第59話 君の為の刃を 前編

第59話 



「お前ら、誰ので此処に来た?

救済の暁こっちに内通者がいんのか?」



それが、その夢喰いの第一声だった。


その姿を見た私は___北条詩は、歯を食いしばる。


竹花さんの言う通り、階上に来た私が対峙したのは___静電気を纏った夢喰いだった。


___知っている。


私は、こいつを知っている。


いや……正確に言うと、既に思い出しているんだ。


そう、こいつは___“あの夜”にいた夢喰い、だ。


「……さぁね。

知らない……知ってたとしても教えない」


その怒りを噛み殺すように、私はそう吐き出す。


名前はなんと言ったか___ああ、そうだ。


雷と書いて、“ライ”。


忘れられない、忘れもしない。


___それは、夢喰いの名前だった。


「あっそ」


自分で訊いたことだというのに、夢喰いの返答はひどく呆気ない。


私は無言で銃を構えた。


……無謀なことをしている自覚はあった。


経験が浅い私でも分かる。


こいつは勝てる相手じゃないってことを。

少なくとも、私一人で立ち向かったところで、無駄死にするような相手だということを。


……それでも、銃を向けずにはいられなかった。


自分の歯が立てる音。

怖い___怖くてたまらない。


それでも、照準だけはずらさなかった。


私の中に燃える炎が、私をここから逃げさせなかった。


「死にたくなきゃ、帰れよ。

オレもここより先に通すわけにはいかねェんだ。

お互い大変だな」


「____なんで?」


沸々と湧く怒り。


それが暴発しないように、私は強く唇を噛み締める。


なんで、こいつは飄々とまだ生きているんだ?


私の____私たちの幸せを奪っておきながら。


なんで、そんなに抜かしたことを言えるんだ??


「なんでって、お前ェバカかよ」


夢喰いは、せせら笑う。


「ヨザキ様にしねェと、意味ねェじゃん。

それ以外

しょーじき、お前がここを通ろうが通らねェがどっちだって良いんだよ。

だけど、誰も通すなって言われちったからなァ」


____それが、限界だった。


パァァァァアン____


放った銃弾は、白い閃光に弾かれる。


「ふざ……けんなっ!!!!」


その叫び声は、私のだったか。


認められるため?


ふざけるな。


「そんな事で____そんなふざけた理由で____お兄ちゃんを殺しただなんて!」


ここで熱くなったって仕方ないと、しょうがないと分かってる。


照準が合わない。


手が震える。


嗚咽が、喉から湧き上がって、息を塞いだ。


「幸せを___ぅ、奪ったなんて___」


許せない。


許せない、私は___私が。


北条楓お兄ちゃんを救えなかったのは、私だった。


夢喰いなんてそんなもの。

彼らだって、生きる為に人を食っているんだ。


“救済の暁”に入って、ヨザキに認めてもらって、守ってもらう。


その為に、認めてもらうというのは……至極真っ当だった。


……分かっていた、本当は。


だけど……認めたくなかった。


「ふざけてんのはお互い様だろ?」


ライが立ち上がった。


「___お前ってもしかしてオレに復讐しようと思ってる?

教えてくれよ。

復讐したとしてさァ、何になんの?」


その目は、どこか悲しさすら帯びていた。


「虚しいだろ、そんなこと」


「……虚しくなんて……ない……っ」


私は嘘をついた。


大嘘だ。


虚しい。


本当は、すごく虚しい。


だけど___復讐以外に、私は私を許せないんだ。


ぎゅっと握った銃だけが、私の頼りだった。


今ここで、私は泣き出してしまいそうだった。


「嘘つけ。

だって___オレは認められることが、虚しい」


ライの声が、やけに優しく響く。


「でもな、認められなきゃ、意味なんてねェんだよ。

生きていけねェんだよ。

……だから殺した」


その夢喰いは、私の目の前に立ち塞がった。


「だからさァ」


その影が、私の顔に落ちた。


私は、動けない。


「北条詩。

……“救済の暁”に入る気は無ェか?」


___どうして。


唇だけでつぶやいた。


どうして、私は撃たないのだろう。


どうして、私は拒まないのだろう。


今撃ち殺して仕舞えば良い。

今逃げ出して仕舞えば良い。


それでも私は、その場で動けないままでいる。


「償いにはなんねェだろうけどさ、手伝えることは手伝いてェんだよ。

お前も、夢喰いに殺されるリスクを消せる。

オレも、白昼夢持ちの人間を引っ張りだせた事を認めてもらえる。

……な?

win-winだろ?」


どうして、私は拒まないのだろう?


その答えは。


「オレは、てェんだ、お前を」


それは___きっと。


きっと、“ライ”が、私とお兄ちゃんのことをちゃんと覚えていてくれたからだ。


10年以上前のことを、ずっと忘れないでいてくれたからだ。



彼の言葉には___一つも、嘘はなかったからだ。




* * *



「仁科翠奈___!」


俺は叫んだ。


俺の___仁科凪の、実の姉の名を。


そう、俺は思い出すべきだったんだ。


優希とシオンから「スイ」の名を聞いた時に。

救済の暁の幹部に、そんな名前の夢喰いがいると知った時に。


……それでも思い出さなかったのは、俺が記憶に蓋をしていたからだろう。


唯一生きているはずの「大切な人」が___“救済の暁”の信者だったなんて、信じたくなかったからだ。


記憶の中の彼女は、19歳の時のままだった。


彼女が俺の前から姿を消した、その時のまま。


「……おかえり、凪」


ぎゅっと、彼女は俺を抱きしめた。


「……っ」


息が詰まる。


苦しかったからじゃない。


悲しかったわけでもない。


ただ……ただ。


俺を抱きしめたその手の優しさに、声の暖かさに___その懐かしさに、息が吸えなくなってしまっただけだった。


「おね___翠奈」


やっと肺に入った空気で、どうにか彼女の名前を呼ぶ。


お姉ちゃん。


そう喉まで出かかった。


それでも呼ばなかったのは、俺のなけなしの理性からだった。


……彼女の目の色を、見逃すことはなかったからだ。


その赫い色は、彼女が既に「人でない」ことを表していた。


人でない___殺すべき、怪物であることを。


翠奈は優しく笑って、俺の肩を抱く。


「大きくなったね、こないだはこーーんなにちっちゃかったのに」


「……俺、もう21歳だからな」


「あら、私もう越されちゃったのね」


そう、簡単に___あまりにも簡単に、彼女の言葉に呑まれそうだった。


「だな」


それでも、思わず口が緩んでしまう。


「料理、一人でできてる?

洗濯物は、晴れの日には外に出さなきゃダメなのよ?」


「……分かってるし、出来てる」


「そうよね……もう子供じゃないものね」


子供じゃない、と言う時……彼女は少し寂しそうな目をしていた。


「……ごめんね、一人にさせちゃって。

寂しかったでしょ」


「ちょっとだけな___でも、もう大丈夫だ。

だって___」


久しぶりの何気ない会話。


それがどれだけ幸せかということを、初めて分かった気がしていた。


だけど、それに飲まれてはいけない事を、俺は既にわかっている。


「もう、俺は子供じゃないからな」


俺はそっと手で彼女の肩を突き放す。


ゆっくりと、腰の刀を抜いた。


光る刀身。


「……俺は、仁科凪。

桜庭見廻隊、隊長だ」

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