第3話 ゲームの強制力?

 療養後、初となる王子とお茶会の日がきた。


 侍女のセシルが髪を結い、化粧をほどこしてくれる。今日は縦ロールはやめてもらった。雷で髪が焦げて切ったので、まだ肩の下あたりまでしか毛がない。縦ロールには足りないし、あれは悪役令嬢の象徴だ。今後は封印する。


 ヘレンに鬘を勧められたが、それも断った。清楚が一番だというより、鬘はかゆくなるから嫌なのだ。前世を思い出したフェリシエルは美しく装うより、当然のように快適さを選ぶ。むしろ前世より全然綺麗だからこれでオッケー。


 馬車の中ではため思わず息が漏れた。


「どうかしたのですか、お嬢様? いつもは王宮でのお茶会を楽しみしてらっしゃるのに」

 侍女のヘレンが怪訝そういう。


「お会いしたくないのよ。殿下に」

「どこか具合でも悪いのですか?」

 ヘレンが眉尻を下げ心配そうに問うてくる。


 それもそのはず、フェリシエルはいつも王子と会える不定期のお茶会を楽しみにしていたからだ。これは王子とフェリシエルの結婚が決まってから始まったもので、彼女が10歳の時から5年間続いている。


「ええ、とっても悪いわ。家から出たくないくらいには」

 といってもう一度深いため息をつく。


 やがて馬車は城門をくぐり、フェリシエルは控えの間に通された。ほどなくして王子が作り物めいた微笑み浮かべて護衛騎士とともに迎えに来た。


 庭園に着くと王子が持参した砂時計をテーブルに置く。さらさらと砂は零れ落ちて、最後の一粒が落ちると茶会は終了である。執務の詰まっているリュカとの茶会はたいてい20分程度と決められているのだ。


「随分元気そうだね。回復が早くてよかった」

 ちっとも心配そうな口調ではない。短時間ではあるが、数回見舞いには来ていた。婚約者として花も送ってきた。そいうところは抜かりない。


「いいえ、まったく。体調は最悪です」

 フェリシエルは否定した。


「それはおかしいね。顔色はいいし、王宮医はそんなこと言っていなかったよ」

 けろりとした口調で言う。


「あのですね。雷は大したことなかったけれど、そのとき倒れて強く頭を打ちまして少々ねじが緩んでしまったようです」


 王子が一瞬黙りこくった。表情が笑顔のまま固まっている。何を考えているのかさっぱりわからない。


「確かにちょっとおかしいね。自分が一番素晴らしいと常々言っている君が、自分の事を馬鹿になったなんて言うなんて」


 そこまでいろいろ直接的には言っていない。顔が引きつりそうになったので、慌てて扇で口元を隠し、目だけでにっこりと笑う。フェリシエルは王子の言葉を利用することにした。


「はい、お妃教育で勉強したことがすべて消しとんでしまいました。なので、私と婚姻を結ぶと殿下が不幸になります」

 リュカが驚きに目を見張る。


「え? 何を言い出すの」

 突き刺すような視線を感じる。しかし、フェリシエルは、嘘は言っていない。今ここで婚約を解消した方がお互いにとっていいはずだ。


「ぜひとも、この婚約なかったことにしましょう。いまなら、まだ間に合います」

(私の断罪に!)


 フェリシエルの頭の中には「保身」の二文字しかなかった。それにメリベルに気持ちが傾いている彼はきっと喜ぶだろうと、フェリシエルは思い切りよく言い放つ。しばらく沈黙が流れた。砂時計がさらさらと砂を落とす音が聞こえそう。

 いたたまれなくなったころ王子がおもむろに口を開く。


「何を言っているのかな? あのね。公爵令嬢の君との婚約は覆らないよ。政略結婚だからね。本当に馬鹿になったの? まさかとは思うけど、私に好きだと言ってほしいとか?」


 喜ぶどころか残念な生き物を見る目でフェリシエルを見ている。

(あれ?おかしい)

 ゲームではこの時期王子はフェリシエルにかなり嫌気がさしているはず。二つ返事で頷くかと思っていたが、そこは現実で簡単にいくものでもないようだ。


「いえ、別にそういうわけでは……」

 

 言いかけたとこで、後ろに人の気配を感じた。


「楽しそうね。私たちも混ぜてくれない」


 キャサリン王妃と伯爵令嬢メリベルがいた。本当は嫌だったが、まさか断るわけにもいかないので、結局二人分のティーセットが用意された。


 メリベルはどういうわけだか王妃のお気に入りだ。身分差からいって二人がいつどうやって親しくなったのかも謎である。というのもメリベルは伯爵の私生児で、数年前に伯爵家の養女として迎え入れられた。その前は市井で育てられていた。


 そしてベネット伯爵家にしても商人あがりの新興貴族で、本来ならば王宮に自由に出入りなどできないはずである。本当に謎だ。


(なるほど、これがゲームの強制力か)


 本当はこの茶会は王子と二人だけのものだったが、最近たびたびこの二人が闖入する。いつもは彼女たちのこの行動にひきつった笑みをみせるフェリシエルだったが、今日は違う。


 王妃の引き立てを受けて、積極的に王子に話しかけるメリベルを静かに眺めた。もちろん彼女のことは嫌いだ。だがしかし、死にたくはない。ならば今までのように牽制するのではなく譲ってしまえばいいのではないか。本当に彼女のことは気に入らないのでやむを得ないが仕方ない。


 時はたち、砂時計の砂は落ち切った。


 王子は「それでは私はこれで」ときらきら笑顔で去っていった。銀髪に青紫の王家独特の色彩。そして無駄に美形。


 フェリシエルは婚約破棄まで一歩前進だと思った。自分がメリベルに対する不快感を抑え、彼女を応援すればバッドエンド回避もありかもと希望が持てる。



 しかし、不安材料はあった。それは王子の行動だ。ゲームの中ではもっとメリベルとべたべたしていたはずなのに、今日は適切な距離をとっている様に見えた。いや違う。思い返してみれば今までもそうだ。

 フェリシエルの目が嫉妬に曇っていただけだった。前世をおもいだした今なら冷静な判断ができる。

 彼はいつも王妃の顔を立てるかたちでメリベルと話していたし、今日もそうだった。

(ん? まだ彼女に靡いてないのはどうして?)

 

 現王妃はもと側室だ。第一王子リュカの実母である前妃が亡くなり、繰上がりで王妃となった。その後、王子を二人生んでいる。彼女はフェリシエルを断罪する第二王子の母でもある。メリベルの次に厄介な相手だ。



 それにしてもおかしい。王子はモテモテでゲームの中ではもっと遊んでいたような気がするが、現実のリュカは勤勉で時間を無駄にすることを嫌い、常に砂時計とともにある。「時間ですので」というのが茶会での締めの言葉だ。こんな設定あったのだろうか? 残念なことに細部まで思い出せなかった。

 

 ◇◇◇


 翌日から、フェリシエルは体調不良を理由にお妃教育をさぼる作戦にでた。部屋に閉じこもり、二日が過ぎたころ、昼下がりに誰かが部屋に訪ねてきた。

「フェリシエル、ちょっといいかな?」

 そういって部屋に入って来たのは公爵家嫡男の長兄のシャルルだった。


「あら珍しい。お兄様どうなさったの?」

 堂々とベッドから起きてお茶を飲み、おいしそうに焼けたマドレーヌに手を伸ばしているところに踏み込まれてしまった。


「うん、やっぱり仮病だね」

 あっさりとバレた。おそらくファンネル家の優秀な侍女やメイドたちから聞いたのだろう。

「フェリシエル、あれだけ殿下に懸想していたのに……。いったいどうしたというのだ」

「はい?」

 周りからはそのように見えていたようだ。確かに雷に打たれる前は、寵愛を得ようと髪の毛を振り乱して追いかけまわしていたような気もするが、前世の記憶が衝撃的過ぎてすっかり恋心など吹っ飛んでしまった。


 今思うとフェリシエルは侯爵家の娘としての高いプライドとメリベルに対する敵愾心から攻撃になり、次期王妃の地位にしがみついていただけなのではないと思われる。


 彼女は元来権力欲が強い。その地位は、優秀かつ美貌の自分にこそふさわしいと思い込んでいた。しかし、自分の命がかかるとそんなものどうでも良くなる。第一王子との結婚などお妃教育を受ければ誰でも出来ることだと気付いてしまった。

 

 ところで、兄はいったい何しにこの部屋に来たのだろう。フェリシエルは首を傾げた。向かいに腰を掛ける兄のカップに侍女ヘレンが湯気の立つお茶を注ぐこぽこぽと注ぐ。


「実はね。おかしな噂が立っていてね」

「もしかして、殿下とメリベル様がお付き合いしているのですか?」

 いよいよ来たか。

「いやいや、それはないから。キャサリン妃はあの二人をくっつけたいようだけれどね」

 兄が不機嫌そうに眉根を寄せる。

「では、何です?」

 用件が気になって、食い気味に聞く。忙しい兄はよほどの用事がなければ、フェリシエルの部屋まで来ない。


「実は巷でお前が街の呪い師まじないしのところに出入りしているという噂がたっているんだよ」

「え、行ったことありませんよ。なぜそのような噂が?」

 フェリシエルは不思議そうに首を傾げる。


 『街の呪い師』とは王都の怪しげな地区の一角に住まう老婆で、腕が良いと評判だ。有力な貴族が何人か身分を隠し密かに通っているという噂がある。ちなみに得意なのは呪殺らしい。


「お兄様、それ、まずくないですか?」

「ああ、まずい。お前がメリベル嬢を呪っているのではないかという噂が流れている」


 やはりゲーム終盤だけあって、バッドエンドに向かっている。フェリシエルは頭を抱えた。悪役令嬢が呪殺を依頼するなど、そんなイベントは知らない。それともそんな分岐ルートもあったのだろうか? 


「そんなわけないじゃないですか。そのようないかがわしい場所に足を向けたこともありません」


 そうは言いつつも興味はあった。呪い師は未来視もできると聞いている。自分がこの先どうなるの視てもらえるものならばお願いしたい。しかし、そのような噂が流れているとなると、近づくのは危険だ。


「時にお兄様、相談したいことがあるのですが」

「なんだ、こんな時に」

「私、いますぐ殿下と婚約破棄できませんかね?」

 とりあえず言うだけならタダだし、フェリシエルは兄に頼むという手っ取り早い方法をとることにした。


「は? そんな馬鹿なことが出来るわけないだろ!」

 だが兄は憤慨して鼻息荒く出て行った。取り付く島もない。

「やっぱり、だめか……」

 ふっと溜息をつく。


 その後フェリシエルは、家長である父の命令で外出禁止となり、お妃教育どころではなくなった。権力欲が強いのは父兄同じで、どうあっても第一王子と結婚させたいらしい。しかし、これで王宮でのお妃教育を堂々とさぼれることになった。これはこれでよし。


 フェリシエルは、にんまりと微笑んだ。

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