第63話 御衣黄 後編



冥闇よいやみ


小さな呟きと共に、今度は地面から刃が突き上がる。


その切っ先は僕の瞼を切り裂いた。


薄い血飛沫。


よろめいた僕の脚に、もう一振りの影が突き刺さった。


僕は地面に手をついて、足を蹴り上げる。


赤い花を散らせながら、僕はどうにか刃の隊列から退いた。


「桜坂風磨が未だ死んでいなかったということは___環の計らいか。

あいつもまた俺を裏切ったのだな」


ヨザキが軽く裾を払う。


その様子には、一切の疲労が見えない。


それどころか、今までの連続攻撃をまるで遊戯のようにやってのけていた。


何処か諦めたように、何処か嘆くように、ヨザキは影の刃を放つ。


「結局、環も破滅の道を行くことにしたのか」


「……違う」


それでも、僕は答えた。


あからさまな力の差があっても、僕が口答えできるような相手じゃなくても。


それでも。


「違う。

玲衣さんは___裏切ってなんていない。

一度もお前の元に下ったことなんてない…っ」


___勘違いしないでほしい。


玲衣さんは、玲衣さんだ。

そして、僕らの仲間だ。


それ以外の、何者でもない。


僕は自分の拳を握りしめた。


「僕の仲間を……大切な人を侮辱するな…っ」


円を描くように、僕は宙に刀を出現させる。


「するというなら___誰だろうと許しはしない!」


___桜花爛漫:花吹雪。


切っ先から狂い咲くのは桜の花弁。


その花弁は次々と綻んでは爆ぜていく。


刃が篠突雨のように、ヨザキに降りかかった。


ドドドドドドドド___


低い爆音が地面を揺らす。


___八重桜


そして、その中を僕は泳ぐように進んでいく。


四方八方から生える影の刃を斬り、斬り、斬る。


「勘違いするな。

俺は侮辱なぞしておらん。

ただ、俺は自分の信者を救おうとしているのみだ。

信じる者を、裏切らない者を」


ヨザキが毅然と声を上げた。


跳び上がった僕に、影が手を伸ばす。


僕は刀を振るった。


影の手が、かき消される。


___だが。


「っ!」


振り解いたはずの影が、僕の頸を握る。


そして、地面に僕は撃ち落とされた。


転がった刀を、ヨザキが踏み締める。


「……つくづくお前はアサギに似ているな。

忌々しい」


彼は自らの剣を僕の背中の上に突き立てる。


「っぁぁぁあ…!!」


激しい熱と痛みと、そして赫。


突き抜けない程度に_____僕の脊髄まで切らない程度にまで剣を突き立てたまま、ヨザキは目を細める。


「その道より退けよ。

頭を垂れよ。

忠誠を誓えば、お前にも救いを与える」


影によって地面に縛り付けられ、僕は這いつくばることしかできない。


口に広がる、土埃と鉄の味。


「……お前の言う救い、は……夢喰いになる事なのか……?」


必死に手を伸ばして、ヨザキが踏む刀に触れる。


今もうちょっとでも動けば、ヨザキの刀が僕の心臓を貫くだろう。


それは即ち___人としての生を捨て、夢喰いになる事だ。


「何か間違えているのか?

生を乞うことは生き物として自然な事だろう。

その為に他者に必要最低限の犠牲を求めることも、自然の摂理だ。

弱い者が固まって一つの大きな存在となるのも、またそうだ。

……その為に、救済の暁は___“教祖”はある」


吐き捨てるような、ヨザキの言葉。


その時、僕の手は既に刀を掴んでいた。


「……ああ、なんだ」


なんだ、そう言う事だったのか。


アサギが___僕の母親が、救済の暁に謀反を起こした理由。

反旗を翻した理由。


桜庭見廻隊僕らを巻き込んでまで___ヨザキに刃を向けたその理由。


それはきっと。


「アサギはきっと___ヨザキの事を救いたかったんだ」


彼は、囚われている。


教祖であることに、他の夢喰いを救うことに、“生きること”に。


……それに、あまりに囚われすぎている。


1000年という永遠にも近い時間を過ごす中で、アサギはヨザキをそれから解放しようとしたのだろう。


段々と様相を変える世界を、狂い始めた世界を……見殺しにすることはできなかった。


その結果が、救済の暁への謀反だったのだろう。


「___御衣黄アサギザクラ


地面に伏せたまま、僕は吠えた。


掴んだ刀から、桜の枝が突き上げる。


ヨザキの足元から広がった枝は、その身を四方八方から突き刺した。


彼の手から刀が離れた瞬間、僕は地面を蹴る。


影の間をすり抜け、距離を取った。


……刺された背中からは出血が止まらない。

痛いなんて言葉で、形容できるようなものじゃなかった。


それでも、僕が握りしめたのは刀だった。


戦い続けるんだ。

この命ある限り。


ヨザキの突き刺す枝は、夢術の刃。


そう簡単に抜け出せるものじゃない。


___だが。


「俺を救う?

何故だ?

俺は救う側であって、救われる側ではない」


彼の周りに丸く影が生まれる。


それは枝を吸い取り、彼の拘束を奪う。


彼の身体に空いた穴から、こぼれ出るべき物は何もなかった。


___本質的に、彼が人間でないこと。


それが示していた。


「人と夢喰いは分かり合えない。

夢喰いには夢喰いの救いがあるのだ。

お前ごときにとやかく言われる筋合いはない」


彼は自らの目の前で両の掌を合わせる。


___影縫かげぬい


それは、第二の大災害の時に僕が食らった技。


「失せろ、桜坂風磨」


僕が反応する暇もなく、僕の影に小さな刃が幾つも突き刺さった。


途端、全方位に体が引っ張られるような錯覚を覚える。


ガクン、と体が揺れた。


___動けない。


小さな刃が出現しているのは、僕の影じゃない。

僕自身の周辺だ。


僕の周りを薄い影で包み、全方向に引っ張ることで、僕の動きを止めていた。


それは見抜けた。


……だけど、見抜けたからどうするんだ?


既に僕の身体は行動を拒否していた。


僅かでも動けば、影の刃に身体を抉られるだろう。


ヨザキは影の剣を手にした。


その切っ先が、僕の喉元に突き刺さる___その寸前。


本当に刹那のことだった。


___赫いフードが、はためいたのは。

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