第4話 ノブレスオブリージュ

 仮病が家族公認となったところで彼女は公爵家の綺麗に手入れされた庭園で、花を愛でながら堂々と優雅にお茶の時間を楽しんだ。


 膝には可愛い子猫が乗っている。この猫はフェリシエルが療養中に公爵家にやってきた。

 毛並みの良い猫なので最初はどこかの飼い猫かとも思い預かっていたが、どこの家も名乗りでず、結局なし崩し的に家で飼われている。なぜかフェリシエルに一番なついており、「みぃ」となく声が愛らしいのでミイシャという名前を付けてやった。


 毛足が長くふかふかで、手触りがとてもよく眠っていると時々ベッドに入ってくる。いつも家にいるのかというとそうではなく、気まぐれにやってくる。そんなときは外で喧嘩でもしていないかと少し心配だ。だが、自由気ままに生きる猫を家に縛り付けるのもかわいそうなので自由にさせている。


 そして今日も庭園の東屋でフェリシエルはこんがりと焼けたフィナンシェに手を伸ばす。巷で流れている噂は危険だ。これがメリベルを呪うのではなく王妃を呪うという噂だったら、間違いなく牢につながれ、極刑一直線。一族だってどうなるか分からない。


 時期的に断罪にしては早すぎる。何か王子の不興を買ったのか? 心当たりが無きにしも非ず……。


 ◇◇◇


 次の日、珍しいことに王子が訪ねてきた。


 客間で人払いをした。ただの見舞いではないようで、フェリシエルは訝しく思う。いつもそばで空気のように控えている侍女も従者もいない。二人きりだ。

(はて?お茶は誰が入れるのでしょう?)

 

 王子がお茶はまだかと言わんばかりにティーセットを見つめている。この国の王妃教育にお茶を入れるなどなかった気もするが、仕方がないのでフェリシエルが入れた。


 王子はいつものように懐から砂時計を取り出しセットした。さらさらと白い砂が落ちていく。

 豪華なティーテーブルに向かいあって座り、紅茶を一口飲むと切り出した。


「体調が悪いという話だったが、随分と元気そうじゃないか」

「……」


 王子は別に心配で来たわけではなく。嫌味が言いに来たようだ。


「まあ、いい。ちょっと話がある」


 何となく見当はついた。昨日兄から聞いた噂話の件だった。


「で、呪い師のもとへは行ったのか?」

「行ってませんし、誰も呪ってません」

 身に覚えがないので、胸を張ってきっぱりと言い切る。

「フェリシエル、しばらく領地に籠る気はないか?」

「え?」

 いきなり幽閉の流れのようだ。ゲームでは婚約破棄後の幽閉だったが、幽閉が先でもまったく問題ない。死ぬよりまし。渡りに船だ。

 

 ファンネル家の領地は豊かで素晴らしい土地だ。森や草原地帯が広がり、ゆったりと川が流れやがては海にそそぐ。

 フェリシエルは王子に対して怪訝そうな顔をしつつも、領地に思いをはせた。

(やった! ニートエンドだ! 死ななくて済む!)

 前世社畜だった彼女は心の中で快哉した。


「どうやら、私たちの婚約を良く思わない者たちがいるようだ」

 王子の言葉で現実に引き戻される。

「まあ、そうでしょうね」

 一応神妙な顔で頷く。


 リュカがファンネル公爵家のフェリシエルと婚姻を結べば権力はより強固なものとなる。次期王位を虎視眈々と狙う第二第王子に王弟である大公などは面白くないだろう。


「だから、フェリシエル、どうか私の力になってはくれないか?」

「はい。もちろんです」

 いつでも領地に隠遁しましょう。フェリシエルは機嫌よさげに心からの笑みを浮かべる。


「それは良かった。実は結婚を早めようと思う」

「はい?」


 フェリシエルは驚きのあまりがたりと立ち上がる。


「そ、それは誰との結婚ですか?」

「君とに決まっているだろう。他に誰がいる?」


(あれ? 断罪早まってる?)


「いえいえ、それは無理ですよ。殿下は王族です。準備だって時間がかかるし、とにかく無理です!」

 言葉だけでは足りなくて、身振り手振りで否定する。


「そんな悠長なことを言って、君が陥れられたらどうするのだ。結婚できなくなってしまうだろう」

「え?心配してくださっているんですか?」


 驚いた。ゲームとは違い現実の王子はなぜか結婚したがっているようだ。それに今目の間にいる彼は、ゲームの中の愛想がよくパリピ系だった王子よりずっと賢く、計算高く生きている。砂時計の最後の一粒が落ちた。


「ではこれで」


 王子が立ち上がったそのとき薄く開かれた扉から、猫のミイシャが入って来た。素早い動きでとんとフェリシエルの膝に乗る。


「ひぃ」

 なぜか王子は子猫のミイシャを見て悲鳴を上げた。かわいいミイシャが苦手のようだ。猫嫌いとは意外だ。やはり彼とは気が合いそうにもない。


 フェリシエルは王家の馬車を見送りしながらも、領地にミイシャを連れていけないかしらと考えた。



 ◇◇◇



 王都から馬車で片道三日はかかる領地に住み始めて十日が過ぎた。

 

 フェリシエルはその間手をこまねいていたわけではない。断罪は刻一刻と近づいているのだ。

 幽閉に備えて保存のきく食料を貯め込んでいた。ついでに美味しいお菓子もお取り寄せし、今までお妃教育で読めなかった小説を集め、快適な幽閉ライフを過ごす準備は着々と進んでいた。

 

 王子からは元気にしていますか云々という定型文が書かれた手紙が一度届いたが、それ以外は静かなものだった。

 

 フェリシエルはここ一週間ほど続く雨を窓越しに眺める。雨脚が一向に弱まらない。屋敷は広く快適だがさすがに気が滅入る。

 翌朝久しぶりの晴れ間に少し気分が浮き立った。掃き出し窓を全開にしたサロンでのんびりとお茶を飲むフェリシエルのもとに、領地の家令であるマーティンが慌ててやってきた。


「大変です。お嬢様、近くの村で川が決壊しました!」

「え、何が大変なの?」


 フェリシエルがきょとんとした表情で言うと、彼は顔色を失くした。

何を慌てているのか首をかしげ、詳細を聞いてみる。なにせ今まで王子しか目に入っていなかったから、領地のことなどさっぱりわからない。


 しかし、マーティンの話は深刻なもので、村では家々や畑が流され、人々がすむ場所を奪われ食料もなく困っているという。


 それは大変だ。フェリシエルはこんなときどうしていいのかわからない。なにせ現世は深窓の公爵令嬢で前世は社畜と呼ばれる会社員だったのだから。


「早速、お父様にお手紙を出しましょう」

 まずは家長である父に指示を仰ぐことにした。

「お嬢様、橋も流され王都に届くまで三日以上はかかります。そして援助が来るには多くの時間が失われます。その間村人たちはすむ場所もなく飢えてしまいます」


 青ざめた家令の声は震えていた。


 ノブレス・オブリージュ。自分とは無縁だと思っていた言葉。正直、前世の記憶が戻るまでは王子のことで頭がいっぱいで領民のことなど考えたこともなかった。領地を治めるのは父の仕事であり、兄の仕事であった。しかし、今は公爵家の娘であるフェリシエルが領主代行だ。


「そう援助が来るまでにはどれくらい時間がかかりますか?」

 家令に冷静に問う。


「早くとも十日はかかると思います」

「分かりました。村の近くに別邸がありましたね。あれを村人に開放してください。 そしてこの屋敷には十日分の食料を残して、あとは村人に分け与えてちょうだい。それから、被害あった人は?」

「今のところ、けが人は数名出ていますが、幸い死者や行方不明者はおりません」

「そうよかった。けが人は侍医に頼んでみてもらって」

 家令は驚きに目を見張る。


「確かに緊急事態ではありますが、十日分の食料だけとは……。お嬢様がそこまでされることはないかと」

 フェリシエルは呆れた目で彼を見た。きっと父母も兄もこのような状況に陥ったら同じことをしていただろう。


「何を言っているのです。中途半端なことをしたもしょうがないでしょ? さっ早く取り掛かってちょうだい。私は、取り急ぎ当主にこの事態を知らせなければならないので手紙を書きます」


 食料は蓄えればいい。というか偶然蓄えておいてよかった。本格的に幽閉となる前に必要のないドレスや宝石は処分した方がよさそう。金子は必要だとフェリシエルは思った。


 どのみちこの土地で一生過ごす予定なのだ。領民とは仲良くしておいた方が良いに決まっている。それに前世では困ったときはお互いさまで、援助や支援は普通のことだった。それも自領のこととなれば当然だ。


 フェリシエルは使用人達が感謝の眼差しを向けるのに気が付かなかった。ここの使用人たちの半数以上は村の出身者なのだ。領地経営にタッチしてこなかった彼女はそのことを知らない。

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