありません。有利な条件で国王になりたいのなら、なおの事私と上手くやった方が良いのではないですか。失礼を承知で言わせていただきますが、今のままの関係では結婚したとしてもお互い情すら芽生えないと思います。もしも、民のことを思い立派な国王になりたいとお思いでしたら、夫婦仲が良い方がいいのではないでしょうか?」
「だから、今君と上手くやれと?」
王子のガラス玉のような瞳には何の表情も浮かんでいない。これ以上いったら、不敬罪に問われそう。フェリシエルは話の流れを変えることにした。
「別にファンネル家と婚姻を結ばなくても大丈夫ではないでしょうか。うちはリュカ殿下派ですから。そこは心配なさらなくても良いかと」
「どうして、そう言い切れる?」
彼の心には保身と野心しかないようだ。
なぜ、以前のフェリシエルは理性を失うほどの恋をしたのか不思議だ。前世を思い出しとはいえ、あの時のヒステリックな状態は記憶している。
ただし、愛は跡形もなく消えているが……。
メリベルに嫉妬するなど我ながら馬鹿なことをしたものだ。自分を危うい立場に追いやるだけ。恋など冷めてみればこんなものかもしれない。自分の中から何かがごっそり抜け落ちたようで虚しく感じることすらある。
ファンネル家の父と兄は今のところ第二王子や大公をともに使えないと考えている。つまり今目の前にいる王子は群を抜いて優秀で、彼以外に王位を継ぐのはありえないと考えているのだ。しかし、フェリシエルにそれを伝えてやる義理はない。
「そんな事より、王妃陛下がおすすめのメリベル様と婚姻を結んだ方が良いのではないでしょうか?」
ゲームなら、そろそろメリベルにほだされる頃だ。王妃の手前という事もあるだろうが茶会への彼女の参加を拒まない。
「なぜだ? 伯爵家とはいえベネット家の権力は侮れない」
どういう事だろう? 言っている意味が分からなくてフェリシエルは首を傾げる。
「それならば殿下の強力な後ろ盾になるのではないですか? それともベネット家だと何か不都合なことでもあるのですか?」
その発言に王子が柳眉を逆立てた。
「だから、私はお前が嫌いだ」
どうやら痛いところをついてしまったらしい。釈然としないものは感じるが、フェリシエルはまだ死にたくはないので素直に謝罪した。確かに不躾で出すぎた発言であった。
しかし、このような性格だからこそフェリシエルには、王妃の適性がないように思える。いくら実家がよくても問題なのではなかろうか?
前世を思い出した衝撃からか、嫉妬で曇った視界がクリアになり、王妃になるのは自分しかいないという妄執から解放され、冷静に物事を考えられるようになった。
認めたくはないが、可憐な美しさと計算高さを併せ持つメリベルの方が、よほど政治力があり王妃に向いていそうだ。
◇◇◇
城から家に帰ると疲れがどっと出た。随分気を張っていたようだ。疲れをいやすべく、のんびりと湯浴みをし、読書をした。
ふと王子の綺麗な顔から流れる生々しい言葉を思い出し、ここがゲーム世界などではなく現実だと思い知らされる。ちょっと油断すれば、足元をすくわれる。これからは発言も行動も慎重にせねばなるまい。
ゲームの中のリュカ殿下はフレンドリーでヒロインに誠意を尽くし常に優しい人物だった。しかし現実の王子は勤勉で人とは一定の距離を保ち、嫌いな人間に対してはとことん冷淡になれる人のようだ。残念なことに顔の良さと地位以外ゲームの要素と一致しない。いや、外面だけはやけにいい。
このままいけばフェリシエルは断罪されるだろう。幽閉などという生ぬるいことで済まされるだろうか。次に打つ手を考えなければならない。
今はフェリシエルと結婚をするつもりでいるようだが、どこかで手のひらを返すはずだ。きっかけは何なのだろうか?
ベネット家との間にこれから何か起こるのだろうか。明日それとなく兄のシャルルに聞いてみよう。情報収集は生き残るために必須だ。
フェリシエルが思索にふけっていると「にゃあ」と可愛らしい鳴き声が聞こえた。真白な子猫が現れる。
「ミイシャ、来ていたの? こっちにおいで」
子猫はまるで彼女の言うことがわかっているようだ。膝に乗り丸くなる。ふわふわで毛糸玉のようだ。どうやら今夜はミイシャが一緒に眠ってくれらしい。フェリシエルはその柔らかい毛並みに癒された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます