最終話 華は誰が為に散るものか 後編

思い出せないことだけを、覚えている。


確かに思い出せないことを。


「風磨くん!」


僕の名を嬉しそうに呼んでくれた___あの人のことを。


コロコロと変わる表情を。


誰よりも真剣なその気持ちを。


小さな背中に背負った宿命を。



___彼女が僕にくれた温度を。



その全てを思い出せないことだけ、それだけを覚えていた。


意識の底は、光に満ち溢れていた。


白く何もない場所。


そこを僕は歩き続けていく。


ただほんの少しだけ残る“あの人”の残像を辿っていく。


……ああ、忘れたくない。


一歩踏み出す度に、僕から何かが零れ落ちていく。


大切な何かが、忘れ去られていく。


嫌だ、そんなの。

嫌だよ、忘れたくない。


だから、僕はただ残像を歩き続けていた。


せめて、名前だけでも。


その人の名前を。



「   」



……目覚めたくない。


目覚めてしまったら、きっとあの人は消えてしまう。


僕は思い出せなくなってしまう。



「   」



それなら、一生眠ったままでいい。


あの人の温度を忘れないまま、眠ったままでいいよ。



「   」



人でもない、夢喰いでもない。


それでも、僕が愛したあの人は___



「   」



僕の手を、誰かが掴んだ。


ふわりと香る、懐かしい匂い。


耳元で、囁き声がした。




「それでも、あなたを愛していたんです」




* * *



光に満ちた病室で、一人の少年が横たわっていた。


名も知られていない、密かな英雄。


彼はその身で血に塗れた戦場をいくつも駆けて来たのだ。


その印のように、彼の右目には大きな傷が刻まれている。


だが、寝息を静かに立てて眠り続ける彼の様子は、まるで小さな子供だった。


それはそうだろう。


彼はたった17才。

全てを背負うには、あまりに幼すぎた。


……そして、その彼の手を握る、一人の少女がいた。


彼女は長い髪を二つ結びに揺らし、ただ彼のそばに座っていた。




そして。




ほんの少しだけ、眠る少年のまつ毛が震えた。


そうして、ゆっくりと___本当にゆっくり、左目の瞼が持ち上がる。


眠そうなその目は、少女を捉えて……見開かれる。


「…っ……」


ぼろぼろと、その目から大粒の涙が溢れ出しては、シーツに落ちた。


言葉になりきれなかった嗚咽が、彼の唇から漏れる。

喜びと悲しさの混ざったそれを、なんと呼ぶのが正解だったろうか。


少なくとも、そこに言語は必要なかった。



少女は、身を乗り出し___少年の名を呼んだ。







「おはよう、





エピローグに続く。

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