騎士である彼女の宝物

 泣き声が聞こえる。少女の泣き声が。あれは…そうだ、私だ。


 小さな頃私は、自分の特殊能力を制御出来ずにいつも泣いていた。

 私に宿った"狂乱"という特殊能力は、身体能力を大幅に引き上げる代わりに理性を失うというもの。


 ささいなきっかけで、この能力は私の意思に関わらず発動し、そのたびに多くの人を傷付けた。


「あの子は危険だ」「あんなのを騎士になど出来るものか」「騎士見習いと言っても鍛練のたび暴れられては、どうにもならんだろう」「伯爵様も何を考えておられるのか」「いくら亡きご友人である元団長の子であるとは言っても、限度がある」


 ずっと自分に価値などないと思っていた。伯爵様はよくしてくれているけれど、それが逆に辛くて、そう感じてしまうことが申し訳なくて。




 その日もまた私は鍛練中に狂化が発動した。周りの騎士達が即座に私を押さえ付けて気絶させたことで大事にはならなかったけれど。

 館の診察室、そのベッドで目を覚ました私は、怖くてとにかく誰にも会いたくなくて、部屋を抜け出した。


 中庭を抜けた館の裏にある庭園、その草影で踞って泣いていた私を見つけたのは、


「あなた、泣いてるの?」


 同い年くらいの美しい少女だった。


「私はダリア。あなたのお名前は?」


 そう言って差し出された手、その手を取ることすら怖がる私を、ダリアと名乗った少女は半ば無理やり引っ張るようにして庭園に連れ出した。


 楽しそうにニコニコと庭園に咲いている花について話す少女の笑顔は、きっとどんな花より可憐で、その笑顔に見惚れた私までつい釣られて笑っていた。


「あ、やっと笑った!あなたその方が可愛いわ!どう、そろそろお名前教えて下さる?」


「私は…カルミア、です」


「カルミア、カルミア。うん良い名前ね。何だか私の妹の名前とも響きが似てるし!」


「妹さんが、いるの?」


 私はいつの間にか花のように笑う少女の事が気になって、思わずそんな風に尋ねていた。いつもビクビクと怖がっていた私が、他人の事が気になるなんて初めてのことで、私自身が一番その事に驚いていた。


 そんな質問に、少女は今までで一番の笑顔で答えた。


「えぇ最近産まれたの。アリシアって言うのよ!ね、あなたの名前と少し似てるでしょう?」


 私はきっとその時、世界で一番美しいものを見たのだ。


「あ、いけない。そろそろお医者様が来る時間だわ。ねぇ、カルミア。明日もここに来てくれる?」


「分かりました。来ます、絶対に!」


 私の返答に少女は頬をプクリと膨らまして怒りを露にした。何か怒らせるようなことをしてしまったのかと、慌てる私に少女は、


「敬語は禁止よ!私、お友達が欲しかったの。そんな風に話されると寂しいわ」


 そう言って悲しそうに眉を潜めた。


「わ、分かった。これで良い、ダリア?」


 私のそんな返答に、ダリアが破顔する。


 怒った顔も悲しそうな表情も綺麗だけど、あぁやはりこの少女には笑顔こそが似合う。


「じゃあまた明日ね、カルミア!」


 庭園を去って行くダリアは、その後ろ姿まで美しくて私はその姿が見えなくなるまで見とれていた。


 勝手に医務室を抜け出したことはこっぴどく叱られたけれど、その日から私が狂乱を発動させることは目に見えて減っていった。理性が吹き飛びそうになる瞬間、ダリアの姿を思い浮かべるとスッと気持ちが落ち着いた。


 ダリアとは毎日のように庭園で会って話をしていた。あれだけ恐怖のみに苛まれていた毎日が色づき出して、私はあの時、ダリアと出会った瞬間に初めて、この世界に産まれ落ちたんじゃないかと錯覚するほどに。


 ダリアが伯爵様の長女だと知って、守りたいと思った。そう目標が出来たことで、毎日の鍛練も苦じゃなくなった。

 そして、


「カルミア、最近君の噂をよく聞くよ。騎士団の中でも指折りの実力者、清廉潔白で誰にでも丁寧で優しい騎士の鏡、と。まるで君のお父さんのようだ。そこで、君にダリアの娘の護衛騎士を頼みたいと思う」


 私は伯爵様に認められ、ダリアの護衛騎士の1人に選ばれた。


 思わず泣き崩れる私を伯爵様は優しく抱き締めて、


「ここ数年、狂乱も一度も発動していない。君の父、私の最大の友に代わって、こう言おう。よく、頑張った。君は伯爵家の誇りだ」


 優しくそう言ったのだ。


「…ありがとう、ございますっ……」


 その時私は、報われた気がした。それもこれも全てはダリアのおかげだった。だから私は、私の全てをダリアのために使うと誓ったのだ。


 私は護衛騎士の中でも筆頭と呼ばれるほどの実力を付け、アリシア様は私をダリアと共に姉のように慕ってくれた。

 それからは怒涛の日々だった。小さな頃の病弱さも克服したダリアは私が思っていたよりずっとお転婆で、私達護衛騎士は振り回されてばかり。まだ物心ついたばかりのアリシア様も連れて市街に繰り出してはあっちゃこっちゃでトラブルに巻き込まれたり、起こしたり。

 それでも毎日が幸せだった。


 そしてそんな幸せな日々の中…ダリアは突然この世を去った。

 流行り病が原因でずっと鳴りを潜めていた持病が再発したのだ。私の希望は、私が全てを賭けて守ると誓った人は、呆気なく天へ旅立ってしまった。


「ゴホッゴホッ、カルミア…ありがとう。あなた…がいたおかげで…私…楽しかったわ」


「やめて、やめてよダリア。そんなこと言わないでよ…治る、ダリアは治るから。喋らないで安静にしてて」


「そうよダリアお姉様。お医者様も、治癒魔法を使える魔術師様も来て下さってるのよ。きっと治してくれるわ!」


 泣きながらそう言う私とアリシア様の手をダリアは弱々しく握って、


「これからは、アリシアを…私の宝物を、守って欲しいの…ゴホッ、ハァハァ…あなたになら、頼めるわ…だって一番の、友達だもの…ほら笑って、カルミア…あなたはその方が……」


 それがダリアの最後の言葉だった。


 ダリアの護衛騎士だった私は、伯爵様に頼み込んでアリシア様の護衛騎士となった。


 私は、誓いを失った私は、ダリアの残した宝物を今度こそ守るのだと、そうもう一度誓いを立てた。病すら払えるように、医術を学び、魔法を学び、今度こそ。


 伯爵様はそれから領内から病を根絶するための調査を始めた。色々な専門家を館に招き、多くの対策を講じ……


 その頃からだろうか、頭の片隅にもやがかかるような違和感を感じるようになったのは、いつの間にかその違和感すら忘れ、ダリアのことも思い出すことが少なくなって……


 あぁ何故こんなにも大切なことを、私は忘れていたのだろうか。




 泣き声が聞こえるんだ。少女アリシアの泣き声が。今度こそ守ると決めたんだ、ダリアの宝物を、宝物を……


 立ち上がらないと。戦わないと。

 理性はいらない、限界なんて知らない、人間であることだって捨てて良い。残すのは、この思いだけで十分だ。

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