鮫になりたい 【一話完結】

大枝 岳志

鮫になりたい

 情け容赦のない鮫みたいな漢になりたい。

 そう思い、俺は生きて来た。名前だって変えた。

 田中伸司といういかにもクソ真面目野郎みたいな名前だったが、今の俺の名は田中丈頭(ジョーズ)っていうんだ。どうだ、いかにも鮫らしくて怖そうな名前だろう?


 うちのお母様とお父様は、いや、ババアとジジイは俺を愛情たっぷりに可愛がって育てやがった。

 何をするにも俺を褒め、自由にさせ、そして良い部分を沢山伸ばしてくれやがった。

 そのせいでこの俺と来たら、高校まで県内トップの成績を維持するという鮫の風上にもおけない不様な生き方をして来ちまった。


 十七の夜、金曜ロードショーで偶然観た鮫の映画に俺は魅入られた。あの凶暴な風体、そして恐ろしい牙、今から行くぞ! と告げるように、ヒレを水面から出して泳ぐあの姿。その全てが俺を虜にした。なんで鮫に生まれなかったのかと後悔に後悔を重ねたほどだ。


 地方の大学を首席で卒業後、俺は陸の鮫ことヤクザの世界に足を踏み入れた。何をどうしたらヤクザになれるのかも分からず、住んでいた県で一番大きな組の本宅へ直接出向いた。

 入口に居た人間凶器のような顔の男に、俺はこう尋ねた。


「すいません! ヤクザになりたいのですがどのようにしたら良いのでしょうか!?」

「あぁ!? ナメてんのかテメェこらぁ!」

「いいえ! 本気も本気です!」

「ポマードでびっしり固めた七三分けの坊ちゃんに勤まる訳ねぇだろ馬鹿野郎! とっとと帰れや!」

「いいえ! これは鮫の肌を模した髪型なのであります!」

「鮫? なんだ、おまえ鮫が好きなのか?」

「はいであります!」


 俺が意気揚々と返事をすると、男は自慢げに腕に彫られた鮫の入墨を俺に見せてくれた。


「さっ! 鮫肌ですか!」

「おう。これがホンモノの鮫肌ってヤツよ」


 鮫肌男に気に入られ、俺は親分の部屋へと通された。

 親分はいかにも親分然としていた。銀狼のような白髪をオールバックにしていて、赤い作務衣姿で拾い畳部屋の真ん中に胡座を掻いて座っていた。

 俺はヤクザという世界で鮫になりたいという夢を親分に語ると、親分は俺に着いて来いと言って部屋を出た。

 車の後部座席で親分の隣に座ると、親分はこう言った。


「おまえ、家は何処だ?」

「はい! 飛折町の三の五であります!」

「よし。おい、車出せ」


 そのまま俺の家へ辿り着くと、親分は俺のお母様とお父様、いや、ババアとジジイにこんな事を抜かし始めた。


「突然ヤクザになりたいと言われ、私共は非常に困惑しております。この子はどこからどう見ても真っ当な社会で人様のお役に立てると思うので、どうか力になれたらと思うのですが」


 そんな事を言ったもんだから、うちのババアとジジイは飛び上がって悦びやがった。


「まぁ! ジョーズちゃんが人様のお役に立てる時が来たのね!」

「ジョーズ! よくやった! おまえはもう既に立派になっている!」


 二人のリアクションに若干引いた様子を見せていた親分だったが、俺を立ち上がらせると次なる場所へ車を走らせた。

 車がとある施設の駐車場へ着くと、親分は俺にこう言った。


「お前に筋者は無理だが、お前なりに筋を通せる場所ならここにある。館長に話を通してやるから、おまえはここで漢になれ」


 連れて行かれた先は郊外に建つ水族館だった。

 そうして俺は親分に言われるがまま面接を受ける事になり、鮫の担当者がブラジルへUターン帰国した直後のタイミングだった事もあり、運良く就職する事が出来た。


 俺は今日も容赦なく、鮫の怖さを伝える為にマイクを持つ。来館者のガキ共が群れを作り、水槽の前に腰を下ろして息を呑んでいる。


「この鮫は普段は温厚でおとなしい性格ですが、獲物が近くにいると感じた瞬間に獰猛になります。細心の注意を払わないと我々職員も餌になりかねません。海辺などで鮫が背びれを出して泳いでいる時は周りを威嚇している訳ではなく、獲物を捕らえようとしてる最中なのでとても危険です。そのような状態の鮫に万が一出会ってしまったら……」


 ガキ共の顔が恐怖に引き攣り、ガタガタ震え出している。いいぞいいぞ。小便を漏らせ。俺はトーンを変えながら、鮫の怖さを今日も容赦なく完膚なきまでに伝えている。


 事務所へ戻ると館長の野郎が俺を呼び止めた。


「田中君! お疲れ様! 勤続二年、無遅刻無欠勤の皆勤賞おめでとう! これ、臨時ボーナスね」

「ありがとうございます! 鮫貯金にします」

「早く水槽で泳げる日が来るといいね! ははは!」

「へい!」


 俺は本物の鮫になるべく、鮫貯金を始めている。

 金が貯まったら人体改造をして、あの水槽の中に入れてもらう予定だ。

 容赦なく俺を紹介出来る後輩を見つけなければならない。

 四月に入社して来た鮫島という何とも羨ましい名前の坊やが、今の所俺の後継者候補だ。


「おい、鮫島。そろそろサメはどうだ?」

「いやぁ……僕はペンギンがどうしても好きなもんで……」

「おう、そうか。無理はするなよ」

「はい!」


 こんな調子で、容赦なく俺は鮫島に接している。辞めてもらっては困るからだ。けれど、いつか鮫島をあの水槽の前に立たせてみせる。

 鮫島の野郎、一丁前にこの俺様にペンギンの餌やりを手伝ってくれだなんて縋って来やがった。

 

 俺は休憩するつもりで座った椅子からすぐに立ち上がり、力強く頷いてみせる。どうだ、これが鮫の「了承」ってヤツだ。あまりの大迫力に、鮫島は何の反応も見せずにこそこそ餌やりの準備を始めやがった。なるほど、ビビり倒してやがるな。 

 さて、バケツにたんまり入った餌を運んでやるか。

 

 俺は今日も容赦なく、忙しない一日を過ごしている。

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