第60話 私にできる愛なんです 後編
「いったたたぁ……もう、酷いっすよぉ、ユーキ」
彼の声が、耳についた。
俺____竹花優希は障子に手をつき、肩で息をする。
「黙れ……」
俺は拳を握りしめた。
___今のうちに、詩ちゃんは逃がせただろうか。
他の隊員はちらばってるだろうか。
きっとそうだ……そうだと信じておく。
ここにいるのは___俺と、こいつのみ。
彼は大袈裟に口を尖らせる。
「ぼくは、二人の体が鈍ってそうだったから、ちょぉっと準備運動で手合わせしただけなのに……」
「んなわけねぇだろ」
俺は、彼の発言を思い返して歯を噛む。
だが、彼はドヤ顔で返した。
「悪役っぽかったでしょ?」
「……」
「いやぁ、一回やってみたかったんすよねぇ。
せっかく手合わせ仕掛けるなら、面白い方が良いじゃないっすか」
彼は飄々として言う。
……あぁ、本当に。
「シオンなら、やりかねねぇよな……そういうこと」
本当に、彼なら言いそうだ。
……だが。
俺は、鎖を握る。
いつでも放つことが出来るように___その切っ先を右手の中に握りしめて。
殺意を向けられてもなお、彼は飄々として棒立ちしていた。
その様子は___丸で、シオンそのものの様な。
「ほらぁ、ユーキも分かって___」
「でも違う。
お前はシオンじゃない」
でも……いや、だからこそ。
俺は、彼の言葉を遮る。
「お前の利き手は左手だから」
そう言ってもなお、彼は首を傾げた。
彼の左手に握られているのは、槍だ。
「そうっすけど……なんなんすか、今更」
……そうだ。
彼は、さっき槍を左手に持って戦っていた。
彼の利き手である左手にだ。
……そりゃあそうだ。
普通、武器は利き手で持つ。
当然そっちの方がやりやすいからだ。
だけど___シオンは。
「ほら、やっぱり」
「……え?」
少しだけ___ほんの少しだけ、彼の眉根が寄る。
俺は、彼を睨み上げた。
「シオンは、利き手で戦ったりしねぇよ」
___自覚はなかっただろう。
だけど、ずっとシオンはそうしてきた。
ずっと、右手で槍を握っていた。
利き手ですぐに反応でき___すぐに、何かを守れるように___
……シオンが「何か」に成り代わられているのは分かっている。
何故かは分からない。
いつからか、それすらも___
だけど、その「何か」はシオンの記憶を持っているのだろう。
じゃなくては、こんなに自然に入り込まれることはなかった。
……それでも、彼の「癖」は……彼自身も知らない、無意識の信念は、その「何か」に知られることはない。
だって、それはシオンの記憶にすら存在しないのだから。
「……」
彼が、口をつぐむ。
そして俯いたと思った、次の瞬間。
「……ぷっ……はははは…っ」
___彼は、吹き出した。
さも楽しそうに、彼は快活に笑う。
「は………?」
俺は思わず口を開けた。
……こいつ、なんで笑ってるんだ?
笑いすぎて溢れた涙を拭きながら、シオンは言う。
「……ユーキって、意外とお馬鹿さんなとこあるんすね……まあ知ってたっすけどね?
割と抜けてるとこ。
ぼくだって戦い方、ちょっと変えるくらいあるっすよ…っ」
「……はぁ?
抜けてねぇし」
俺は食い気味に返す。
___ああ。
だが、その心中で吐いたのはため息。
良かった。
俺の考えすぎだったんだ。
……そう、彼は今まで右手で戦ってきた。
だけど、それの不合理性に気付いたのか。
または敵の方向的に。
とにかく、彼は戦い方を変える事を選んだ。
……それだけだったんだ。
「抜けてんのはお前の方で___」
「それに」
一瞬の後、俺の身体から舞い散ったのは___赫だった。
「……え……?」
「言わなかったら……生かしてあげようと思ってたのになぁ」
俺に槍を突き立てた彼の目は、濁っていた。
静かで諦めの混じった殺意。
……そこに躊躇なんて、ない。
俺は一歩退いて、槍尻を身体から抜く。
それと同時に溢れる赫い血。
傷口を抑えながら、俺は鎖を放った。
騙された。
嵌められたんだ。
シオンを模った何かに、油断させられた。
軽々と跳躍した彼には、その刃は届かない。
「……いつ、からだよ」
俺は唇を噛む。
「ん?」
槍でくるくると遊びながら、彼は小首を傾げた。
「いつから……シオンを___」
「……なんか勘違いしてるようっすね」
あくまでも“シオン”の振る舞い方で、彼は斬撃を繰り出す。
「ぼくはあくまでも、数日前に、“この子”のお願いを聞いただけっすよ。
この子の___死の予知から逃げたいって願いを、ね?」
「……予知、から……?」
彼の左手に浮かぶ、“予”の字。
「そう、予知っすよ。
___ちゃぁんと、“予”の力も引き継いでるっすからね。
だから、ぼくはユーキのする質問も分かるっす」
ニコニコと、彼は左手を振る。
「ねぇ、ぼくの名前を知りたい?」
「……っ」
その眼光が俺を射抜く。
笑いながらも、その目は少しも笑っていなかった。
「良いっすよぉ、ユーキだから特別っす。
ぼくに名前はないんすよ。
だってこうやって、“住まい”を転々としているから。
……あ、それじゃ満足しないっすか?」
饒舌に舌を転がる言葉達。
その一つ一つに、背中を撫でる様な不快感を感じた。
「あえて言うなら、“憑神”っすかねぇ。
まぁ安易な名前っすよ。
ぼくの夢術は“
記憶も、仕草も、思考も___彼が指折り数え上げる、シオンから奪っていったもの。
だが、それよりも俺の脳裏に染みついたのは。
「同、意___?」
「そう、同意。
不思議なもんすよね、一定数居るんすよ。
死にたくないのに生きたくない子達って。
あ、“この子”の場合、話しかけてきたのは向こうっすよ。
“ぼくを生きて良いから、全て捨てさせて欲しい”んだとさ。
いい加減自覚したらどうなんすか?
ユーキ、捨てられたんすよ?」
憑神とやらの皮肉は差し引いたとして。
きっと事実なのだろう、シオンが同意した事は。
そうでもなきゃ、彼がわざわざ言う必要性がない。
「あと、それからね」
俺の様子を見て、彼の目がやっと微笑う。
「抵抗しない方が楽っすよ。
これでも、ぼく救済の暁幹部っすから。
君が勝つ未来なんてない」
「救済の、暁___」
___ああ、そういうことか。
俺の中で、簡単に腑に落ちることがあった。
鉢合わせした“見張り”の夢喰い。
あれはきっと彼の計らいだ。
現在地を救済の暁に知らせつつ、部下を殺すことで俺に仲間だと信じさせる___その為の。
……ダメだ。
騙されていたんだ、ずっと。
手中で踊らされていた。
俺は鎖を放つ。
だが、それはシオンが槍を軽く回すくらいでいなされた。
___夢術:予
彼は今、どのくらいの未来が見えているのだろう。
シオンと違って、夢術へのトラウマがない彼は___どこまでも、その力を使える。
どこまでも未来が読めて、どこまでも攻撃を避けれるなら。
……きっと、そこに俺の勝ちはない。
そもそも、なんでシオンは___
「ねぇ、ユーキ」
唐突に斬撃の手を止めて、彼は言った。
俺の思考を乱すように、俺の手を止めさせるように。
シオンの声で、顔で。
「ぼくね、自分が死ぬ予知___してるんすよ」
「………は?」
唐突な告白。
俺は目を見開く。
理解できなかった。
理解しようとも___思えなかった。
___シオンが、自分の死の予知を___?
「そう遠くない未来、ぼくは死ぬ。
すごく怖い……怖くて怖くてたまらないんすよ。
もういっそ、早く死んでしまいたい。
あぁでも、それでも生きていたい。
……だけど、どうやっても結局ぼくは予知通りに死ななきゃいけないんすよ」
不安に顔を歪める彼は、俺の見たことがないような彼。
……だけど、それは確かにシオンの代弁だった。
「でも、ぼくはそれをユーキに言わなかった___言えなかった」
かつかつと、彼は俺のそばに歩いてくる。
「……来、るな……」
思わず後ずさった俺を止めるように、彼の手が頬に添えられた。
優しく、緩慢な手つき。
「お互い様っすよね。
ぼくは伝えなかったし、ユーキは知ろうとしなかった」
俺を覗き込んだその目に___動けなくなってしまう。
だってそれは___それは、シオンの目だったから。
彼の唇が、嗤うように動いた。
「___でもそれって、相棒って言えるんすか?」
61話に続く。
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