十一話
「へえ、お姉さんの家に移ったんだ」
「ま、まあね」
「いいなあ。あたし姉とか居ないから姉妹で二人暮らしとか、ちょっと憧れちゃうよ」
智絵は出まかせを吐いた。
一昨日、早々に話すようになった凛花と他数名で智絵は帰路に着いたのだ。
だから凛花には、智絵の家の方向が逆であると知られている。
咄嗟に誤魔化し、姉と共に住み始めたと、体のいい嘘を話した。
「えと、それより鷹見さん、結構家遠いんだね」
「あーうん。そうなんだよね。ほんとなら自転車で通いたいんだけど、今壊れちゃっててさ。早く欲しいんだけど、暫くは歩きかなあ」
「買わないの?」
「買えないの。うち兄妹多くて、お小遣いじゃとても。しかも、高校生になったら自分のものは自分で買えっていう家訓があって……」
「たっ、大変なんだね」
「まあ仕方ないよ。とりあえず、今はバイトを始めるべく、色々探してるところなんだぁ」
にししっと凛花は笑う。
可愛い八重歯が特徴的な笑顔は、智絵にはとても眩しく見えた。
「凄いね、鷹見さん。バイトとか。前向きなところが凄い。あたしはそんなの全然だから」
「え、篠原さんがそれ言う?」
「なにか、変?」
「いやいや、入学初日、色んな人に声掛けてたじゃん。明るくて気さくでユーモアがあって、おまけにめっちゃ可愛いし! 前向きどころかコミュ力オバケでしょ!」
「コミュ力オバケ……可愛い……」
「篠原さんの方が凄いでしょ。自身持ちなよ。って、あれ? そういえば今日はなんか、元気ない?」
「――あ。いや、ちょっと、引っ越し的なあれで、ちょっと疲れてて」
「あー、そっか、そうだよね。じゃあ、ノートとるのはあたしに任せて、居眠りをするがいいよ。隣の席のよしみだからね」
「あははっ、うん。ありがとう」
智絵は気が抜けていた。
何故かは分からないが、油断してしまっていた。
何時もなら家でも学校でも必ず被る仮面を被っていなかったことを自覚する。
そして一度思い出せば、勝手に、何の意識もせずとも、透明な仮面が現れるのだ。自分を守る呪いの仮面が。
「でも、ちょっと急ごう。このペースだとホームルームに間に合わないかもしれない」
「たいへん、早足で行こ!」
「篠原さんのペースでいいよ。あたし、体力には自信あるからさ」
「言ったね? 置いてっちゃうよっ」
二人は笑顔で足早に学校へ向かって行く。
だが少しだけ、智絵の笑顔は無機質なものに見えた。
チャイムがホームルームの始まりを告げる。
問題なく時間内にクラスへ辿り着いた二人は、額に滲んだ汗を軽く拭う。
良い運動をしたなあと、凛花は疲労を滲ませるだけだが、智絵は満身創痍の様子だ。
同い年だが体力の差はとても大きかったらしい。
「ほら、あたしのが体力ある〜」
「勝ち負けじゃないもん」
「負け惜しみー」
「ふぐっ」
机に突っ伏した智絵は、担任の教師が入って来たことを察して、耳を傾ける。
「部活紹介の後から部活見学期間が始まるので、興味のある部活を見つけて申請用紙を提出してね。因みにうちの学校は全員が加入しないといけないから、ちゃんと申請出しといてね」
担任の言葉を聴いて、智絵は呟く。
「……部活かあ」
やりたい事は中学の時から特にない。
けれど、部活をやってる人はきらきらと輝いて見えた。
智絵もそうなれたら良いのにと、考えたこともある。
皆んなの様に自分の居場所を見つけて、何かに熱中して感動したりしてみたいと。
けれど……どうしてもイメージ出来ないのだ。
家でも学校でも自分を出せないのだから、部活でもどうせ同じだと諦めている。
(でも、どこか入らないといけないんだよね……)
そう思うと憂鬱だ。
折角、家から窮屈で逃げ出したのに、部活という新しい集団の中に飛び込むのだから、溜まったものではない。
自由にこの仮面を着け外し出来る訳ではないのだ。
智絵は溜め息を吐く。
(ああ……心白さんちに帰りたいなあ)
と、そんな言葉が頭の中を反芻して――ふと、その思考に疑問を抱く。
(あれ、あれ? なんかよく分からないけど、凄く、おかしいような……心白さんちに帰りたい? それってなんか、あたし――)
智絵は喉まで出かかった、ある気づきを捻り出そうとするのだが、横からの声に答えまで辿り着きそうだった思考を、中断させられてしまう。
「篠原さんは何の部活にするか決めた?」
「え……あ、ああ。あたしはまだ」
「だよね、因みにあたしもまだ。良かったら今日の放課後部活見学してかない?」
「うん、いいよ」
「やったっ。じゃあ、約束! あと……帰りも一緒に帰らない?」
「もちろん、いいよ!」
「よし、それも約束!」
「うん、約束ね」
智絵は嬉しそうに八重歯を見せる凛花の反応に、微笑ましさを覚えたのだが。
(何だっけ、何考えてたんだっけ。何か大事な事だった筈なのに……)
どうしてもその内容が気になって暫く頭を抱えていたが、結局なにも思い出す事の出来ない智絵なのであった。
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