第69話 あなたの救いが、見つかりますように 後編
桜坂風磨に核を壊された。
そう分かった時にはもう、俺は崩れた床と共に宙を舞っていた。
……結局、呆気なかった。
1000年生きてきた。
そして救ってきた。
それでも、最期というものはこんなに呆気ないものなのか。
他の夢喰いは救えただろうか。
それともやはり死んだのだろうか。
俺は___仲間を救えたのだろうか。
まぁ、考えても仕方がないことだ。
このまま俺は消え去る。
……それだけなのだから。
だけど___
それでも、最期に少しだけ願ってしまうのも事実だった。
だけど、もし来世というものがあるのなら。
それならば、今度は。
今度は___普通に生きてみたい。
人として、誰も救えずに生きてみたい。
孤独に潰れずに……できれば、アサギと一緒に。
「大丈夫、私がついているからね」
いつしかのアサギの言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。
……今更だ。
今更、アサギと一緒にいることが俺の救いだと分かっただなんて___本当に癪だ。
「アサギ…」
長い間触れてすらいなかった彼女に、ぎゅっと抱きつく。
ああ、もう終わりだ。
だが、意外にも最期は寂しくなかった。
だってそうだ。
アサギが、いてくれたのだから。
* * *
「……お兄ちゃんの馬鹿」
よりによって、最期の言葉がそんな事だなんて。
忘れるだなんて、お兄ちゃんの記憶を消すだなんて。
そんなこと私に___北条詩に出来るわけないって、お兄ちゃんも分かっているはずなのに。
だが、それでもお兄ちゃんにとっての私の“最善”は、彼を忘れ去ることなのだ。
それが、彼の精一杯だったんだ。
「……っ」
私は身を乗り出した。
もう冷たい彼の耳に、唇を寄せる。
___そういえば、以前聞いたことがある。
人が死んだ後、最後まで残る五感は聴覚らしい。
心臓が止まった後でも耳が聞こえていたという話だってよく聞く。
「分かったよ」
___だから、これは私の仕返しだ。
最低な最期の言葉を……呪いを私に残してくれた彼への、仕返し。
私からの呪いだ。
「忘れてあげる。
お兄ちゃんの事忘れるくらい___生きてあげるよ」
白昼夢には、頼らない。
彼の事を抱えながら生きて、生きて、生きてやる。
お兄ちゃんの事を忘れるくらい生きてやる。
「だから……」
ずび、と鼻を啜った。
「寂しがったって……もう知らないんだからね……!」
丹生晶は、とても愚かな人だった。
おまけに嘘つきで、大馬鹿者で、お人好しな人だった。
最低だった。
とてもとても愚かで、馬鹿で______それで、とても優しい私のお兄ちゃんだった。
* * *
焦げた匂いが、辺りには充満していた。
まだ消えきっていない火が、あちらこちらで小さく燻っている。
だが、それも大きな炎となる前にひとつ、またひとつと消えていった。
___これで、良いんだ。
俺は……仁科凪は地面に倒れながら思った。
スイを、仁科翠奈を殺した。
夢喰いとはいえ、自分の姉を手に掛けた感覚は、もう一生消えてくれはしないだろう。
___これで、良かったんだ。
自らの脚から流れ落ちる血液は、床を赤く染めていった。
間違った事をしていないと、正しいのだと何度も何度も心の中で反芻する。
それでも、強い喪失感は拭い去ることはできなかった。
ゆっくりと意識に靄がかかっていく。
その靄に抗えるほど、もう俺に力は残っていなかった。
やれることはやった。
俺は“桜庭見廻隊隊長”として、出来ることは尽くしたつもりだ。
心中で頷き、俺は目を閉じる。
瞼が落ちるその一瞬前、歪んだ視界に誰かが映った気がした。
……その誰かに、俺は投げかける。
「___これで満足かよ」
俺の問いかけに、影が笑った気がした。
「うーん……まだまだだよ、凪」
それは紛れもない___
「まだこっちには来させられないね」
紛れもない、紅の声だった。
はぁ、と俺はため息をつく。
こんなものは幻聴だ。
そう分かっていた。
紅は、もういない。
俺を置いてとうに遠くに行ってしまった。
生きるか死ぬかの瀬戸際でも尚、紅に縋ってしまうだなんて情けないな。
それでも今は、何でもいい。
幻聴だろうと幻覚だろうと___ただ、紅の声が聞こえたことだけで十分だった。
「手厳しいな」
これ以上どうしろっていうんだよ、紅。
……これじゃ、もう一度会えるのは当分先になりそうだな_____
静かな満足感だけを残して、俺は意識を手放した。
第70話に続く。
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