勇者になった彼と厄災

 俺の傷が完治したのは、目を覚ましてから更に2日後。戦いから5日が経った日の夜だった。

 荷物を纏めるため、西区の宿に戻ることにした俺とリアは、教会を後にする


 俺とリアは無言のまま、細く暗い裏道を抜け、宿の前へと着く。


 リアは小さな頃からよく、お姉さんとカルミアと館を抜け出しては、この宿を訪れていたらしい。ストラストさんも呆れた顔をして説教しながらも、決して3人を追い返すことはしなかったのだという。


「…寂しくなりましたね」


 リアがポツリとそう呟いた。そう言われると確かに、ガランとした宿がどうにも寂しく見えてくる。心が空っぽになって、そこを冷たい風が通り抜けるような、そんな感覚に襲われた。


「リア、入ろうか」


「えぇ」


 扉を開き宿に足を踏み入れた瞬間、俺達は凄まじい重圧に床へ叩きつけられる。


「なん、だ?!」「っ」


 宿のロビーに、1人の男が座っていた。白い肌に蝙蝠の羽、そして圧倒的な暗く静かな存在感。まるで夜が人型の皮を被り、そこに座っているような、それは。


(本物の吸血魔族っ、魔力を隠蔽していたのか!いやそんなレベルには収まらん。この力は吸血公ドラク、"夜の厄災"かっ。どう足掻いても、今のお主にこやつの相手は無理じゃ。今すぐ逃げるぞマコト!)


 厄災だった。


(出来るなら、もうやってるっ!)


 俺は自分の無力を知った。逆立ちしてもこの男に勝てないことなど、ラーヴァに言われなくても分かっている。逃げられるなら今すぐにでもリアを連れてこの場を離れたかった。


 しかし、重く体にのし掛かる圧力は、俺が逃げることを許さない。


 "夜の厄災"ドラクは、ワインの注がれたグラスを片手に話し出した。


「ヴラは、奴は、下賤な魔物の身ながら分不相応にも、余の威光に憧れを抱いた愚者であった。我ら吸血魔族と違い力なき身でありながら、余が戯れに課した命を頭を捻り必死にこなしてな。余の配下にはあのような者はいなかったため意外であったが、あれは見ものでな。愉快であったものだ。故に命を全てこなした暁には分け、与血魔族ダンピールとして余の配下にしてやろうとそう言ったのだ」


 そこで初めてドラクがこちらに視線を向けた。その瞬間、体にのしかかる重圧が更に増す。


「う、ぁ……」


 リアが苦しそうに、小さなうめき声を挙げた。


 くそ、このままじゃ押しつぶされる!


(ラ―ヴァ何か、何か出来ないか?!)


(何故か、お主の魔力が引き出せない!魔力が無ければ儂には、何も出来ん)


「それが人族如きに滅ぼされるとは、愚者にしても愚かが過ぎる…それにしても、勇者がいると聞いたから、余が直々に神剣の気配を探知して待っていてやったというのに。貴様、本物か?話にならんな、余が手を下すまでもない」


 重圧が更に少しずつ強まっていき、宿の床が軋む。


 ドラクはそんな俺達を見ながらワインを口に運んでいる。


「やはり人族の酒は不味い」


 俺達は、もう声1つ出す事が出来ない。


 そんな時、ガチャリと宿の扉が開く音がした。


「あら、そんなことは無いと思いますよ。人族の作るお酒は種類も豊富でとても面白いですから」


 罅の入った宿の床に白緑色のが、水が染みるかように広がっていく。その瞬間、のしかかっていた重圧が嘘のようにパタリと消えた。


 すぐに体を起こして、宿の扉を振り返る。


 修道女?それに…っ!


 そこには修道服姿の女性と、さんが立っていた。


「「ストラスト」さん?!」


 ストラストさんは、驚く俺達にふっと笑って手を挙げる。


「あなた、殺されたって」


「えぇ、王都に向かう途中で3羽のサンダーバードと魔族に襲われまして。そこで致命傷を喰らって崖下へ落ちて死にかけてました。ですがたまたま通りかかった、このサラさんに助けて貰い一命を取り留めましてね」


 サラと呼ばれた修道服の女性が、ペコリと頭を下げた。


「サラ・スゥと申します」


(っ……)


(ラ―ヴァ、どうしたんだ)


(気を付けよ、マコト。その女、人ではないぞ)


 グラスを机に置き、初めて立ち上がったドラクが不愉快そうに表情を歪める。


「何故ここにいる。""、魔女サラよ」


 ドラクから出たその言葉に、俺を含んだラ―ヴァ以外の3人は声にならないほど驚愕した。


(厄災?!この女性が?)


(あぁ、魔女サラ。最古の厄災の1体であり人族に友好的な厄災、とは言われてはいるが)


(人族に友好的?厄災の中にはそんなのもいるのか?)


(いや、厄災の中でも友好的と言われるのはこの女だけじゃ。他は敵対的か、中立的かのどちらかじゃな。じゃがあまり油断はするでないぞ。この女は儂が生み出されることとなった古の大戦、それを引き起こした張本人じゃ)


 古の大戦とやらの話は知らなかったが、ラ―ヴァがサラさんを警戒して、嫌悪感を抱いているのは明確に伝わってきた。


 というか最古の厄災?でラ―ヴァが生まれた時から生きてるって、この人は一体……


 ラ―ヴァの言葉を受けて、俺はサラさんへの警戒を強める。リアは最初に彼女を目にした時から、何故か彼女に恐れを抱いている様子だ。

 

「私がここにいるのは、この街にいた同志から救援を要請する手紙が届けられたからです。まぁ一歩間に合わなかったようですが」


「フンッ、この狂信者が。興が覚めた」


 ドラクはそう言ってワインの入ったグラスを床に投げ捨てる。グラスが割れて中のワインが飛び散ったその瞬間、真っ黒な影が散るように、その姿がその場から掻き消えた。


 張りつめていた宿の空気が、一気に緩む。


「ふむ、彼は本当にこの街から去るようですね。では私も失礼します。ストラストさん、案内ありがとうございました」


 サラさんもそう言って、何事もなかったかのようにあっさりと宿を後にした。いつの間にか宿の床に広がっていたあの白緑色のも消えている。


 嵐のように2人の厄災が去って、宿には俺とリア、ストラストさんの3人だけが残された。


 いきなり厄災2人とエンカウントって、どうなってるんだよ、あの自称神め。


 やり場の無い怒りは、とりあえずあの自称神にぶつけておく事にする。




 しばらくして少し落ち着いた後、リアがストラストさんに全ての事の顛末を説明する。それを聞き終えたストラストさんは、一度目を閉じゆっくりと息を吐き出してから、口を開いた。


「…そう、でしたか…きっとカルミアの奴は報われたんでしょうね。アリシア様がこうして生きているのだから、今度こそ守れたのだから。あなたを守ることこそが、あいつの望みだったんです。だからあなたがこれから幸せに笑って生きていれば、あいつもきっと、幸せなんだと思います」


 それはきっとストラストさんなりの励ましであり、同時に長く彼女を見てきた者としての、紛れもない本心だったのだろう。


 それを聞いたリアは涙を流しながら、今度は綺麗に、とても綺麗に笑った。

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