第61話 691 前編

第61話



轍さんの記憶を頼りに、深い森の中を進んできた。


時々夢喰いとも鉢合わせして。

僕が彼を暇もなく、彼は“有りもしない”武器で簡単に倒していった。


厳密に言うと、敵が一瞬で消えていった。


それもおそらく、彼が夢術を使って倒していったからだろう。


___つくづく、凄い夢術だと思う。


もし、僕にもそんな力があったら………いや、今はそんなことを考えている時じゃないな。


僕は軽く首を振って、その考えを追い払う。


そうしてやっと辿り着いたのは、高い高い摩天楼___



___ではなく、その近くの小さな階段だった。


轍さんの言うことには、摩天楼の方が救済の暁の根城らしい。


そして、階段の先にあるのが___件の、地下牢。


その入り口である鉄格子の先には、階段が大きく奈落の底へ口を開けている。


轍さんは躊躇なく足を踏み入れながら、僕に声をかけた。


「……晶くん。

君は、なんで俺に着いてきたの?」


「えっ」


僕は思わず声を上げてしまう。


突然の問い。

それは階段に大きく反響して、エコー掛かって聞こえた。


「えーっと……特に、深い意味はないんです」


僕は手すりに手を置きながら返す。


なんて答えるべきか、一つ一つ言葉を探りながら。


「ただ、その……僕の中でケジメを、つけておきたくて」


本当に身勝手な理由だ。


理由にもなりやしないだろう。


僕が詩と会うことなく、ただ、少しだけでも助けになることを願って来たのは。


「……ケジメ、ね」


轍さんが静かに答えた。


地下牢へと続く長い階段は、あまりに冷えている。


指先があまりに冷たく感じるのは___きっと、その冷えのせいだろう。


そうだろうと、信じる。


___僕は、嘘をついていた。


詩が風磨さんの記憶を消した直後、竹花さんに詩の“赫い目”を知っているかと尋ねられたんだっけ。


その時、僕はなんて答えた?


___“一度だけ、見た事があります”


そうだ、そう答えた。


我ながら、大嘘を言ったなぁと思う。


一度?


……いいや、そんな可愛い数じゃない。


「___本当は、違うんです」


思わず階段を下る足が止まっていた。


僕の脳裏に鮮やかに染み付く___窓の外を昇っていく少女。


そう見えるのは、詩が頭からゆっくりと落ちていっていくからだ。


それを静かに見守りながら、僕は窓に手を置いた。


病院の、冷たい冷たいサッシに。


窓越しに、彼女と目が合う。


赫く染まっていくその瞳からは、涙が溢れていく。


……きっと、彼女は僕が彼女の最期を見ようとしといることに罪悪感を持っているのだろうか。


彼女にとって、それは絶対に許し難いことだろう。


僕を傷つけることは……きっと、彼女にとっては絶対に避けたいこと。


___彼女の自傷癖の原因は、僕だ。


分かっていた。


僕が記憶を失ったふりをしているから。


彼女に本当のことを伝えないから。


……だから、彼女はこうやって空を泳ぐ。


飛び降りることを、選んでいる。


だけど、僕はその場から動かない。


動かないまま……僕は轍さんに告げた。


「691回」


何のことだろう、と轍さんが振り返る。


そんな彼に構わず、僕は続ける。


「僕が“妹”の為に夢術を使った回数です。

……風磨さんが詩を守ってくれた一回を除いて……妹を死なせてあげなかったのは、僕なんです」


___夢術:衛


空から地へと昇る彼女の頭上に、僕は夢術を使う。


彼女を包み込むように衝撃を殺していく、僕の夢術。


ズキリと頭が痛んだ。


……彼女はまた一つ忘れるのだろう。


僕が彼女の飛び降りる所を見たこと。

僕が夢術を使って、彼女を衛ったということ。


そして、その先にある未来も一つだった。


また“失敗”した彼女は、執着するように屋上に戻る。


そうして、また身を投げる。


その繰り返しだ。


気が狂うほど___いや、実際に狂うほどの繰り返しだ。


……それで、良い。


691回。


それは、彼女のを、僕が粉々に打ち砕いた数。


彼女の心を裂いて裂いて割いて、それでもカゴの中に縛り付けた数。


___ごめんね、詩。


僕の脳裏に浮かぶ彼女は、地面に横たわっている。


___まだ、ここから逃してあげない。






「泣いてる?」


轍さんの声が、僕をゆるりと現実に引き戻す。


同時に___僕の頬が濡れていることに気がつく。


それを乱暴に拭って、僕は笑って見せた。


「まさかぁ、そんなことないですよ」


語尾が、震える。


こんなことをすべきでない。


僕は、さっさと詩を解放すべきなんだ。


___死なせてあげるか、真実を教えるか。


この2択が、僕の選ぶべき答えだった。


それでも飼い殺しにしたのは。


「僕はいつだって、正しい選択なんてしないんですから」


___記憶が改変されてしまった詩が、初めて僕を“お兄ちゃん”と呼んだ時。


あの時、僕は恍惚こうこつとした気持ちになった。


その時まで、詩は“肉親を喪った”少女だった。


どれだけ僕が支えようとしても、血の繋がった片割れを喪った喪失感は、どうにも埋められない。


だけど、僕が“お兄ちゃん”になれたなら。


___彼女は“幼馴染”を喪う代わりに肉親を手に入れることになる。


もう苗字を呼ばれるたびに必死に過呼吸を抑え込むこともない。


もう家に帰るたびに、僅かな温もりを思い出して吐き出してしまうこともない。


……それなら、僕だって彼女を救えるじゃあないか。


彼女から現実を隠してしまうことだってできてしまう。




だから、僕はわざと選択を“間違えていた”んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る