4. 看病

「んん……」


 自分のベッドで寝ている智花から、声が聞こえた。

 智花が目を開ける。


「智花、起きたか?」

「お兄ちゃん……」


 どうやら、目を覚ましたらしい。

 とりあえず、目覚めたことにホッとする。


 智花は、ベッドに置いてある時計に目を向けた。

 現在時刻は3時半。学校は終わって少し経ち、下校する生徒が増え始めた時間だろうか。


 そんなことを考えていると、智花は目をビシッと開けて、声を荒げた。


「お兄ちゃん!? 学校は!?」

「お前が熱出してるのに、学校なんて行けるわけないだろ?」


 何を当たり前のことを。


「そんなことより、智花、熱は大丈夫か?」


俺は体温計を使って智花の体温を測った。


「37.3度……、結構下がってきたな。でも、まだ熱があることには変わりないんだし、ゆっくり寝てろよ」

「う、うん」


 智花の頭をポンポンと叩いて、俺は妹の部屋を出る。


――ピンポーン


 ちょうどそのタイミングで、機械音が聞こえた。

 インターホンの音だ。


 誰かが来たらしい。俺はインターホンに向かう。

 どうやら尋ねたものは玄関にいるらしい。エントランスの扉を抜けれたということは、このマンションの関係者なのか?


「はい」


 俺がインターホンに答えた。

 うちのインターホンは音しか聞こえないタイプのものである。なので、声で尋ねたものを確認しなければならない。


 そして、インターホンから聞こえた声は、とても聞きなじみのある声であった。


「瀬川いた」


 その声は有岡のものであった。


「有岡? なんで?」

「学校休んだでしょ? なにかあったの?」


 有岡、心配して来てくれたのか。まあ、エレベーターの途中で降りるだけだが。


 俺は素直に理由を話した。


「妹が熱を出してな」

「そうだったんだ。ねえ、開けてくれる? 今日の授業のノート持ってきたの」

「お、そうなのか。サンキュー」


 なるほど、ノートを渡すために来てくれたのか。


 俺は玄関に向かい、扉を開けた。


「おう、有岡。ありがとな」


 しかし、扉の先にいた彼女の顔は、どんどんと険しくなっていった。


「……ねぇ、家入ってもいい?」

「え? 別にいいけど――」


 俺が最後まで言う前に、有岡は俺の背後をするりと通って、玄関に入っていった。


「それじゃあ、お邪魔します」


 そのまま靴を脱いだ有岡さん。簡単には帰らないように見える。

 そして、俺が玄関を閉じた瞬間――


「っ!? 有岡!?」


 有岡が俺に近づき、俺の額に手を当ててきた。


「……やっぱり。瀬川、すごい熱」


 ……はっ?

 俺が熱? そんなわけが――。全くそんな気はしなかった。


 しかし、彼女に言われて初めて熱があるような気がしてきた。

 そう思うと、なんだか身体が重く思えてくる。

 視界も歪み始め、立つのが辛くなってくる。


「瀬川は寝てきて。妹さんの看病は私がするから」


 倒れそうになるが、有岡が支えているので倒れずにすんだ。


 しかし、俺は有岡から離れ、自分の足で立ち上がろうとする。


「い、いや、大丈夫だ。俺が看病するから問題ない」

「何言ってるの……。あなた、起き上がれているのが不思議なくらいの熱なんだから、早く寝て」


 彼女は声色を険しくして言う。

 意識が朦朧としている今の状況で言われると、どうしても弱ってしまう。

 しかし、俺は智花の看病を止めるわけにはいかなかった。


「た、頼む……。俺に智花の看病を……させてくれ……。俺が……智花を……支えてやらないと――」


 そこまで言って、俺は口も満足に動かすこともできないほど弱ってしまう。


「瀬川!? 瀬川! 瀬川!」


 彼女の声が響く中、俺の意識は途絶えた。


☆☆☆


 あの日はそう。空が悲しんでいるかのような、土砂降りの雨の日だった。


『うわぁぁん!!!! お父さん!! お母さん!!』


 妹がこの悲しい空のように泣いている。


『智花……』


 俺の目にも、涙が浮かんだ。


『智花……!』


 しかし、その涙を落とすわけにはいかない。

 俺のするべきことは、泣くことではない。


『智花!』


 俺は兄ちゃんとして、妹を守らなければならない。

 俺は唯一の家族として、妹を支えなければならない。


 俺は妹に手を伸ばす。


「智花!!」


 俺の伸ばした手は、見慣れた天井を指していた。


 ここは俺の部屋だ。俺がいつも朝起きているベッドだ。

 いつの間にか寝ていた?


 身体を起こして、周りを見渡す。

 そこには、ひとりの可愛らしい少女がいた。


「有岡……?」

「瀬川起きた? 勝手に部屋に入ってごめんね。熱は……うん下がってる」


 有岡が俺の額に手を当てて、そう言った。


 そっか、俺は玄関で倒れて……。


 でも、なんでベッドで寝てるんだ?


「お前が運んでくれたのか?」

「ええ。妹さんにも手伝ってもらってね」


 彼女曰く、智花に俺の部屋の場所を聞いて、俺を運んだらしい。


「智花……、智花! 智花は大丈夫なのか!?」


 そうだ! 智花は熱を出して寝ていたはず!

 まさか、あいつ無理して身体動かしたんじゃ!


 俺は慌てて立ち上がろうとしたが、全く力が入らず、有岡に止められた。


「大丈夫よ、熱も完全に下がってたし、今は寝てるわ」

「そうか……」


 俺は、とりあえず、立ち上がろうした身体を元に戻した。

 智花が無事なら、それでいい。


「よほど大切なのね。寝ているときも、ずっと妹さんの名前を呟いていた」

「そりゃ、俺の大事な家族だからな」


 なにを当たり前のことを。


「でも、いくら大事だからって、自分の体調を無視してまで看病をするのはやめて。自分の身体も大事にして」


 有岡が少し怒ったように言った。

 彼女の言いたいことは分かる。客観的に見て俺の行動はおかしいのかもしれない。


「すまん。――でも、俺は智花を支えてやらなくちゃいけないんだ。たとえ俺の身体が壊れようとも」


 しかし、何を言われようとも、俺は自分の行動を変えようとは思わない。


「どうしてそこまでして……」


 俺の言葉に、有岡が悲しげな表情を見せる。


 だが、その程度で俺の決意は変わらない。


「こっちにも事情があるんだ」

「……その事情を聞くことはできる?」


 気になるのは当然だろう。

 これを聞けば、俺の考えが分かるかもしれないのだから。


 でも、これを話すのは、俺も精神的にキツイ。


「すまないが、気軽に人に話せるようなことじゃないんだ」

「あなたのことが心配なの! 絶対に誰にも話さない。約束する。だから――」


 しかし、有岡は諦めない。


 有岡の表情に、好奇心という色は見えない。

 本当に、俺のことが心配なのだということが分かった。


 俺のことが心配――そんなことを言われるとは思わなかった。

 単純に気になるから聞いているのだと思っていた。


「……わかった」


 有岡になら、話してもいいのかもしれない。


 俺は覚悟を決め、あの日のことを思い出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る