第15話 氷血姫
背後から覚えのない声が聞こえ、振り返る。
そこに佇む少女の姿を見た明日斗は、反射的に体を硬直させた。
(まさか……)
長い黒髪に、切れ長の目、シャープな顔立ち。
すらりとした手足のその少女の姿は、間違いない――。
(氷血姫!?)
明日斗が過去に戻る前、あの天にひしめく魔物たちを相手に、唯一善戦していた最強ギルドの一角――私滅のイデア。
そのギルドマスターの、神咲真生(かんざきまお)だった。
明日斗と同じ第二次アウトブレイクで覚醒したハンターでありながら、明日斗とは違い、彼女は才能に溢れていた。
ハンターとして活動するなり、あっという間に頭角を現し、一気にランカーまでのし上がった。
その才能は、これまで周囲に天才と呼ばれてきた者達でさえ、『神咲を見ていると自分が凡才なんだって気づいた』や、『惨めになるから神咲とは比較しないでくれ』などと言わしめるほどのものだった。
この才能を慕って何名ものハンターが集い、結成されたのが〝私滅のイデア〟である。
(あれっ、でもなんか、雰囲気が違うような……?)
神咲の顔には憔悴がありありと浮かんでおり、肌も土気色だ。
涙を流しすぎたのか、目が腫れている。
前回の彼女は、常に冷たい表情を浮かべており、変化も乏しかった。
その表情からついた二つ名が、氷血姫だ。
今の彼女から、未来の姿を想像するのはまずもって無理である。
それほどに両者には大きな乖離があった。
「お兄さんはハンター、ですよね?」
「ん、ああ、そうですね」
「っ……! お、お願いします。『夢見の滴』の入手に、協力していただけませんか」
「夢見の滴……たしか、願いか叶うアイテム、だったっけ」
「はい。いま、夢見の滴が、どうしても必要なんです……」
「ふぅん」
夢見の滴は明日斗にも覚えがある。
Dランクダンジョンのボスを倒すとドロップする、少し特殊な効果があるアイテムだ。
(しかしまさか、氷血姫に頼み事をされるとは思いも寄らなかったな)
将来の彼女を思えば、ある種の名誉を感じずにはいられない。
依頼を引き受けることは、決してやぶさかではない。
ただ、問題が二つある。
一つは、確実にドロップするとは限らないこと。
ドロップは確率ランダムであるため、運が悪ければ十度ボスを倒しても手に入らない場合がある。
それともう一つ。
(夢見の滴がドロップするダンジョンは、ハウンドドッグが占有してるんだよなあ……)
先ほど、そのギルドメンバーの二人を返り討ちにしたばかりだ。
その明日斗が夢見の滴を取りに行くということは、相手に喧嘩を売りにいくようなものである。
相手が神咲でなければ、即座にお断りする案件だ。
まともなギルドならばいざ知らず、無法者ギルドが占有するダンジョンに入ろうなんて、無鉄砲にも程がある。
強引に踏み入ろうものなら、後々どのような報復が待っているか、考えるだけで恐ろしい。
(でも、相手は神咲さんだし。それに――)
天才中の天才神咲の身に何かあったのではないか?
現在と、未来の彼女のあまりの違いが気になった。
「お金は、たくさん用意、出来ません。でも、何でもします! お願いです、助けてください!」
「……うん、わかった。なんとかしよう」
「あ、ありがとうございます!」
神咲の表情が安堵に緩んだ。
よほど嬉しかったのか、涙まで浮かんでいた。
「俺は結希明日斗。君は?」
「か、神咲真生です!」
「神咲さん、よろしくね」
「宜しくお願いします」
「それで、ダンジョンにいく前に一つ聞きたいんだけど、夢見の滴を何に使うの?」
「実は、その……この前のアウトブレイクで、お母さんが怪我をしてしまって。ずっと……目を、覚まさないんです……」
彼女の目から、涙がボロボロと溢れ出した。
拭っても拭っても、止めどなく溢れてくる。
それでも泣き崩れることはない。
前回見た彼女によく似た、硬い表情を浮かべて歯を食いしばっている。
(母親が重体だっていうのに、強いな……)
母の傍で祈るのではなく、助けるために動き出した。
この行動力に、彼女の強さの片鱗が窺える。
(俺とは、全然違うな)
第一次アウトブレイクに両親が巻き込まれた後、明日斗は病院の廊下で二人の目覚めを祈ることしか出来なかった。
無論、彼女とは違って覚醒していなかったので、単純比較は出来ないが……。
「お医者さんは、もう目を覚まさないかも、と。私は先日覚醒したのですが、天使に相談したら、夢見の滴のことを教えてもらいました。願いを叶えるアイテムを手に入れれば、お母さんを助けられるかも、と。なので、どうしても夢見の滴を手に入れたいんです。先輩のハンターさんたちに声をかけて、結希さんでやっと、いいお返事が貰えました」
「そう、だったんだね」
まさか、彼女の母親が、アウトブレイクの被害者だったとは思ってもみなかった。
その驚きによって、明日斗はこの時、重大な見落としをしてしまった。
この見落としにより、この先、激しく後悔することになるとは、夢にも思わなかった。
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