第64話 はじめから、みじんも愛していなかった 前編

第64話



それは一瞬のことだった。


僕は目を見開く。


その視界が捉えたのは、ヨザキの剣が弾け飛ぶ瞬間。


ほんの瞬きの間に、剣が消し飛んだのだ。

と、同時に影縫の拘束も解ける。


___僕の夢術じゃない。


それだけは確かだった。


一瞬のうちに、方法で、剣を弾き飛ばせる___


そんな夢術を、僕は一つしか知らなかった。


少し裾の欠けたフード。

そこについた、ほんの僅かな血。


___夢術:ある


その夢術の残り香が、微かに漂っていた。


フードを手繰り寄せ、もう一度僕は刀を握る。


地面に手をついて、顔を上げた。


……僕が父さんの家で寝かされている間に、彼は僕のフードに自分の血を僅かにつけていたのだ。


いざとなった時に、自分の夢術を発動できるように。


……そう、僕は。


僕は独りじゃないんだ。


武器を飛ばされたヨザキは、一瞬だけ顔を歪める。


だが、すぐにまた夢術を飛ばした。


再び、影縫。


「僕には、守るべきものがある」


手をついた地面から、華が咲いた。


影すら吹き飛ばすような、桜の花を。


「守るための___そのための、“桜”だ!!」


壁を、床を、天井を___


全てを包み込むような花吹雪。


手向華たむけばな……っ!!」


その花を、思いを刃に変えて___





華は、咲き乱れた。



* * *




「環ちゃん、私を除隊して」



そんな言葉を言った時、アサギ様はあまりに穏やかな笑みを浮かべていた。


それは、アサギ様が死んだ前の日で___あまりに天気の良い日だった。


「……アサギ様?」


だが、その笑みが余計に彼女の言葉を異質たらしめていた。


だから、何より先に疑ったのは自分自身。


アサギ様を疑いたくはなかった。

だけど、という言葉も信じたくはなかった。


「除隊理由は私___アサギ個人による叛逆。

環ちゃんは私とのこの場の会話の中で、私がヨザキを殺そうとしていることを知った。

救済の暁のことを大事に思っているあなたは、その場で私から第二隊長の座を奪取。

私を除隊した」


彼女は、淡々とストーリーを語る。


まるで出来すぎた英雄譚のようなストーリーを。


「アサギ様…待って、ください。

どういうことか、分かりません」


ありもしない心臓が、鼓動がうるさいような錯覚を覚えた。


わからない、訳がわからない。


なぜ彼女は作り話を語る?


なぜ彼女は彼女自身を悪者にする?


だが、アサギ様は柔らかな笑みを浮かべて首を傾げる。


「環ちゃん、そういうことなの。

そうでなければならないの」


それはどこか妖艶でいて、どこか強制的な言葉。


「環ちゃんは、あなたは、これからヨザキのところへ足を運ぶ。

そして、言うの。

“桜坂アサギは、ヨザキ様を殺そうとした叛逆者です”と」


いかにも世間話をするように、彼女は言い放った。


「……何を、おっしゃっているのですか?」


私の言葉は、アサギ様に届いているのか届いていないのか。


ゆっくりも緩慢に立ち上がった彼女は、どこか遠くを見つめる。


「これは、私からのお願いなのよ。

私は___この世界を壊さなくちゃいけない。

夢喰いが人を殺し続けるこんな世界を壊さなくちゃいけないの。

だって、そんな世界を、私の子達に遺せないもの。

___その為には、ヨザキだって殺してみせるわ」


ああ……この人を。


アサギ様を、私は解ることが出来ない。


そのことだけは分かった。


自分から出現しただけの者の為に、どうして彼女はこんなにも愚かなことをするのか?


「でも、一枚岩でヨザキを殺せるとは思わない。

もしかしたら、私が死ぬかもしれない。

だから___私“だけ”がヨザキを殺そうとしていることにしなくちゃいけないの」


「やめてください___アサギ様」


お願い、どうかそんなことを言わないで。


死ぬかもしれないだなんて、言わないで。


私の懇願は、きっと彼女には届かない。


だって、彼女の目は彼女の家族だけを___その未来だけを見ていたから。


「やめて、どうか」


どうか私と一緒にいてください。


そこに轍がいたって、風磨くんと澪ちゃんがいたって良い。


それでいいから___間違った世界のままでいいから、だから___


「環ちゃんは、“たまたま”その計画を知って、“正しく”ヨザキに伝える。

その役割を持ってほしい」


アサギ様は、笑った。


それが愛なのよ、と言う代わりに。


あぁ、そうか。


___もう、二度と届かないところに、彼女は行ってしまったんだ。


「っ……ぅ……」


それが分かったからこそ、私は何も言えなかった。


血も涙も体温も何もない。

それが夢喰いだ。


そんな夢喰いだ。


それならば___この苦しみをなんと言えばいいんだ??


「……桜坂、アサ、ギ」


私はゆるりと立ち上がった。


視界が上転し、視界にアサギ様が映る。


「貴方は___ヨザキ様の殺害を企てた。

それは救済の暁への大変な叛逆行為である」


苦しい、苦しい苦しい苦しい。


この気持ちをなんと形容すれば良いのだろう?


なんと形にすれば良いのだろう?


「よって、貴方の除隊を命令し、ヨザキ様へと報告する」


私にそう告げられる彼女は、笑っていた。


そう、それでいいの。


彼女の結ばれた唇から、そんな幻聴が聞こえる。


五月蝿い。


苦しくて苦しくて、もう何も分からない。


「ありがとう、環ちゃん」


そんな風に言わないで、アサギ様。

……もう、私は貴方を裏切ったのだから。







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