最終話 華は誰が為に散るものか 前編
第72話
私___竹花心呂がその日いたのは、病院だった。
入院しているわけではない。
私自身は比較的傷が浅く、入院はたった1週間ほどだったっけ。
そしてそれと同時に___“竹花優希”は失踪した。
誰にも見つからないように家を出て、今はホテルに泊まっている。
「……」
それでも私が病院にいるのは___それは。
別れを告げる為だった。
私は病室のネームプレートを見上げる。
四人部屋らしく、何人かの名前が書いてあるその1番下。
そこに、“シオン・アルストロメリア”の文字があった。
……やっぱり、ちゃんと、言おう。
今までずっと嘘をついていた事。
もう二度と会う気はない事。
ちゃんと言って、謝ろう。
もう二度と会わないつもりだったけれども、それじゃあ私はただ逃げただけになるだろうから。
私は覚悟を決めて、病室の扉を握った。
一度、深呼吸。
___言うだけでいいんだ。
言えたなら、もういいんだ。
もう戻らない。
シオンを悲しませたって、構わない。
___そのはずだ。
そのはず、なのに。
「……っ」
私はドアノブを引けなかった。
代わりに、ボタボタと涙が落ちていく。
手が動いてくれない。
なんで引けないの……?
「…っ、ぅ……」
シオンに顔を合わせたくない___今までの事全部嘘だったなんて、言いたくない。
言ってしまったら、今まで見廻隊で過ごしてきた時間まで嘘になる。
本当は、全部全部、私が嘘をついてきたせいなのに。
「ごめんね…ごめんね、シオン……」
そして、全て言ってしまった後の、シオンのその表情を……想像したくなかった。
悲しむだろうか、ショックを受けるだろうか。
きっと、私を嫌いになるだろう。
それは良いんだ。
だけど、シオンを悲しませたくない。
結局私はシオンを裏切った。
シオンも私を裏切った。
相棒なんてなかった。
それでも……それでも、悲しませたくない。
___それが例え身勝手でも。
「……ねぇ」
カツン、と靴の音が聞こえた。
足音が私のすぐ横まで近づいてくる。
走ってきたのだろう、近づいてきた“誰か”は、少しだけ息を上がらせていた。
「勝手にいなくなった癖して……泣きたいのはこっちっすよ」
やけに聞き覚えのある声。
そして、ポン、と手が頭に乗せられた。
それはやけに大きく、そしてゴツゴツしている。
あまりに懐かしい声に、私は思わず顔を上げた。
「___ユーキ」
目の前に、シオンがいた。
「な、んで……」
思わず呟く。
なんで、私だって分かったの?
今の私は、夢術を使っていない。
当然、シオンだって私が“竹花優希”であることは知らないはずだ。
すると、シオンは私の頭から手を離し、顎に手を当ててドヤ顔をする。
「……そりゃあ、ぼくはユーキの相棒っすからね。
ぼくの目を誤魔化せると思ったら大間違いっすよ!」
ふふんっ、と自慢気だ。
普段だったら、そこにツッコミを入れていた。
だけど……今の私にそうすることはできない。
「……あの」
ああ、やっぱり駄目だ。
私は足を一歩引く。
駄目だ、ここで突き放さなければ、きっと私はシオンに縋ってしまう。
精一杯の作り笑いで、私は言った。
「___どちら様ですか?
初対面ですよね」
その途端、すっとシオンから笑みが消える。
一瞬だけ目を見開いたのち、真顔になった。
「まだ誤魔化すつもりなんすね」
その表情に、繕う様子はない。
「勝手っすけど……ユーキがいなくなった後、ちょっとだけ調べさせてもらったんすよ。
タイチョーから、“竹花優希”という生徒は東桜庭高校に在籍していないことを教えてもらったっす。
それで竹花グループに関する新聞を調べて___十数年前に、“竹花優希”は死んでいることを知った」
そう告げる表情は、意外にも淡々としていた。
「君は、ユーキは……“竹花心呂”、なんすよね?」
私はそっとため息をつく。
なぁんだ。
なんだ、知ってたんだ。
「それなら、なおさらだわ」
知ってたなら……シオンが悲しむだなんて想像、杞憂だったんだ。
「分かってよ……相棒だって思ってるならなおさら。
全部嘘だったの、始めから。
“竹花優希”はもう死んだの。
相棒だなんて___始めからありやしなかった」
ね?と私は唇の端を上げる。
だが、シオンは一歩踏み込んだ。
そして、グッと私の手首を掴み寄せる。
「___で?」
彼が言った。
「で?
だから、なんなんすか?」
視線を上げた私は___目を見開く。
背中に何か冷たいものが走ったのを感じる。
……シオンは、笑っていた。
どこまでも闇に満ちた瞳で、笑みを浮かべていた。
「あ……」
脳裏にフラッシュバックする、笑顔。
それは確かに“憑神”だった。
あの日私を殺そうとした___夢喰いの顔。
「ぼく……もう自分が何者か分かんなくなっちゃった。
シオンなのか憑神なのか、はたまた___それですらないのか。
それでも、ユーキがぼくを“シオン”だって言ってくれたから……ぼくはシオンでいられるんすよ?
ねぇユーキ。
救ったなら、最期まで責任とってよ。
相棒なんてなかったのなら………今、相棒になれば良いじゃないっすか、ね?」
それは、相棒なんて言わない。
私はシオンに手をつかまれたまま思った。
そんなの、相棒なんかじゃない。
恋でも友情でも、ましてや愛なんかない。
___互いの存在を、互いに委ね合うだけの、共依存だ。
だけど。
半開きになった自分の唇が、ゆっくりと笑顔を形作っていく。
だけど。
それをシオンが“相棒”というのなら___
「良いよ、シオン」
狂ってる。
こんなの狂ってるよ。
掴まれた手で___逆に、私はシオンの手を掴んでやった。
彼の体を引き寄せる。
「初めまして、私の相棒」
このままいっそ。
いっそ、永遠に本当の相棒になれなくても。
___私たちだけの間違えた相棒で居よう。
* * *
眼鏡を、新しく買った。
たったそれだけの事なのに、俺___仁科凪にとっては一大事だった。
新しく買った紺のフレームの眼鏡は、何故か視界を新しくしているような気がして……落ち着かない。
度数も、レンズも変わらない。
ただフレームが違うだけだ。
本当に___本当にただそれだけ。
それだけなのに、俺にとっては大切な違いだった。
「悪い、眼鏡壊れた」
それがあったからかもしれない。
紅の墓前、開口一番飛び出たのはそんなセリフだった。
他に言いたいことは山ほどあったのに、結局声になったことはそれだった。
…彼女の名が刻まれた冷たい石は、うんともすんとも返答しない。
だが、少しだけ……それから拗ねているような雰囲気が伝わるのは、きっと俺に罪悪感があるからなんだろう。
___詩は、墓地に着くとすぐに近くのコンビニに行ってしまった。
気を遣ってくれたのだろう。
俺と紅が、二人きりで話が出来るように。
「本当、申し訳ないと思っている」
俺は静かに墓石に向かって言った。
壊れた眼鏡は、俺の誕生日プレゼントとして、紅が買ってくれたものだった。
結局、俺が誕生日迎えるその前に、彼女は逝ってしまったのだけれど。
……きっと、新しい眼鏡が落ち着かないのはそういうことだ。
紅からもらった物がずっと一緒にあれば、ずっと紅とも一緒にいれるような気がしていたから。
そんなの幻想だって、妄言だってわかってる。
それでも、だから、こんなに___寂しさが抜けないのだろう。
ポツリ、と地面が丸く濡れる。
「あれ……」
雨?
俺は空を見上げるが、空は雨どころか雲一つない快晴。
じゃあ、何故?
だが、地面はポツリポツリと丸く滲みを描いていく。
ああ、これは。
思わず俺は目を細めた。
泣き虫は卒業していたつもりだったが、やっぱりまだまだ厳しいようだ。
ぐっと雑に涙を拭ってから、俺は少しだけ車輪を進める。
……翠奈との戦闘で、俺の足は切断された。
義肢を使ったとて、もう以前のような戦闘は厳しいだろう。
だから……
「紅……俺は、もう桜庭見廻隊の隊長はやめる」
戦いから身を引く。
それが翠奈を殺した俺の決断だった。
戦いの場以外から、皆を支えていく。
皆の命も、俺の命も守るためには、そうすべきだと思った。
足を引っ張らないために、俺は一線から退くべきだ。
大丈夫、だって、桜庭見廻隊は強いのだから。
「だからこれは、隊長としての最後の餞だ」
そっと、紅の墓に花を置く。
夕焼けのようなその花の名は___“紅花”。
その時、風が舞った。
どこまでも吹き上げる風が。
彼女の名を冠したその花は、美しく花びらを散らせる。
「守ってくれてありがとう、紅」
唇に乗せた呟きは、青空に溶けていった。
そう、きっと彼女なら知っているのだろう。
俺はついこの間まで知らなかったけれども。
紅花の花言葉は___「愛する人」ということを。
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