第5話 褒美
「お嬢様。救援物資が無事届きました」
公爵家にしては質素な朝食を食べていると、彼が急ぎ知らせに来た。
「そう、思ったより早くてよかったわ」
フェリシエルは鷹揚にうなずくと具の少ない薄いスープをすくって口に運んだ。そして固い黒パンを口に含む。橋も一部流されたと聞いていたので、なるべく倹約していたのだ。おかげで、すっかり緩んだウエストも元のように引き締まった。
「それが……殿下もいらしてます」
「は?」
フェリシエルは驚きに目を見開く。いつも執務に忙しいと言っているのに、いったい何しに来たのだろう。
仕方がないので、王子を迎えるため慌てて身繕いをした。しかし、そこではたと思いつく。フェリシエルが領地にいる間にメリベルとの仲が深まり、この婚約を白紙に戻ろうと考えているのかもしない。そう考えるとウキウキしてきた。
(よし、このまま幽閉エンドで!)
フェリシエルは意気揚々と王子の通されている客間に向かう。
「ろくにお構いもできませんが……」
殊勝に頭を下げると王子は機嫌のよい笑みを浮かべ
「気にする必要はない」
と言う。フェリシエルが初めて見る飾り気のない笑顔になぜが悪寒がした。
客は王子だけではなく、なぜかレスター公爵家子息で騎士のジークもいた。彼もヒロインの攻略対象でフェリシエルを断罪する一人だ。濃茶の髪にきりりとした濃い目の眉に緑の瞳、方向性は違うが王子と同じで無駄に顔がいい。顔面偏差値の高い二人が並ぶと神々しいばかり。脇役恋愛スパイスの悪役令嬢など一瞬で霞んでしまう。
「フェリシエル、今回は大変だったね。君は見事に貴族の努めをはたした。国王陛下が君に褒美をとらせたいと言っている」
「はい? それはなぜですか?」
(婚約破棄の話じゃないの? なんで褒美? 私は自領の面倒を見ただけなのに)
意味が分からない。
「ファンネル嬢。殿下に失礼だ」
ジークが窘めるも、いつもより声音は幾分柔らかく、口の端に笑みさえ浮かべている。二人ともどうしてしまったのだろう。なんだか妙に上機嫌で紳士で気持ちが悪い。
フェリシエルは首を傾げつつも、
「いえ、大したことはしておりませんので。むしろ当然のことをしたまでです」
慌てて固辞する。これはおそらく王都に戻れということなのだろう。冗談ではない。
「フェリシエル、一緒に王都へ戻ろう」
王子のとどめの一撃にフェリシエルは顔色を失った。幽閉エンドに向かうかと希望をもった矢先だったに……。わなわなと唇を震わす。
「どうかした? 王都に帰れるのが嬉しくないのかい? 噂ならもうおさまったよ」
「おさまったというと?」
「ああ、全く。呪いなどと、根も葉もないひどい噂を流す輩もいるものだ」
とジークが口を開いた。
なぜか彼がフェリシエルの味方のような口を利く。常日頃フェリシエルに対してつっけんどんであったのに、いったいどうしたというのだろう。それに舞踏会での断罪シーンではルートによってはフェリシエルに斬りかかってきたこともある。
「今回の君の素晴らしい働きは王都でも評判になっているよ。そのおかげでおかしな噂は払しょくされた」
「すばらしいよ。フェリシエル嬢。俺はいままであなたを誤解していたようだ」
二人の殿方にほめそやされた。
フェリシエルはついうっかりほだされそうになりながらも考える。果たしてこのようなイベントがあったのかと……。
(多分、なかったわよね?)
「ですが、領民が心配なのです。まだここを離れたくありません」
やはり一番心配なのは自分の命なので、最後のあがきを見せる。領地から離れたくはない。王都には不安材料が多すぎる。
だが、王命に逆らえるはずもなく王都に戻ることとなった。また振り出しである。
フェリシエルが何とか絶望を顔に出さずに、今後の日程について話し合っていると、猫のミイシャが入ってきた。綺麗な白い毛並みの子猫がフェリシエルの膝上にのる。
すると王子が飛びのいた。
「その猫、連れてきたのか?」
「はい、いつの間にか荷物の中に紛れていたんです」
フェリシエルが自慢げにミイシャを披露するが、ジークは猫を見て立ち退いた王子を驚いたように見ている。しかし、王子は何事もなかったかのように振る舞うと再び腰かけた。 フェリシエルの膝の上には相変わらずミイシャが乗っている。王子は猫が苦手だ。こうしている今も隙を見せまいと嫌悪感を抑えているのだろう。
そうだ。王子に断罪されるときミイシャを連れて行こう。そして脅かしてやるのだ。フェリシエルはミイシャの柔らかな手触りを楽しんだ。
王都に戻ると、隣国へ嫁いだ姉アデルが久しぶりに帰って来ていた。
「フェリシエル、あなたの活躍は聞いたわ。とても素晴らしいレディに育ったのね」
開口一番そういって姉はフェリシエルを抱きしめる。
家族にとても褒められた。豪華な晩餐まで開いての歓迎ぶりだ。今まで出来て当然で褒められることなどめったになかったから、こんな風に手放し褒められるのは存外照れくさく嬉しい。
そしてフェリシエルは王宮へ向かう馬車の中で突然思い出した。なんと悪役令嬢が王から褒美を貰うというイベントがゲーム内にあったことを。だが、それも後の祭り今となっては逃げられない。
馬車から降り立つと、壮麗な城を見上げながらため息をついた。
「なんてことかしら」
前世を思い出しいながら、その記憶は途切れ途切れで後手に回り、ちっとも役に立たない。
確かゲーム内では悪役令嬢が国王から褒美をもらって、ますます調子づいて増長し、高慢になるという描写しかなかったと思う。やはり詳しくは思い出せない。というかそもそも当て馬の悪役令嬢には細かな描写はなかったのかもしれない。攻略者たちのヒロイン溺愛に終始していたように思える。
やはりゲームの強制力は確実に働いている。
煌びやかにシャンデリアの光が反射する謁見の間。敷き詰められた赤い豪奢な絨毯。侯爵令嬢として完璧な挨拶をし、国王陛下の御前にしずしずと進み出て褒美をもらう。
紳士や淑女から、投げかけられる賞賛の言葉をつつましく頂き、いつもよりずっと控えめに笑い返した。高笑いなどもってのほかだ。
ふと見るとメリベルの姿もある。彼女に近づかないように慎重に行動することにした。
しかし、危機というのはこっちが避けても向こうからやってくるものだ。何と宰相子息モーリス・オーギュストがメリベルを伴って挨拶に来た。モーリスもフェリシエルを断罪した一人である。
メリベルが薄紅に塗られた愛らしい唇をさっそく開く。
「素晴らしいですわ、フェリシエル様。それにしても、随分、カントリーハウスに食料をため込んでいたんですね。村一つ分十日ももたせるだなんて、ファンネル家の財力には驚きです! そんなに貯めてこんで籠城でもするつもりだったのですか? それでは領民も食べるものに困ってしまうかも……。領内に農民の反乱の動きでもあったのでしょうか? やはり、そちらの領地では税が高いのですか?」
メリベルはとても感じがよく魅力的な様子で話す。語り口はあくまで穏やかで、邪気無く疑問に思っていることを口にしただけという表情を浮かべている。しかし、彼女は巧妙に問題をすり替えている。さり気なく陥れようとしていた。可憐なふりをして侮れない。だから、フェリシエルは彼女が嫌いなのだ。
それにメリベルに名前を呼ぶことを許した覚えはない。身分からいったら彼女のとっている態度は失礼だが、王子との茶会に王妃とともに参加することが多いのでそれも致し方無いのかもしれない。またメリベルのそういう態度が裏表なく明け透けで良いと殿方や一部令嬢たちに受けている。
メリベルは男性に甘えるのが上手で、それとは真逆なフェリシエルは彼女に嫉妬していた。だが、冷静になってみるとメリベルは意外に計算高い。男女ともに受けの良い女性は性格が良いわけではなく、時としてずるいこともある。前世の記憶とともにそんなことを思い出した。
メリベルの言葉に何と答えるのが正解なのかと考えているとモーリスが口を開いた。
「メリベル、それは、ちょっと失礼ではないかな?」
フェリシエルを庇ってくれているように聞こえる。メリベルはというと美しいハシバミ色の大きな目を見開いて涙をためる。
「私……そんなつもりでは。ただちょっと疑問に思ったこと口にしてしまって、教養もろくにないのに私ったら、なんてことを。知った風な口をきいてしまい本当にも申し訳ありません。フェリシエル様」
肩を震わせ、涙声でフェリシエルの前で大袈裟に詫び始めた。これではフェリシエルが彼女を叱責したように見えてしまう。実際今までがそうだったし。
何事かと騒ぎが広がり、あたりが少しざわついてきた。儚げな面立ちの可憐な少女と、生意気できつい顔立ちの傲慢と噂される少女、加害者は誰かなどと考えるまでもない。まずい状況だ。どうあっても断罪に進むらしい。
どうしたものかと首を傾げ途方に暮れかけた頃、慌ててモーリスがメリベルに非を詫び始めた。モーリスは侯爵家子息だ。本来なら伯爵家の令嬢にそこまでへりくだる必要はない。どうやら、彼女にかなり惚れているようだ。
しかし、そのおかげで誤解は解け、フェリシエルはおかしな冤罪を擦り付けられずにすみ、胸をなでおろした。これでこのイベントは成立しなかったと思いたい。
先ほどのメリベルの「農民の乱」などという言葉はモーリスの入れ知恵ではないと思ったが、ここで疑心暗鬼になって冷静さを失ってしまったら終わりだ。
フェリシエルは体調の悪さを理由に、ひそやかに迅速に会場から立ち去った。これで健康不安のあるものとして第一王子に嫁がせることなどできないという噂が立てばなおよし。
帰り際に、夫と来ていたアデルに声をかけられた。
「どうかしたの? フェリシエル顔色が悪いようだけれど」
姉が心配している。思えば年が離れていてあまり付き合いのない姉であったが、お妃教育で忙しくなる前は生意気なフェリシエルに優しく接してくれていた。そして父母も兄も高位貴族であるから皆それなりに権力欲は強いが、愛情はたっぷりと注いでくれている。 もしも自分が断罪されたなら、一族も危うい。いまさらそれに気づき愕然とした。
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