第67話 夢見草はあくまでも 後編




その嘘は、あまりに最低だった。


「っ……お兄ちゃん…っ、お兄ちゃん……!」


かき混ぜられた思考の中、どうにか彼の元まで這い寄る。


どうしよう。

どうすればいい、私は?


彼に添えた私の手は、ほぼ傷ひとつない。


___彼は、私をちゃんと“まも”ってくれたんだ。


その事実が、余計に目の前を暗くした。


「まだ死んでないよ、大丈夫」


何も大丈夫じゃないのに、お兄ちゃんは笑う。


その体から出る血は止まっていないのに、傷は塞がっていないのに。


「馬鹿……大馬鹿……馬鹿お兄ちゃん…っ」


言葉を止めたらお兄ちゃんがどこかに行ってしまいそうで、私は罵倒し続けた。


ボロボロと落ちる涙が、彼の頬を濡らす。


「私はずっとお兄ちゃんの事裏切ってたのに、苦しめてたのに……。

それなのに、守るなんて馬鹿じゃないの?

一人しか衛れないなら、ちゃんと自分を衛ればいいじゃない…」


「……あはは、反論できないな」


わざとらしく、彼が顔を歪める。


おどけているようで……だけど、その表情の僅かな動きから、無理しているのが伝わってしまう。


ほんの少しだけ歪んだ、その笑顔で。


「……でも、後悔はしてないよ。

僕自身で選んだことだもん、何があっても詩を衛るんだって」


その言葉に、私は唇を噛む。


___結局、私は。


私はお兄ちゃんを衛れなかった。


なのに……なんで、ここまで彼は私を大切にしてくれるんだろう。


ならせめて私にできる事は___


「……今からでも、玲衣さんを探そう。

もしかしたら、お兄ちゃんは助かるかもしれない。いや、助かる。

この際病院でも良い。

私の夢術を使えば、きっと連絡できる。

だから___」





「……もう無理だよ」






僅かな希望は、彼自身によって……彼自身の微笑みによって打ち砕かれる。


「そんな、こと___」


躍起になった私に、彼は静かに首を振って見せる。


焦りが募る私と対照的に、彼はずっと落ち着き払っていた。


「もう助からないよ。

自分の事だもん……分かっちゃった。

だからどうか___僕を一人にしないで」


ぎゅっと目を細めて、彼は私の手を握る。


「……」


本当は、叫び出したかった。


そんな事ない、お兄ちゃんは助かる。

助けて見せる。


絶対に死なせない。


___そう言いたかった。


だけど、そんな風に手を握られたら……そんな風に懇願されたら、断れないじゃない……!


「……っ」


私は縋るように、その手を握り返す。


少しでも、彼に私の体温が伝わるように。


彼は、私の行動に少し頬を緩めた。


「本当は、詩が苦しんでいた事、知ってたんだ。

屋上から飛び降り続けているのも、全部。

___やっぱり、僕は真実を言うべきだったんだろうね。

だけど……僕は、嘘でも詩のお兄ちゃんでいたかった」


そんなこと、もうどうでも良い。


彼にどんな思惑があったとしてもいい。


お兄ちゃんは私を救ってくれた、その事実は変わらない。


「お兄ちゃんは」


私は、詰まる言葉を無理やり吐き出す。


「お兄ちゃんは、お兄ちゃんだよ。

嘘でもなんでもない。血のつながりなんてどうでも良い。

……私にとっては、丹生晶も北条楓も、大切なお兄ちゃんなの」


「そう言ってもらえるなんて、お兄ちゃん幸せ者だな」


辛そうな顔を隠すように、彼は自分の腕を目に当てる。


「……でも、もう良いんだ。

“お兄ちゃん”として、詩を衛れたんだ……もう何も心残りはない」


スッと空気が冷えた気がした。


……だけど、本当に冷えたのは彼の手だ。


私の手の中にある彼の温度が、下がっていく。


「詩___君のお兄ちゃんは、“北条楓”一人だよ。

そうあるべきだ」


わざと朗々とした声で、彼は言う。


「僕は君のお兄ちゃんじゃない。

僕と君は赤の他人で、君は僕の名前も何も知らなかった。

___どうか、そういうことにしてほしい」


もう終わりなのだと、悟ってしまった。


「違、う…」


私は、彼の手に縋る。


「違うよ……」


唯一の繋がりを、温度を。


___だけど。


「詩の中から……どうか、僕の記憶を消して」


その言葉と共に、彼の手はすり抜けた。





床に落ちた手に再び触れた時、それはもう冷たくなってしまっていた。



* * *




影の刃が、一瞬のうちに退く。


僕___桜坂風磨の体はなされるがまま、地面に打ちつけられる。


___が、ピシリと音を立てた。


ああ、もうなのか。


僕の心臓は、既に潰れている。


その果てはたった一つ___核だけだった。


「嫌だ…」


嫌だ、夢喰いに成りたくない。


地獄にだって行っても良い。


だけど、夢喰いにだけは___それにだけは、なりたくない。


それでも、心臓が潰された今、僕に抗う術は残っていなかった。


視界が赫いのは、右目を潰されたからか、それとも、違う赫からか?


___なりたくなんかない、夢喰いに。


そんなの、命への冒涜ぼうとくじゃないか。

みんなが救ってくれた命を、無碍にする事に、それはきっと相違ない。


……残された道なんてなかった。


もう答えは出てしまっている。


……残された道がないのなら、ここで断つしか、選択肢はない。


ヨザキの靴が地面を打つ音だけが、部屋に響く。


彼が、僕の頭上から語りかけた。


「案ずることはないのだ、桜坂風磨よ。

永遠を怖がることはない」


「……」


地面に肘をつくのが、今の僕には精一杯だった。


抵抗も……返答すらも出来ない。


「死から逃れられたことを、喜ばしいとは思わないのか?

もう飢えを恐れることはない。

どんな病にも、どんな感情にも苦しむことはない」


「……たしかに、その通りだ」


僕は血と共に言葉を吐く。


死は、誰にとっても___いや、何物にとっても忌避すべきものだ。


夢喰いになるということは___代償こそあれど___それから逃れること。


……たしかに、それは一種の救い。


死から夢術者を救いだし、救いを与えるという点だけで言えば、ヨザキは天使と大差ない。


「だけど!」


だけど、それは人の在り方じゃない。


僕らの救われるべき形じゃない。


「僕らは___人間だ。

死ぬから、苦しむから、恐れるから人間なんだよ……!!」


簡単に僕らは傷ついて、傷つける。

間違い以外を犯す事ができない。


___そんな存在なんだ。


傷ついて、傷つけて、間違えて。


だからこそ、皆で共に歩む事ができるんだ。


そんな存在で、僕は在りたい。


「その為なら___僕は、何にだって抗ってみせる」


天使に抗うのは罪か。


天使を殺すのは罪か。


許される事ではないだろう、すくなくとも。


あの世に地獄というものがあるのならば、そこですら僕は許されないだろう。


___僕がするのは、人から救いを奪うことなのだから。


人を人たらしめる為に、永遠の救いを消し去る。


それは……悪魔ともいえるだろう。


でも構わない。


それが、だというならば。


桜が散る。


2度と覚めることのない白昼夢を。


僕の核を消し去るほどのそれを。


___いっそ全て壊してしまおう。


もう2度と帰れないのなら、僕の全てを守るために壊そう。


赫く咲く桜の花は、僕の核すら突き破った。


背中から出たのは、血で染まった桜の翅。


一度消えた刀を、僕は再び握る。


___抜刀。


赫く桜が満開となる中で、斬撃を放った。


「これが僕の救済だ」




___白昼夢:桜





「夢見草」




その一閃は、ヨザキの核を打ち破った。





第68話に続く。

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