第61話 691 後編







「……そうか、君にも妹がいたんだね」


轍さんの言葉が、どこか遠く聞こえる。


「本当は、僕はここにいるべきでないんです。

足手纏いにしかならない。

無駄死にするだけです。

邪魔にしかならないんです」


僕の中から生まれた黒い何かが、僕の喉を突き破って___言葉に全て落としていく。


「……それでも、僕には正しい選択ができなかったんです」


壊れてしまいそうだった___いや、実際もう僕は壊れている。


詩を救う為に、彼女を一生檻に入れている。


逃げられないよう、罪悪感の檻で囲んでいる。


こんなものを間違いと言わないで、偽善と言わないで、なんと言えば良いのだろう。


自分がその場にしゃがみ込んでいたのも気がつかないほど、僕は壊れている。


「僕は、もう……終わってるんだ」


「……」


ゆっくりと階段を上がる足が、視界に入る。


驚くほどゆったりとした足取り。


そこに、僕の独白を聞いて混乱したような素振りはない。


そして、轍さんは手を差し伸べて___


「っ!?」


僕の頬を両手で伸ばした。


そのままムニムニと伸縮させると、その手をおもむろに離す。


「な……何するんですか…?」


ぽかんとした僕に、轍さんが尋ねる。


「痛かった?」


___質問を質問で返さないでください。


そう言いたかったが、僕は正直に頷く。


すると、彼はふっと唇を緩めた。


「……なら、大丈夫だよ」


「へ……?」


何が___?


「晶くんは壊れてない。

痛みだってちゃんと分かるんだから、どこも壊れてないよ」


僕の頬を軽くつつきながら、彼は言う。


「自分ではエゴだって思うかもしれない。

だけど、君は必死に妹を守ろうとしたじゃないか。

お兄ちゃんになることで、妹の心を守った」


「……」


そんなことは、きっと綺麗事だ。


守れていない事の方が、多いのだから。


「それでも自信がないのなら、良いことを教えてあげる。

君よりも少し長く生きて、少し間違いを多く犯した人としてね」


「……良いこと…?」


彼はそっと僕から手を離した。


ひんやりとした風が、地下牢の方から吹く。


「君が間違えるべき選択があるのなら___それは、妹さんを衛りに行く事じゃないかな」


___それから、死なないように努力する事。


彼はそう付け足し、僕を置いて階段を下っていってしまった。


その足取りは、おおよそ僕を待ってなどいない。


もう一度、冷たい風が吹き上げる。


間違えてる、こんなの。


___今更、詩に会いたい、だなんて。


無駄になるって、邪魔になるって分かってる。


___だけど。


だけど、もしそれで詩が少しでも苦しまずにすむのなら?


会いたい、今すぐ衛りたい。


許されないだろう。

それでも良いから___もう一度だけ、お兄ちゃんと呼んでほしい。


気がついた時には、僕は階段を駆け上がり始めていた。





* * *



静かで冷たい、地下牢。


桜坂轍は、鉄格子の前で一つ深呼吸をした。


「……まだ、遺ってる」


良かった。


小さな呟きが、狭い牢に反射する。


彼の目の前で、静かに落ちているその少女。


環の“抜け殻”は、死にもせず生きもせずただその場に在った。


当然だ___彼女に、核は残っていないのだから。


今なら彼女に夢術は使えない。


だから、核に刃を突き立てて、突き立ててもなお死ねない、そんな地獄を見ることはない。


今の彼女は、殺そうと思えば誰でも殺せるが、彼に環を殺す気は毛頭もなかった。


……それでもここに来たのは、きっと“ 来るであろう ”モノを待つため。


環と瓜二つで、でも確かに生きているモノを。


「……こんにちは」


弓を構えて、彼女は轍に低く挨拶した。


その声から、何か感情を汲み取ることは出来ない。


実際彼女の中に埋まっているのは、感情に似た紛い物だ。


それでも、彼女は確かに生きているのだと___彼女自身がそう強く信じていた。


彼女の大切な人が___そう、信じてくれたから。


だがそれと同時に。


___彼女は、終わりを覚悟していた。


その為に、彼女は弓を構えていた。


だが一方、桜坂轍は何を構えるでもなく……彼女の名をただ、呼んだ。







「久しぶり、玲衣」








彼自身が生み出した、いつか消える存在ヒトの名を。




62話に続く。

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