第66話 もしちゃんと生きられたなら

第66話



「……自惚だな」


ヨザキが目を細めた。


咲き誇ったのは___黒い、桜。


「え……?」


僕、桜坂風磨は目を見開く。


黒の桜は僕の放った桜の花びらを塗りつぶすように消していく。


見間違うことはない。


___それは紛れもない白昼夢“桜”だった。


「自分がアサギの後継者とでも思っているのか?

自分だけが“桜”を使いこなせるとでも?」


僕のものじゃない。

僕の“桜”は___あんな影のような色をしていない。


ヨザキの目が冷たく細められた。


「___とんだ自惚だ、早く自覚しろ。

今夢術を統べているのは___この俺だ。

アサギが死んだ時から、俺は“桜”を継いだのだ」


……白昼夢:桜


そう言われて仕舞えばそうだった。


僕が白昼夢に目覚めたタイミングは、母さんが死んだ時となんら関係はない。


それに、僕や他の人に白昼夢が使えて、夢喰いの始祖であるヨザキに使えないわけがないのだ。


涅槃桜ねはんざくら


彼の影の刃から、桜の枝が広がっていく。


___部屋が黒に塗りつぶされていく、異様な光景だった。


「……っ」


後ろに退こうにも、背後にも黒色の桜が広がっていく。


まずい、囲まれた。


「御衣黄!」


対抗して、僕も白昼夢を放つ。


地面から突き上げた枝で、黒桜を払い___


「無様だな」


ヨザキがせせら笑う。


___黒に、赫い色が混じった。


「……っはぁ……はぁ…」


僕は口を押さえてうずくまる。


___吐血。


口の中を切ったとか、そういう量じゃない。


手で抑えきれないような量の血が、地面に垂れた。


途端に、黒い桜が僕を貫く。


勢いに吹き飛ばされて、僕の体は壁を突き破った。


反応しなければ、死。


地面に打ち付けられながらも、僕は手を目の前に翳した。


夢術:刃


刀を握れ、戦え。


___そう思ったのも虚しく、僕の手が刀を握ることはなかった。


掴んだのは、虚空。


僕は目を見開いた。


「夢術、が……」


夢術が、使えない?


何度力を込めても、その手が掴むのは空気だけだった。


「所詮そんなものだろう。

人間ごときが扱える夢術には限界がある」


ヨザキの靴の音が、どこか遠くでカツカツと鳴った。


___ああ、夢術がきれたのか。


ほんの少しだけ、僕は悟った。


通りでこんなに苦しいはずだ。


僕の体はとうに限界を迎えていたのだ。

___いや、限界なんて忘れていた位だった。


刀もない、白昼夢も使えない。


そんな僕に為す術はなかった。


影の刃が、立ち上がった僕に襲い掛かる。


上下左右から襲いくる刃を避けて_____


それでも避けきれない刃が、僕の顔を掠めた。


ブツリ、という嫌な音と共に、鮮血がほとばしる。


赫く染まる視界。


___右目をやられたのか。


僕は宙を舞いながらそう思う。


瞼を切られたのか___いや、これは潰されたかもしれない。


半分隠れた視界が、迫り来る黒桜を捉えた。


壁に一度当たり、桜の下をすり抜ける。


あと一度でいい。

あと一度だけ夢術をどうにかして絞り出せ。


全身の傷が痛む。


心臓すら、鼓動のたびに悲鳴を上げていた。


それでも僕は止まらない。


刃の間を抜けて、飛んで、走る。


ヨザキの核まで、ほんの少しだった。


___夢術:刃。


全身全霊で錬成した刀。


それを握りしめ、僕は刃を振るう。


刀の先が、ヨザキの握る剣を捉えた。


そのまま押し込む。


___僕にもう“次”なんてない。


ここで弾かれたら、おしまいだから。


分かっていたからこそ、僕は全力を刀に込める。


ヨザキが一歩後ずさった。


……今だ。


その瞬間、僕は刀を振り切った。


即座に、刃をヨザキに向かって突き出す。


___だが、それは僕の視界が回るのと同時だった。


「……もう一度だけ言おう」


一瞬暗くフラッシュした意識。

その次に聞こえてきたのは、ヨザキの声だった。


「忠誠を誓えば、お前に“救い”を___夢喰いとしての生を与える」


パキリ、と僕の心臓があらぬ音を立てる。


___それは、影の刃に貫かれていた。


僕の胸の前に、切っ先が見えていた。


傷口から赫い血を吸い上げていく桜を模る闇。


「誓わなければ、お前に“人としての死”を与える」


その吹雪の向こうで、ヨザキが言った。


夢術者の心臓は、壊れる時に核と成る。


そして核で動く夢術者は___夢喰いと呼ばれる。


___そうだった。


そういうものだった。


心臓が破られたという事は。

ヨザキの言う通り、人としての死であり___夢喰いとしての生だった。




* * *



「本当に良かったのか?」


“環”のいない牢は、不気味なほど静かだった。


地面にへたり込む私に、背後から轍が声をかける。


「……ええ、良いんです」


そう答えながら、どこか私から世界が遠ざかったような錯覚を覚えていた。


まるで画質の悪いテレビを通しているみたいだ。


当然っちゃあ当然か。


が、死んだのだから。


「“環”のことを思い出してから___いつかはこうするつもりだったんです。

いつかは環を殺すつもりだったんです」


それでも、私が今泣いていることだけは明確に分かる。


___本当は。


本当はね、もっとちゃんと生きたかった。


核は ここネックレスにあるとはいえ、環を殺したということは___もう“私”も長くない。


もうすぐ私も消えてしまうんだろう。


もってあと半日くらいか。


この命は借り物だったのだ。

死ぬはずだった環が繋いだ、ただの借り物。


……だから、いまさら消えることくらい怖くはない。


皆と一緒にいた時間も消えることは悲しいけれど……いっそ、誰も悲しまないならそれでも良い。


___それでも、もしちゃんと生きられたなら?


ダメだと分かっていても。

無駄だと分かってていても。


ふとそう考えてしまう。


この命が借り物なんかじゃなくて、私のものだったら。


皆と一緒に生きて、死ねるのなら。


……まぁ、それでもきっと私は風磨くんに告白できないんだろうなぁ。

実際でも、風磨くんに先越されちゃったし。


……でも。


私がおばあちゃんになるまで、風磨くんと居れたらどれだけ良かったか。


結婚はできたのかな。

風磨くんに、もっと良い人が見つかったならば結婚できなくても良いけど……やっぱりちょっと寂しいかも。


子供はできるのかな。

きっと風磨くんに似て優しい子に育つだろう。


「……これで良いんです」


そんな夢は、もう叶わない。


叶うはずは、初めから無かった。


私は静かに腰を上げる。


……もう、諦めてしまったのだから。


「ごめんなさい、ずっと轍に迷惑かけちゃって」


本当に彼には世話になった。

環のことも、私のことも。


やっぱりアサギ様の愛した人だった。

彼女のその目に狂いはない。


「でも、もう私のことは忘れてください。

……結局、“環”は貴方達を裏切った夢喰いなんですから」


私が消えたら、轍の記憶からも私は消えるのだろうか?


具現化した物ならともかく、私は一つの生命体だ。


それは夢術のスケールを超えている。


夢術どころじゃなく、それはまさしくイレギュラー。


“私”自身がこの世のバグみたいなものなのだ。


そんな存在を許してくれるほど、この世は優しくない。


アサギ様が壊そうと思ってしまうくらい、壊れかけたこんな世界じゃきっと。


___私は、初めから無かったことになる。

死ぬこともできないんだろうなぁ。


「……分かった」


長い逡巡の末に、轍が呟く。


それは耳を澄ませないと聞こえないほど、小さな声。


その返答を聞き遂げてから、私は歩き出す。


ひたひたと床が鳴った。


轍の横を通り過ぎる時、彼の耳元に囁く。


「澪ちゃんに、よろしくお願いします」


きっと彼等は幸せになれる。


風磨くんも、澪ちゃんも。

もちろん桜庭見廻隊のみんなも。




___それだけが、私の生きた証なんだ。

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