第62話 願掛けはいらない 後編


ずっと大切だった。

ずっと会いたかった。





両親が殺された日。

彼女が俺を守ってくれなければ___俺をクローゼットに引っ張ってくれなければ、俺は死んでいた。


そのあと、姉はすぐに就職した。


彼女は優秀だった。

行こうと思えば、どんな大学だって行けただろう。


だけど、彼女はそれを早々に諦めた。


……今ならその理由はわかる。


有名な学者の家?

お金持ち?


___そんなことはない。

学者なんて、薄給も甚だしい。


とはいっても、仁科海は研究の最前線を走る人。

俺達は他人よりかは恵まれた家庭ではいたけれども___


それでも、を大学に行かせる為には、遺産だけでは足りなかったんだろう。


……姉は、俺の為に働いていたんだ。


それが分かったのは、姉が失踪した後___しばらくしてからだった。


“凪の大学資金”と名のついた口座に、多額の金が入っているのを見つけた___その時だった。






だけど、今___彼女が夢喰いだというなら、既に人ではないと言うのなら……俺の手で、殺す。


それが俺が“魔物”であって___桜庭見廻隊の隊長である証明なのだから。


吹き荒れる暴風は、スイの夢術を漬け入らせない。


それでもなお彼女が放つ斬撃を、俺は自分の刀で受ける。


縦に、横に、斜めに___


彼女の刀筋は、少しだけ懐かしいような気配がした。


だが、俺は暴風でその懐かしさを噛み砕いていく。


一切の未練を断ち切るために、寂しさを忘れるように。


俺が放った一閃が、スイの肩を貫く。


舞うその赫に目を奪われないように、続け様に刀を振るう。


「…っ!」


バランスを崩したスイが、後ろに吹き飛んだ。


その身が障子に打ちつけられる。


これ好機とばかりに、俺の夢術は___龍風は、彼女に向かって牙を翳した。


「赦してくれ、スイ」


その牙がスイを噛み砕く寸前、俺は懺悔の言葉を呟いた。


竜巻は剣のように細く、彼女の“核”を突く___その寸前だった。


「……そのままお返しするわ」


衝撃。


「___鎌鼬かまいたち

彼女の静かな言葉と共に、俺は背後に倒れる。


一瞬……その刹那に、彼女は俺に向かって夢術を放ったのだ。


飛び散った___あれは、なんだ?


紺色の布を纏い、靴を履いた“それ”が何かを理解するのに、長く時間を要す。


激痛が走るのも、忘れていたようだった。




___俺の左脚から、赫い花が咲き散った。





* * *



「救、う……?」



なにを馬鹿なことを言っているのだと、一笑に伏したかった。


それでも、私はその言葉を拒むことはできない。


「___罪滅ぼしだなんて考えたァねェよ。

ヨザキ様に認められる為には、生かされる為には……そうするしかなかったんだよ、分かるか?」


___分かっている。


夢喰いが人を殺すことは___夢喰いが生きる為には不可欠であることを。


「でも、オレがやったことには変わりねェしな。

せめて遺されたお前ェの面倒くらい、最後まで見てやる」


___分かっている。


ライという夢喰いに、罪悪感がないと言うわけではないこと。


そりゃあ、白昼夢を持つ者を「救済の暁」に引き込みたいという思惑はあるだろう。


……だけど、私を救ってくれようとする思いだけは本物だと……そう分かった。


だから。


私は顔を上げた。


「……ありがとう」


そっとライに近寄って行く。


怖くはない。

恐怖心なんて、とうに何処かに行ってしまっていた。


私は笑って___


「……じゃあ、あなたの“”で、私を救ってね?」


そして、銃を放った。


至近距離、ライの核を狙った射撃。


彼は弾かれた様にしゃがみ込み、銃弾をスレスレで避ける。


流石は救済の暁。

そう簡単に当たってはくれないか。


「チッ___

稲魂ウカノミタマ!」


舌打ちと共に呼び出された白い閃光が、下から天井に突き上げた。


反射的に背後に跳んだおかげで、突き上げる白に飲まれずに済む。


体勢を立て直しながら、もう二発分、引き金を引いた。


「……意味分かんねェよ、どいつもこいつも!」


弾丸を白い雷で撃ち落としながら、ライが喚く。


「馬鹿にしやがって……オレは、生きてるだけなのに!」


四方八方に雷が駆け巡った。


___夢術:音


「……誰かを傷つけない生き方なんて、できなかった。

私もあなたも」


弾丸が、雷の中に取り込まれ、爆ぜる。


それと溶け合うように、雷____ライの言うところの稲魂が消えた。


「北条楓を殺したのも……あなたが生きていく上では仕方なかった」


それは理解できる。


否、理解した。


私自身生きていく中で、戦う中で。


「だけど!」


____だけど、それが何だって言うのだ!


「私の大切なものは____お前に壊された!

それ以上の答えなんてない!

生きる為には____これから生きていく為には、私には復讐が必要なの……!」


もう一生、私には真っ当な生き方なんてできない。


壊して壊して壊して壊すだけ。


ただそれだけ。


__そんな人生、嫌だった。


捨ててしまいたかった。


だけど、見廻隊のみんなが教えてくれたから。


「私は生きていたいの!」


何かを守るための復讐が、出来るなら。


「そのためなら、悪魔にだって心を差し出してやるわよ!」


おいで。

私の元凶よ、私を苦しめ続けた本能よ。


____白昼夢:おぼえる


今度こそ呑まれてたまるか。


私の底から、黒いものが這い上がってくる。


悲しみが、淋しさが____


「……ッ」


焦ったのだろう。


ライの稲魂が頭上から突き落とされてくる。


____でも、もう遅い。


「____光芒一閃こうぼういっせん


一瞬後、私は彼の頭に弾丸を放っていた。


「なっ!?」


赫い血が飛び散る。


普通だったら、一発で死ぬ威力だ。


……だが、相手は夢喰い。


ライは軽く頭を後ろにのけぞらせただけだった。


その夢術が、風に揺らいだ。


隙を狙ってもう一発。


そちらはライが放った雷に弾かれる。


____あぁ、なぁんだ。


本能だなんて、こんなに簡単な事だったんだ。


「白昼夢:憶」は記憶操作。


自分の記憶から、一番最適な身体の使い方を算出し____感覚神経の一部を遮断する事で、リミッターを外す。


それは、圧倒的なだ。


今まで嫌っていたはずの白昼夢は____なによりも私の力となるものだったんだ。


怖がることはなかったんだ。


宙を舞い、雷を避ける。


縦横無尽な雷の帯に、呑まれないように飛翔する。


天地がひっくり返るような一瞬。


そして、私は銃を構えた。


雷の柱がライから離れるその刹那を狙え。


引き金に手をかける。




「ばん」





____そして。


そして、地面に落ちたのは、私の方だった。


「……っ……え……?」


体が動かない。


それ以上に、うまく思考が回らない。


「残念だったなァ!!」


顔の片側を自分の血で濡らした……夢喰いが、叫ぶ。


「さっさと救われれば良かったものを!!

ヨザキ様に逆らったからだ____」


____そうだ。


ライの夢術は“雷”。


電波を操る以上____私の“憶”は、脳波操作は___あまりに簡単に一捻りできてしまう。


目の前に、稲魂が重なっていく。


積み上がって、塔のように膨らんでいく。


あーあ、あっけないじゃん。


私はうまく動かない唇で呟いた。


今更、そんなに抵抗しようとは思えなかった。


もう無駄だ、遅い。


流石の私でも、それは分かってしまった。


____想いは、無駄ではなかったからね。


それだけ分かったら、もう十分だった。


白い塔は未だ膨れ上がる。


「……会いたかったなぁ」


そして、それは私の前で____


「____お兄ちゃん」


爆ぜた。



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