1. 特別

「お? 今欠伸した生徒がいるなぁ? なあ、瀬川それに、有岡?」


 完全にバレてしまった。

 い、いやっ、まだいけるか!?


「ち、違います! 俺は――」


 口の運動をしていただけです! と言おうとして、俺はハッとする。

 もしここで誤魔化しが成功したとして、そうなると有岡に全てを負わせることになるんじゃないか?

 それって、この学園での死を意味するんじゃないか……?

 俺の数少ない友達が、限りなく0に近づくんじゃないか?


 むしろ、有岡さんが欠伸をしていた方が、こいつの世間体的にマズいんじゃ?


「『俺は』――なんだ?」

「い、いえ! 俺は欠伸しました! はい! すみませんでした!」

「ほう。認めるんだな?」

「はい! で、でも、有岡さんは違うんです! 有岡さんは俺の欠伸がうつっちゃっただけなんです!」

「つまり、有岡は欠伸をしていたと?」

「そうです! ……あれ?」


 な、なんかおかしい!?

 俺の理想通りになってない!?


 なんか皆も頭抱えてるし……。


「……っくす」


 おい! 有岡さん! 笑うんじゃねぇ!


「はぁ、もういい、言い訳は」


――カーンカーンカーン


 ちょうどそのタイミングで授業終了の鐘が鳴った。


「ちょうど授業も終わったか。じゃあ瀬川と有岡は、体育倉庫の倉庫確認をして来い。今日は特に連絡もないし、他は帰ってもいいぞ」

「まじかよ……」

「聞こえてるぞー」

「すんませんした!」


☆☆☆


「すまんな有岡さん、フォローできなくて」

「だ、大丈夫だよ。私が欠伸しちゃったのも事実だし。……ふふっ」

「笑うなぁ!!」


 ちょっと間違えただけだし! 次は間違えないし!

 ってかもうこんな機会は来なくていい。

 もうやだよ、倉庫確認なんて。


 倉庫確認。最後に体育を行ったクラスが、放課後に体育倉庫の備品を全部確認するという、謎の規則だ。

 六時間目はどこのクラスも体育をしていなかったようで、五時間目の俺のクラス担当になったというわけだ。


 まあ、そんなわけで、俺と有岡さんは体育倉庫に向かっている。

 有岡さんと一緒だということで、俺に変わってくれというやつもいたが、熊谷先生の絶対許さない態度を見て、皆渋々去っていった。


 ……まあ、それはいい。

 問題は別にある。


「有岡さんは倉庫確認したことあるか?」


 二人ともしたことがない可能性がある。

 その場合、試行錯誤しながらやらなきゃなので、時間がかかる可能性がある。


 つまり――。




 タイムセールに間に合わない可能性がある!

 それは困る! 家計的に!


「実は私、やったことないの。担当の時も、なぜか皆やらせてくれなくて。瀬川君は?」

「俺もないんだよな」


 マジかぁ。

 なんとなくそんな気がしていたが、やっぱりやったことなかったか。

 人気過ぎてやらせてもらえなかった有岡さんと、空気薄すぎてやらせてもらえなかった俺。

 理由は真逆だが、やったことないのは同じ。

 これは少しマズいかもしれない。



 俺たちは職員室で倉庫確認の記録ノートを受け取り、体育倉庫に行った。


「さて、どうするか」

「ん~、とりあえずマニュアル通りにやる?」

「まあそうだな」


 記録ノートにマニュアルが書いてあるので、これ通りにやれば問題はないだろう。

 有岡さんが記録ノートを開く。


「うーんと、最初は備品の確認かな」

「了解」


 俺たちは、コーンやハードルなど、体育で使う備品の数のチェックや壊れていないかの確認などを進めていった。


「そういえば、どうして私を庇おうとしたの?」


 有岡さんが話しかけてくる。

 欠伸しているところを熊谷先生に見つかったときに、俺が有岡さんを庇ったことを言っているのだろう。

 確かに、友人という関係でもない俺が庇ったのは、疑問に思ってもおかしくない。


「だって有岡さんって人気者じゃん? 優等生で通ってるし、あまり失態は見せないほうがいいんじゃないかなと思って」


 俺は素直に思ったことを言った。

 授業態度が悪くて罰を受けるなど、彼女のキャリアに傷がつくと思ったのは事実だ。

 まあ他にも、彼女のファンからの視線が痛かったとか、理由は色々あるが、一番はそういうことである。


 これで有岡さんも納得してくれるだろう。


「むぅ」


 しかし、有岡さんはどうやら不満があるようだ。

 なんか顔をムスッとしている。


 え!? 俺なんか変なこと言いました!?

 むしろありがたいと思われるようなことだと思うんだけど!?(成功したとは言っていない)


「あ、有岡さん……? どうしたの?」

「私、そういうの好きじゃない」

「え?」

「『人気者だから』とか『優等生だから』とか、そういう”特別な人”っていう目で私を見てほしくない。私は私――有岡愛菜よ」

「……」


 俺は”人気者”でも”優等生”でもないから、彼女の気持ちを全て理解できたわけではない。

 これらの言葉は、基本的に誉め言葉だ。マイナスな意味の言葉ではない。

 でも、彼女はその言葉に傷つき苦しんできたのだろう。


 だとしたら、俺は彼女に対して、嫌なことを言ってしまったということだ。


「その、ごめん。悪かった。もう特別扱いはしない」

「そっか、ありがとう」


 俺は彼女に頭を下げた。

 知らなかったとはいえ、俺がやったことは彼女にとって余計なことだった。


 しかし、ひとつだけ、どうしても納得できないものがあった。


「でも、”人気者”で”優等生”だってことは、これからも思い続けさせてもらう」

「え……?」


 そのようなことを言われるとは予想できなかったのか、俺に言葉に驚く有岡さん。


 俺は言葉を続ける。


「特別扱いしてほしくないっていうのは、なんとなくわかる。まあ、つまり人と距離を置かれるってことだからな。それが嫌だってのはなんとなくわかる。でもさ、だからって、有岡さんが”優等生”で”人気者”だってことは変わらない」

「……」


 有岡さんは、俺の話を黙って聞いている。いや、声が出ないといったところか。

 その驚愕といったような表情は、口すらも動かさず、全く変わることがない。


「有岡さんの事情は知らない。けど、自分の努力まで否定する必要はないんじゃないのか?」


 有岡さんに何があったかは分からないけど、有岡さんは生まれた瞬間から優秀だったわけではないだろう。

 有岡さんが”優等生”で”人気者”になるまでには、相当な努力をしたはずだ。

 ”優等生”になるには、常に予習復習を欠かさずにやり、テストで優秀な成績を収め続けなければいけない。

 ”人気者”になるには、肌に気を使い、体に気を使い、友人に気を使い、自分に気を使い、日々生きていかなければならない。

 ――そんな、様々な努力によって築かれた地位なのだ。


「俺には有岡さんみたいな努力を続けられる自信はないよ。――それを続けている有岡さんは凄いと思うし、本当に尊敬してる。だから、自分が努力したってことだけは、否定しないでほしい」


 特別だなんてのは捨ててしまっても構わない。

 しかし、そう思われてしまうほどの努力は、捨ててはいけない。

 ――と俺は思う。


「……あ」


 俺はそこまで話して、自分が上から目線に持論をぺらぺらと語っていたことに、ようやく気が付いた。


「ご、ごめん! 俺みたいな赤の他人が偉そうに言って、不快だったよな?!」

「……ふふっ」


 ペコペコと謝る俺を見て、クスっと笑った有岡さん。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。……ありがとう」


 なぜか深く頭を下げた有岡さん。


「あ、有岡さん!? どうしたの!?」

「本当にありがとう、瀬川君。努力は否定しちゃダメなんだね」

「い、いや、あれは俺の持論っていうか、そこまで真に受けなくても――」

「そんなことないよ。瀬川君の言葉、心に響いたよ」

「そ、そうか?」


 よくわからないけど、それなら良かった。


「なんだか私、瀬川君とは良いお友達になれそう」

「そうか? それなら嬉しい限りだな」


 人生、なにがあるか分からない。

 まさか、授業中にふとしてしまった欠伸で、隣の席に女子と友達になれるとは。


「じゃあ有岡さん、倉庫確認、早く終わらせちゃおっか」


 俺は倉庫確認ノートを開いて作業を再開しようとする。


 しかし。有岡さんはまた顔をムスッとさせていた。


「あ、有岡さん?」

「瀬川君! ”さん”付け禁止!」

「えぇ!?」


 なぜ突然!?


「瀬川君とは良いお友達になれそうって言ったじゃん! ”さん”付けって、なんか距離遠くない!?」

「え、え~……。じゃあ、有岡?」

「うーん、うん! それでいっか。よろしくね! 瀬川!」


 ニコリと笑う、屈託のない笑顔。その目には裏の顔が見えない。

 なんだか、彼女を好きになるやつの気持ちが、少しわかったかもしれない。

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