第69話 あなたの救いが見つかりますように 前編
第69話
「来てくれると思ったわ」
俺が環の密告を聞いてアサギの家に出向いた時、彼女は環と対峙しながら微笑んでいた。
“アサギが裏切った”
その言葉を、否定してほしいが為に。
俺自身で、出向いたのだ。
だが、彼女の笑みは思ったものよりも穏やかで……丸で、この先のことも全て見通しているかの様に見える。
「……環」
あまりに、不気味だった。
だからこそ、俺は環に呼びかける。
「はい、ヨザキ様」
「そこを退け。
そして俺が良いと言うまでここから離れるんだな」
俺は乱暴に彼女の身体を押しやった。
彼女はやけに簡単に押し退けられる。
その眼を見て、俺は自分の判断が正しいことを再確認した。
……彼女に、アサギの最期を見せてはならない。
俺に密告したとはいえ、教団側に来たとはいえ____それでも、彼女はアサギを慕っている。
それは密告までした___今現在もだ。
それは随分と愚かなことだった。
本当は今にも辞めさせるべきだ。
だけど……少なくとも今は。
今は、彼女の目にアサギの最期を写させてはならないと思った。
夢喰いの少女を押し退けた俺は、影の刀を握る。
それを見計らうように、アサギが手にしたのは細い刀。
着物の中に隠していたのだろう。
そして、その刀から溢れるように舞っているのは桜の花びらだった。
「……来てくれると思っていたわ」
アサギは先ほどと同じことを繰り返した。
「私が“教祖”を殺そうとしているだなんて言葉を聞いたら、ヨザキは絶対に来ると思ったの」
あくまでもその切っ先を俺に向けたまま、彼女は優しく言う。
「今すぐにこの茶番を止めにしろ、アサギ」
だからこそ、俺は彼女の言葉を無視した。
「最後の機会だ。
今すぐこの茶番を止めて教団に平伏せよ。
……そうすれば、まだ戻る手伝いはしてやる」
____夢術:影
俺の足元で影が燻る。
いつでもそれが彼女を喰らうことが出来るように。
「……そうねぇ。
今ここで私がヨザキに謝ったら、きっとヨザキは許してくれるわね」
その言葉は決して俺を舐めているわけではない。
彼女は俺を分かっている。
……本当は、彼女が俺を殺すと言ったとしても、俺は彼女を殺したくないことも。
だが___
「でも、ごめんね。
私は___大切な人がいるの。
この世界から守りたい、大切な人が」
___桜が、舞った。
御衣黄。
彼女の刀から、枝が伸びる。
縦横無尽に駆け巡ったそれは、俺を刺し殺さんとする。
「冥闇!」
俺はそれを影の刃で薙ぎ払った。
「俺は教祖だ……!
大切な人がいる?
そんなもの俺だってそうだ!」
守りたい?
そんな生ぬるいものじゃない。
守らなくてはならない、救わなくてはならない夢喰い達がいる。
ずっと守ってきた、救ってきた同志が。
「……そうね、あなたはそういう者だったわ」
アサギの目は冷めていた。
「だけど、それじゃあヨザキは誰が救うの?」
枝から漏れた桜の花が、俺を焼く。
影の刃と、アサギの刀が交わった。
高い音を立て、それは弾かれる。
俺は呟く。
「……そんなの、知らない」
自分の口角が引き攣った。
俺は救われる側じゃない、救う側だ。
誰かを救う為には、救われてはならないから。
……でも。
でも、少なくとも……ここでアサギを殺すことは、絶対に救いではないと分かっていた。
一人には、なりたくない。
ひとりぼっちなのは、もういやだ。
だからどうか、今すぐ。
今すぐ、冗談だよ、と笑って欲しかった。
「そっか」
そんな諦めたような相槌じゃなくて。
「でもそれじゃあ、ヨザキに私は殺せないわ」
そんな冷たい言葉じゃなくて。
そんな斬撃じゃなくて。
……本当は、ただ一緒にいて欲しかった。
「……そんなことはない」
俺は自分の気持ちを押し殺すように___彼女の首元に刃を突きつけた。
パサリ、と切れた髪が落ちる。
「俺は教祖だ」
俺は俯いたまま言う。
「もう昔の俺じゃないんだ。
信者を守る為なら___叛逆者は残さず殺す」
アサギは夢喰いだ。
首に軽く刃を立てたくらいで死にはしない。
それでも……彼女を殺すという意思表示には十分。
「……そう、ね」
それも良いわね、とアサギは静かにつぶやいた。
何が良いかは未だに分からない。
だが。
「あなたの救いが早く見つかると良いわね、ヨザキ」
その言葉と共に、何故か……手にした刃に小さく衝撃が襲った。
……この際、手応えといった方が正確だったかもしれない。
「……え?」
顔を上げる。
……アサギは、笑っていた。
首筋に充てていたはずの刃は___確かに彼女の核を貫き通していた。
「アサ、ギ……?」
俺が刺した訳ではなかった。
彼女が___アサギ自身が、自分の核に刺し通したのだ。
「どうし、て」
だが、その理由を聞く前に___アサギは灰になって消えた。
あたかも誰も居なかったかのように、その場には静寂が満ちる。
行き場を無くした影は、スッと消え去った。
「ヨザキ様……もう、出てよろしいでしょうか……」
どこか物陰に隠れていたのであろう。
環が小さな声を上げる。
「……あぁ、もう叛逆者の処理は終了した」
これでよかった。
これで良かったんだ。
救済の暁にとっての邪魔者は、救いを邪魔する者はいなくなった。
これで俺は夢喰いを救うことができた。
「帰るぞ、環」
踵を返し、俺は環の横を過ぎ去る。
「……あ」
その時、彼女は驚いたように声を上げた。
「ヨザキ様、な、涙が___」
その言葉に、俺は立ち止まる。
……何を言っているんだ、環は。
「俺が涙を?
そんな訳ないだろう。
だって___」
……俺は、救わなくてはならない。
姉が死んだくらいでなんだって言うんだ。
救うべき夢喰いはまだまだいる。
こんなところで、涙を流す訳がない。
「俺は、夢喰いなんだぞ?」
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