第71話 戦いの果て


第71話


あの日から、1ヶ月は軽く過ぎ去った。


いやはや時間というものは早いものだ。


……というか、それはぼくらが手術を受けて眠っていたからなんだろうけど。


「なに感傷に浸ってるのよ」


はぁ、と北条先輩がため息をついた。


「別に、なんでもないっすよ」


ぼく……シオンはフェンスに頭をもたれて答える。


ここは病院の屋上。


北条詩先輩が以前飛び降り続けていた場所だ。


その標のように、床にはいくつものカッター痕が残っている。


「それにしても本当愛嬌なくなったよね、シオンくんって」


「……まぁ、もう良いかなって」


彼女の皮肉に、ぼくは目を合わせることなく答えた。


もう良いんだ、今更笑顔なんて


“ぼく”自身いなくなった今、笑ったところで守れる物なんてない。


「何だって?

相棒がいなくて寂しいっすぅーって?」


「言ってないんすけど、一切」


ぼくの突っ込みに、小さく彼女が吹き出す。


……笑い事でもないんだけどなぁ。


まさか生かされるだなんて、思っていなかった。


優希のことだ、殺してくれるだろう。

そう思っていた。


……だから尚更、優希が消息を断つだなんて思わなかったんだ。


今更寂しがるだなんて、とんだお門違いだけどね。


「そんな事より、先輩の方が無理してるんじゃないんすか?」


「私?」


彼女は軽く足で床を蹴った。


床の小さな傷が、カツンと音を立てる。


「そう見えるんだ、シオン君には」


「……辛いのを押し殺してる様には、見えるっすね」


ぼくの言葉に、彼女は目を伏せる。


「辛くないって言ったら嘘になる。

だけど、辛さに優劣なんて付けたくないし。

辛い思いしてるのは皆同じなのに、私だけ被害者ぶるなんて最低じゃない。

それに……約束したから、生きるって」


「……」


その言葉に、少し胸焼けがした。


生きるだなんて堂々と言える彼女に、羨望と嫌悪が同時に襲ってくる。


「でも、やっぱりさぁ」


北条先輩の声が、思考に被さった。


「シオンくんは違うと思うよ」


「……違う?」


ぼくは目を瞬く。


彼女の言葉の真意が掴みかねた。


「シオンくんのそれは、辛いわけじゃなくて___逃げてるだけじゃないの?」


“逃げてる”。


その言葉が冷たく突き刺さった。


小さく胸が痛むのを、ぼくは無視する。


「ぼくは何からも逃げてるつもりないっすけどね、少なくとも今は」


「逃げてるでしょ……竹花さんのこと」


もう一度、ずきりと胸が痛む。


きっと優希はぼくを見捨てたのだろう。

全部知って、ぼくを生かした、その後で。


「……あれは、ユーキの判断っすから。

ぼくには、止める権利も義務もない」


自分の言葉尻に棘が混じる。


思い出させないで、優希の事なんて。


……もう、終わった事だから。


「ほら、逃げてるじゃん」


ぼくが言い終わるか終わらないかのうちに、北条先輩が言った。


「せめてちゃんと話つけてから言いなさいよ。

勝手に居なくなられて終わりじゃ……そんなの不公平でしょ」


少し、フェンスが揺れる。


北条先輩が、それを強く掴んだからだ。


「だから、言ったじゃないっすか。

ぼくに今更そんな権利なんてないって」


第一裏切ったのはぼくの方だし。


そんな事を考えながら、そっとフェンスから離れた。


北条先輩は、フェンスを掴んだまま動かない。


それを横目に見ながら、ぼくは屋上のドアノブを掴んだ。


「まぁでも、ちょっと話せて楽になったっす。

ありがとう、先輩」


「……分からずや」


彼女の唇から聞こえてきたのは、震えた呟き。


「分からないんでしょ、なんでシオンくんがまだ見廻隊員で居られているか」


ドアノブを回す手を止める。


「そんなの、ぼくが知りたいくらいっす。

ぼくは“全部”タイチョーに報告したんすけどね」


自分が裏切った事、先輩と優希を殺しかけた事___今も自分が何者か確証が持てないこと。


その全部を。


「じゃあ教えてあげるよ」


がちゃん、とフェンスが鳴った。


振り返ると、すぐ近くに彼女がやって来ている。


彼女は自分の拳を強く握りしめていた。


「誰も、シオンくんの権利なんて気にしてないからだよ」


「……」


「シオンくんがやった事は、許されない事だよ。

私も皆も、これから一生許しはしない。

だけど、それでもシオンくんは私達の仲間なの。権利だの義務だのどうでもいいの。

……それはきっと竹花さんも同じでしょ?」


そこで彼女は一度大きく息を吸った。


そして、吐き捨てるように言葉を継ぐ。


「いい加減認めなよ。

シオンくんを救えるのは竹花さんだけなんだって」


___お前はシオンだ。


優希が叫んだ言葉が、耳の裏に甦る。


___それ以外の何者でもない。


力強く、そう言い切った声が。


ぼくはドアノブに縋るように握り締めた。


「北条先輩___」


もう居ても立っても居られなかった。


「___ごめんなさい、ちょっと行ってきます」


ぼくが“シオン・アルストロメリア”でいる為には___




が、必要だった。


* * *



バタバタ、ドタン。


荒い音を立て、扉が閉まった。


「……」


屋上に残されたのは、私___北条詩と、あとは静寂だけ。


「……あーあ」


ずるずるとその場に座り込む。


「何やってるんだろ、私」


___シオンくんを救えるのは竹花さんだけなんだって。


そう認めるべきなのは、本当は私の方だった。


彼には、きっとシオンくんがどう苦しんだかなんて分からないだろう。


死が現実として目の前に姿を出した時の、あの恐怖。


絶望、戦慄、諦念、その他もろもろ。


それらは自らの死を確かに見た人にしか分からない。


“予てしまった”シオンくん、そして、“飛び降りた”私。


シオンくんの恐怖を分かってあげれるのは、きっと私だけだ。


シオンくんの行為を許すことは出来なくても、理解することは出来る。

全て捨ててしまいたい衝動というのも分かる。


___だけど。


だけど、私にシオンくんは救えない。


どんな言葉でも、どんな行為でも。


……私がどんなにシオンくんを好きでいたとしても。


救えないんだ、私には。


シオンくんの心に手が届くのは、“相棒”以外に誰もいないのだろう。


シオンくんを動かせるのは、恋でも愛でもなくて___たった1人の相棒だけなのだろう。


彼に背中を斬りつけられた時、それが分かってしまった。


……だったら、この想いは捨てるしかない。


裏切られてなお、消えることの無かったこの気持ちを、どうにかして握り潰さなくちゃいけないんだ。


「あーあ、本当最低」


私はゆるゆると立ち上がり、惰性だけでフェンスの側まで寄った。


フェンス越しに見える、地上。


この景色を、私は何回も見てきた。


そして、何回も足を外してみた。


あの時は、お兄ちゃんがずっと“まも”ってくれていたけれど___もう、私を止めてくれる人は1人もいない。


ぎゅっと、私はフェンスを握りしめた。


今なら、飛び降りたら死ねるかな。


お兄ちゃんの元に行けるかな。


そんな想像が、ふと脳裏を掠める。


自分の身体が地面に横たわっている。

そして、全身から赫い血が溢れている。


そんな図が。


「……」


ダメだな。


私はフェンスに足をかけた。


がちゃんがちゃんと揺れるフェンスをよじ登る。


___約束したんだ。


お兄ちゃんの事忘れるって。


忘れるくらい生きてやるって。


フェンスの上まで登った私は、躊躇なくその手を離した。


身体が宙を舞った。


___もう、私は飛び降りて死ぬことは無い。


だって___


地面に落ちる寸前、身体がふわりと浮かび上がった。


「何やってるんだ、危ないだろ」


ぶっきらぼうな声と共に、優しく地面に下ろされる。


私はすぐに立ち上がって、車椅子の人物を振り返った。


「いること分かっていたから飛び降りたんですよ。

階段下りるより、こっちの方が早いですからね」


___私は、一人じゃない。


「ね?仁科さん」


はぁ、と彼が溜息をつく。


___夢術:かぜ


私を受け止めてくれた風が、穏やかに溶けた。


彼は車椅子の車輪を手で回しながら、私の元にやってくる。


彼の足は、先の戦いで使い物にならなくなっていた。


「確かに俺の夢術なら受け止められるが……。

危ないだろ、階段くらい普通に下りろ」


えへへ、と私は笑ってはぐらかす。


「仁科さん、どこに行くんですか?」


「着いて来る気か?」


私は彼の車椅子のレバーを握った。


「はい、思いっきりお邪魔する予定です」


動かしますよー、と声をかけてから、レバーを押し込む。


ゆっくりと動き出した車椅子の背に、彼は身を預けた。


「紅のところだ」


___ああ、お墓参りか。


私は悟る。


確か紅というのは、戦死した隊員のことだったか。


そして、仁科さんの愛している人だったか。


「それじゃあ、私も挨拶しないとですね。

新入隊員として」


口から出まかせを、私は吐く。


「新入という割には結構時間経ったけどな」


彼は穏やかに笑った。



……それは、誰かに恋焦がれ続ける、一人の少年の顔だった。




72話に続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る