2. 友達

「これで全部か?」

「ちょっと待ってね」


 有岡がノートと倉庫を見比べて、見落としがないかを一つ一つ確認した。


「これはやった……これもやった……これもオッケー……。――うん! 全部確認したよ!」

「そっか、良かったぁ。やっと終わったぁ……」


 俺は思わずその場にへたり込んだ。

 初めて同士の二人だったこともあり、想定の倍以上の時間がかかってしまった。

 まさか、欠伸一つでここまで大変なことになるとは思わなかった。

 有岡も疲れたように汗をぬぐっているが、俺のように腰から落ちるようなことはしない。

 育ちがいいのか、体力が俺よりあるのか、理由は分からないが、有岡が立っているのに俺だけいつまでも座っているわけにはいかない。

 俺は再び腰を上げた。


「さて、先生に報告するか」

「そうだね」


 俺たちは体育倉庫を出て、職員室に向かい、熊谷先生に終了を伝える。


「先生終わりましたー」

「お、やっとか。随分と時間かかったな」

「いやぁ、二人とも経験なくて、マニュアル見ながら手探りでやってたので、気が付いたらこんな時間に」

「そうか。でも、しっかりやりとげたのは偉いぞ。以後気を受けるように」

「はーい」


 熊谷先生に確認ノートを渡して、俺たちは職員室を出て、教室に戻り、帰る準備を済ませて学校を出た。

 外は日が沈みかけ、空はすでに焼けていた。


「若干薄暗くなってきてるけど、有岡、一人で大丈夫か?」

「なに? 瀬川、私一人で帰れないと思ってるの?」

「そうじゃなくて、ほら、有岡も女子だし」

「あぁ、そういうこと」


 有岡は納得したようにポンと手を叩いた。


「ありがとう。でも、大丈夫だよ。一人で帰れる。それに、今日はちょっと行くところもあるしね」

「そっか、分かった」


 有岡が大丈夫だと言ってるなら、無理に二人で帰る必要はない。用事もあるようだし。


「それじゃあ、また明日」

「うん。じゃあね、瀬川」


 俺は有岡に手を振り、正門から出て左の道を進む。

 有岡は、正門から正面の道を進んだ。


 俺はスマホを開き、時間を確認する。


「やっべ! タイムセールの時間だ!」


 タイムセールの時間はシークレットなのだが、俺の情報網をもってすれば、何時に何が安くなるかを調べるのは容易い。

 俺の調査の結果、あと2分後にジャガイモとニンジンが安く買えるらしい。


 俺は全速力で走りスーパーに向かった。


☆☆☆


「良かったぁ」


 スーパーの帰り道、俺はヘトヘトになりながらも、手に持つビニール袋を見て思わず表情を緩めた。

 本当にギリギリの勝負だった。最後、知り合いの主婦の佐藤さんのサポートがなければ、おそらく俺の手にビニール袋はなかったことだろう。


「さて、今日は何を作るかな」


 せっかくジャガイモやニンジンが手に入ったのだ。これを使った料理を作りたい。

 頭の中で献立を考える。


 そんなことを考えながら歩いていると、俺の家であるマンションが見えてきた。

 沈む太陽が正面からの誰かの長い影を写している。


「……ん?」


 逆光でよく見えないが、なんだかその姿に見覚えがあった。

 こちらに向かってくる人影は、段々と俺との距離を狭めていき、逆光で見えなかったその姿を、写し始めた。


「えっ?」


 その姿。やはり見覚えがあった。

 それは、今日――というか、先ほどまで話していた人物。


「あ、有岡!?」

「瀬川? どうしてここに?」


 そう。それは有岡愛菜だった。


「な、なんで瀬川が私の家に?」

「有岡の家? 俺の家が?」

「瀬川の家?」


 有岡が指しているのは、どう見ても、俺の住むマンション。


 ……嫌な汗が流れる。そして多分、俺の考える予感は当たっているだろう。


「……有岡、もしかして」

「……うん」


 有岡の顔を見ると、彼女も俺と同じような表情をしている。

 彼女も予感したのだろう。


「ええっと、――帰るか……」

「……そうだね」


 予感の確認の意味も込めて、彼女にそう提案した。


 俺はマンションに入る。有岡も俺に続いた。

 俺はエレベーターの前に立ち、エレベーターを呼び出すボタンを押す。有岡も俺の後ろに立っている。


 ……これはもう確定だ。


「こんな偶然あるんだね」

「マジかよ……」


 苦笑気味に有岡が言う。

 俺は頭を抱えた。


☆☆☆


「ただいま」

「おかえり~!」


 家に帰ると、元気な声が聞こえた。

 登場したのは、可愛らしい少女、俺の妹――瀬川智花だ。


「お兄ちゃん、おなか減った~」

「はいはい分かったよ」


 甘えん坊な妹である。

 俺はさっそくエプロンを付けて、キッチンに向かった。


 それにしても、まさか有岡が同じマンションに住んでいたとはな。

 さっき、そのことについて有岡と話していた。


 どうやら、有岡は前からここに住んでいたらしい。

 俺は高校入ってからなので、一年と少しだ。

 ちなみに、俺は3階、有岡は7階の住人だった。


 この一年間の間、一回くらい会わないものかと思ったが、生活習慣が違いすぎて奇跡的に会わなかったようだ。


 俺と有岡は、今日のように帰り道が違う。どちらも帰宅部なので帰る時間は同じだが、俺は毎日スーパーに寄っているので、その分時間がズレて、会わないのだろう。

 ついでに言うと、俺はいつも遅刻ギリギリに家を出るし、休日ほとんど家から出ない。

 そんなこんなで、この一年間、同じマンションに住んでいたにもかかわらず、そのことを知らずに過ごしたのだ。


 今回は、なにか用事があったようで、その分時間が遅れた結果、時間が被ってしまったんだろう。

 なんの用事だったのかは、はぐらかされてしまい、分からなかった。


「あ~、めんどくせぇ」

「お兄ちゃん! 早く!」

「わかってる!」


☆☆☆


 明日からめんどくさくなるなぁ、などと考えていたのだが、意外にもそんなことはなかった。

 考えてみれば、今まで一度も会わなかったのだから、今までと同じように暮らせば会わないのは当然である。


「愛菜! 今日も可愛いね!」

「そう? ありがとう!」

「へぇ、愛菜が素直に認めるなんて珍しい~」

「ふふんっ。これは、私の努力の証だからね!」

「……なんか、愛菜変わったね。ねえ、今度メイク教えてよ!」

「うん! いいよ!」


 いつも通りに家を出て、いつも通りに教室に入れば、いつも通りに有岡がいた。

 なにも変わらない、いつも通りの日常。いいじゃねぇか。


――そう思っていたのは、昼休みまでだった。



「瀬川食べようぜ」

「おう」


 数少ない友人の一人が、俺の机まで来て、弁当を広げた。

 俺も、持ってきた弁当を広げる。


「相変わらず、お前の弁当は旨そうだな!」

「ちなみに今日は卵焼きをいつもと変えてみた」

「おお! 一個いいか?」

「いいぞ」

「それじゃあ、もらいっ! ――ん~! 上手い!」

「だろ?」


 そう。ここまでは、いつも通りの日常。

 弁当を食べて、少し話して終わり。そうなるはずだった。


「へぇ、瀬川って料理できるんだ!」


 有岡が俺たちの会話に入ってくるなんてことは、これまでなら起こるはずなかった。


「……『瀬川』? ……お前、有岡さんと仲良かったっけ?」


 突然発せられた、友人からの疑問。

 そういえば、有岡は基本的に”さん”付けで呼んでいる。特に呼び捨てするほどの男子は知らない。

 そう考えると、俺は結構有岡の中で特別なポジションでいるのかもしれない。


「昨日の倉庫準備のときに、ちょっと話せる仲になったってだけだよ」

「いい友達だよね!」


 昨日、マンションで有岡と会った時に、同じマンションに住んでいることは秘密にすると決めていた。

 変な誤解を生む予感がしたためである。


 そのため、俺たちの関係は、表上はただの友達だ。まあ、裏でもただの友達だが。


「でも、愛菜が男子を呼び捨てで呼ぶなんて珍しくない~?」

「そ、そう?」


 有岡と一緒に昼食を食べていた友人が聞く。朝、有岡とメイク云々うんぬんの話をしていた人だ。同じクラスだったのか。

 どうやら、彼女は有岡と俺との関係を疑っているようだ。


 これは非常にマズい。

 俺もフォローを入れた方が良いだろう。


「ただの友達だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

「でも、お前も女子と話しているなんて珍しいだろ」

「そ、そうか?」


 やべぇ、こっちも疑っている!?


 うーん、なんかいい言い訳……、思いつかん!

 こうなったら強行突破!


「そんなことねえよ! 何言ってるんだよわが友人よ。ほらほらもうすぐ授業の始まる時間だろ? そろそろ自分の席に戻った方がいいんじゃないか?」

「それは確かにそうだけど」

「そうだろそうだろ。ほら帰った帰った!」


 俺は友人をなんとか返して、昼休みを乗り越えた。 

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