第56話 狼煙 前編

第56話



これは、賭けだ。


僕は中庭でそう思った。


僕の“考え”は、あまりに無謀な賭けで________勝つ確率なんて0に近しい、そんな賭けだ。


「風磨、大丈夫なのか?」


優希の声が、背後からかけられた。


……彼が心配するのもわかる。


だって____今から、僕は白昼夢を使うのだから。


白昼夢を使って、“夢術エネルギー”にて自己強化をする。

そして、玲衣さんの夢術“癒”の気配を追うのだ。


……本来、僕が追うことの出来る気配は夢喰いだけである。

これが、夢喰いの始祖としての血の____アサギの血の力だとするならば____夢喰い以外の気配が追えないのも納得なのだけれど。


だが、第二の大災害の時……紅さんの夢術が、微かながらに感じられたのだ。


なら____もしかしたら、玲衣さんの夢術だって、追えるかもしれない。


もちろんそれはあくまでも推論に過ぎない。


それに……“癒”の夢術者が身近にいない以上、万が一僕に何かあったとしても……誰も助けられないのだ。


だから、これはあまりに危険な賭け。


「怖いけど……だけど、これが僕にとっての精一杯なんだ」


僕は、笑って返した。


___それ以外の手段がないのだ。

ほんの一縷の望みだって、どんな賭けだって、僕は乗ってやろう。


何かあったら____その時は、みんなを信じよう。


「白昼夢:さくら


足元から浮かび上がる桜の花びら。


渦を巻いて夜空に溶けていくそれを見上げて……そして、僕は瞼を閉じた。


……感じろ。


ほんの少しの揺らぎを。


玲衣さんの夢術の気配ならば覚えている。

あの少し暖かくて、少し不器用な気配は……忘れるはずもない。


忘れられるわけないんだ。


それが例え、僕が殺したいほど憎んだ夢喰いの夢術だとしても。


それが例え、僕らを裏切った者の夢術だとしても。


忘れられるわけないじゃないか。


僕は、意識をゆっくりと広げていく。


いつも通る道を駆け抜けて、海へ、山の方へ。


遠く、遠くへ。


少しずつ僕自身の体力が減っていくのが、確かな疲労として僕に訪れる。


……このままじゃ、倒れるのまでそう長くない。


どこだろう?

彼女は。

救済の暁は。


瞼を閉じた暗闇の中、そのまま消え去りそうになる。


それでも、微かな希望を求めて僕は華を散らしていた。


遠く、遠く____


その時だった。


「……っ!」


遠い樹林の奥____あれは、摩天楼?

そこで、微かに玲衣さんの気配がした。


本当に微かで____気を抜けば通り過ぎてしまうほどに弱く淡い気配。


だけど、それを手放すわけにいかなかった。


だって、それは最後の希望なのだから。


掠れる意識。

無理矢理にでも引き摺り起こし____その糸を辿る。


最後の糸は、まだ繋がれている。

その先を手繰り寄せる寸前____僕の意識はそっと潰えた。


「ごめんなさい」


やけに聞き覚えのある、小さな声を残して。



* * *



「……ごめんなさい」


「何か言ったか____環」


謁見の間での呟きに、ヨザキ様が声をかける。


私はゆるゆると首を振った。


「いいえ、なんでもございません」


……不思議だ、私は何も呟いていないはずなのに。


なぜ、彼は私が呟いたかのように言うんだろう?


なぜ、声帯が震えたのだろう?


ふん、と不機嫌そうに彼は椅子に腰掛ける。


「……環、よく聞け」


「はい」


彼の言葉に、何か真剣なものを悟った私は、正座を直す。


「なんでしょうか、ヨザキ様」


すうっと静かに息を吸った彼は、私に言った。


「お前が何者であろうと____お前は“環”だ。少なくとも、俺にとってはそうだ。

だから、不安がる必要はない」


「……」


私は微笑したまま首を傾げる。


「ヨザキ様、失礼ながら___御言葉の意図が、掴みかねます」


少しの間だけ、沈黙が降りた。


「……ならよい」


だが、その直後、彼は私の言葉に少し安堵したように言う。

それは伝わらないと諦めたような言い方でもあった。


……分からない、ヨザキ様の意図が。


私は、ヨザキ様の従順な人形だ。


それ以外は、考えない。



考えないんだ、感じるべきじゃないんだ、考えちゃいけないんだ、思わないんだ、考えるべきじゃないんだ、感じてはいけないんだ____


だって……。


だって、もう……この世界に、私を救える人はいないのだから____ヨザキ様以外には。


「……環」


もう一度、ヨザキ様の声が私を呼ぶ。


「なんでしょうか?」


「もうすぐ、桜庭見廻隊がこちらに来るだろう。

見張りからそう連絡が来た。

____お前は見廻隊を殺すことができるか?」


どこか意味深に、彼は私を見る。


「ええ、もちろん」


私は、迷いなく答えた。


「ヨザキ様がそう仰せならば、当然です」


だって、私は彼の人形なのだから。

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