第60話 私にできる愛なんです 前編

第60話



「何、を___」



彼女は、僕に目を見開いて見せた。


「何をして___るん、ですか___」


焼け爛れる___僕の、桜坂風磨の左手。


それでも、僕は矢を離さない。


「僕を殺すなら、殺してみてくださいよ。

貴方が救済の暁だっていうなら___撃ってください」


その矢の先を、僕は自らの額に向ける。


夢喰いになる心配もなく……かつ、一番確実に致命傷となる、脳に。


……これで、いいはずなんだ。


彼女が、僕を撃てるというなら___もう僕らの仲間ですらないなら___それが、僕の終わりだ。


せめて、死ぬのなら信じたままで死にたいんだ。


それに___僕には彼女が僕を確証があったから。


「玲衣さんの実力なら___きっと、矢は間違いなく外れません。

しようとすれば、僕を撃ち抜くことなんて簡単です」


僕はポツリと言う。


彼女の射撃のスキルは、僕がこの目で確かめてきた。

何度も一緒に戦ってきて___それを、僕は知っている。


実際、今の僕もかなり深手だった。


「___でも」


僕は矢を握りしめる。


「でも、貴方は


肩に、脚に、腕に___


僕の怪我は、深手ではあるものの、一発で死ぬような代物ではない。


むしろ、応急処置さえすれば、簡単に止血できるような___


「……そんな訳、ないじゃないですか」


彼女は俯いて、小さく答えた。


「わ、たしは………貴方を殺そうとしたんですよ。

私は“環”なんです。

ヨザキ様の手駒です。

彼に救われた者なんです」


そう言う彼女は苦しそうだった。

手でくしゃり、と髪を握る。


「その……環の記憶を持つ者なんです」


矢を構えたまま、彼女は吐き出すように言葉を継ぐ。


「私は、貴方を殺さなくちゃいけないんです。

もし貴方が私を殺したとして___それでも、きっと___ヨザキには勝てないんです。

分かりきったことなんです。

だから、だから___せめて、私の手で、苦しまないように___」


ポタ、と畳に涙が落ちた。


___苦しまないようにしますから。


その言葉は本心だったのだ。


畳に落ちた涙は、一つ、二つ___見る間に増えていく。


「……でも、駄目だったんです……っ」


光の矢が、仄かに震えた。


僕の手の中で、やがてそれが淡くなって消える。


後に残ったのは、ただ泣きじゃくる少女だけだった。


「風磨くんを、手に掛けるだなんて……で、出来るわけなかったんです……っ」


そう言った彼女は、躊躇なくその身を投げ出した。


バッ、と僕の方に倒れてくる。


「え……ちょ……っ!?」


僕は慌ててその身体を支えた。


抱き止めるというには、あまりに不恰好で慌ただしいけれど。


彼女は、僕の腕の中で泣きじゃくる。

声を上げて、涙を零していった。


「自分でも分からなくなっちゃったんです。

私は、“救済の暁”なのに、“環”なのに。

もう…戻れっこないのに……!

……それでも、どうしても桜庭見廻隊の隊員でいたいって、思っちゃうんです……!

風磨くんや他のみんなとの思い出が___邪魔、するんです……っ!」


彼女の手が、ぎゅっと僕の服を掴んだ。


「私は___神奈月玲衣、でいたかったんです」


その言葉に、僕はそっと息をつく。


___過去のことを思い出してなお、救済の暁であってもなお___それでも、彼女は僕達との繋がりを絶たなかった。


だからこそ、やっと手繰り寄せられた糸。


僕は彼女の背中に手を回す。


少し頼りないその背中を、ぎゅっと抱きしめた。


「……玲衣さんが玲衣さんだってこと、玲衣さんが否定しても___僕が肯定し続けます。

玲衣さんがそう在りたいのなら、僕がずっと守ります」


抱きしめたその温度は、とても暖かい。


生物じゃない?


人でも夢喰いでもない?


___そんなことはない。


彼女の温度は、彼女の生を証明するように、間違いなくそこにあった。


「ずっ…と……?」


小さなその問いに、僕はゆっくり彼女の身体を離す。


「ずっとです。

だって、僕は玲衣さんのことが___」


玲衣さんの濡れた瞳が、僕の目を射抜く。


今まで散々渋っていたその言葉は、口にして仕舞えば割と陳腐で。


あまりにも安易だった。




「___ずっと、好きだったんです」





その言葉に、彼女の瞳が大きく見開かれる。


___ああ。


代わりに、僕は目を伏せた。


言ってしまった。


伝えてしまった___彼女に、好きだと。


わずかな沈黙が、その場に落ちた。


だがやがて、僕の鼓膜を揺らしたのは___彼女が息をふっと吐き出す音だった。


「……っふふ」


思わず顔を上げる。


僕の目が映したのは___泣き腫らした目で楽しそうに笑う玲衣さんだった。


「風磨くんったら……。

こんなタイミングじゃあ、喜ぶにも喜びきれないじゃないですか…っ」


「や、やっぱり……今じゃ、なかったですよね……」


薄々タイミングを間違えたと思ってはいたけれど……改めて指摘されると恥ずかしいな。


クスクスと笑い続ける彼女は、やがて僕に向かって腕を広げた。


「だから今度は私からです。

___私だって風磨くんのこと、ずっと大好きですよ!」


「……!」


僕は少しだけ躊躇して___彼女の腕の中に飛び込んだ。


「玲衣さん……!」


「___だから」


その瞬間だった。


頭が揺れたような___そんな錯覚がした。


一瞬、思考が追いつけなくなる。


……え?


いや、錯覚じゃない。


僕を射抜いたのは___光の矢。


玲衣さんの、白昼夢だった。


「……っ、え……?」


ドクドクと溢れ出る、赫。


体が、されていた。


心臓はかろうじて避けられているが___それでも、背中から腹につれて、光が貫いている。


口から吐き出された血が、彼女の服を赫く濡らした。


「……これが、私にできる愛なんです」


「玲、衣…さ……」


目の前が暗く染まっていく。


なんで。

どうして。


どうして、玲衣さん……?


「きっと、風磨くんは私のする事を許してくれません。

だから___ごめんなさい、こうするしかないんです」


暗くなっていく意識の中、彼女の声だけが耳に残る。


「私は私の成すべき事をします___だから。

風磨くんも風磨くんの成すべき事を成してください」


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