第54話 彼女は、生きていた。 後編
カツ、カツ、カツ__
それから12年。
救済の暁の地下牢へと続く階段。
そこに俺は居た。
冷ややかな風のふく階段を、出来るだけ音を立てないように降っていく。
__ここまで来るのに、長かった。
元信者だとはいえ、“あの一件”以降、俺は救済の暁にとってはお尋ね者の身だ。
たった一つの地下牢の場所を突き止めるにも、あまりに時間がかかってしまった。
それでも、やっと。
やっと、たどり着いた。
俺は一つだけ埋まった黒い牢に近づいていく。
暗くて冷たくて……まるで、そこは常夜のよう。
その奥に向かって、俺は声をかけた。
「……環」
反響具合から言って、あまり広くない牢の中。
奥の壁に寄りかかるように身を埋めていた人影が、顔を上げた。
「……」
その焦点は、微妙に合っていない。
「環……。
俺だ、桜坂轍だ」
「……あぁ」
やっと、その焦点が俺で結ばれる。
___かと思ったら、すぐに彼女は目を逸らした。
「恨んでるわよね、私のこと。
当然よね、澪ちゃんも___アサギ様も、全部私のせいなのだし」
……そう、俺は知っていた。
澪を襲った夢喰いは、環であるということ。
澪を殺しきれず、風磨も殺さなかった。
……それが、彼女が今ここに囚われている理由だということ。
恐らく、澪が目覚めない理由は環だ。
彼女が死なないから___食われかけた澪の精神が、目覚めることができない。
できるものならば、今すぐに環を殺して……そして、澪を解放したかった。
「恨んでる」
俺は正直にそう言った。
「恨んでるよ。
正直、今ここで本当は環を殺したいぐらいに。
……だけど、環は……死ぬことすらできない」
彼女が静かに唇を噛んだ。
その夢術は“
深い傷も重い病も奇跡のように治してしまう夢術。
その夢術のせいで、彼女は死ぬことすらできないのだ。
たとえ、彼女自身が死ぬことを望んだとしても。
だからこそ、処刑じゃなくて永遠の幽閉…と言う形でこの地下牢にいるんだろう。
「謝っても許される事じゃない……許されようとも、思わない。
だから___」
彼女が静かにその腰を上げる。
長く幽閉されていたと言うのに___その足取りに迷いはない。
ジャラジャラと鳴く鎖につながれた彼女は、鉄格子のすぐ側まで歩いてきて、しゃがみ込んだ。
「___だから、貴方に任せる。
私をどうするか___どうしたいか」
それは諦めたようにも、どこか安堵しているようにも見えた。
「な……」
彼女のあまりのしおらしさに、俺は目を見開く。
___俺は、救済の暁にとって敵だ。
救済の暁に
だから、もっと敵意が向けられると思っていたのに。
今の彼女は、ただ静かに俺の言葉を待っているのみだった。
俺は、恐る恐る口を開く。
「……なら、決めてほしい。
俺と取引をするか……どうかを」
不思議そうな彼女の目が、こちらを向く。
___これは取引というのが相応しい。
取引という___最も残酷で逃げ場のない約束。
けれども、環を、風磨も澪も___アサギも救うためには、他に方法はない。
「俺の夢術で、環の核を“他の形”に具現化して___壊す」
「……私の、核……を…?」
彼女が静かに復唱した。
___普通の夢喰いは、核を壊せば消滅する。
もし澪の精神が、普通の夢喰いの核に囚われていたのであれば……その夢喰いを殺せば良い。
だけど、環の核は“壊す”ことができない。
ならば……
「核を壊せる形に具現化して、“それ”を壊せば___環は、死ぬことができる。
壊した“それ”は、存在しなかったことになるのだから、問題はないはずだ」
……そして、澪を救える……はずなんだ。
全て机上の空論だ。
核ほどの高エネルギーのものを他のものに具現化するなど、やったことはない。
できたそれが本当に壊れるのかも。
壊れたとして、澪が解放されるかも。
___全て、不確定だ。
「それで、澪ちゃんは救えるの?」
彼女が静かに言った。
俺は思わず目を逸らしてしまう。
「……出来るかどうかは分からない、けど……」
「その可能性があるなら、私は乗るわ」
彼女は俺の目を見た。
「私がどうなっても構わない。
それで、澪ちゃんを救えるのなら__良い」
「な……」
なんで、そんなに簡単に承諾できるのか?
自分で持ちかけた話だが、この取引はあまりに危険すぎる。
___なにしろ、環は“死ぬ”のだ。
その割に、澪を救えるかどうか確実ではない。
それなのに、なぜ___
だが、その言葉を口に出すことはなかった。
彼女は……あまりに安らかに笑っている。
その笑顔は、これ以上俺を踏み込ませてくれはしなさそうだった。
「……本当に、いいのか?
どうなるかは分からなくても…それでも?」
代わりに、俺は彼女に尋ねた。
「……ええ」
彼女は頷き、目を閉じる。
___夢術:
彼女が俺に夢術を使う……俺が最大限の夢術を使えるように。
ならば、俺はそれに応えるだけだろう。
___夢術:
環の胸の辺りが、ぼんやりと赫く光る。
……核だ。
彼女の、潰えることのない命。
……それを、俺は作り替えなくてはいけない。
それでも。
「信じてる。だって貴方は____」
目を瞑った俺に、環の声が響いた。
「___アサギ様が惚れた人だもの」
* * *
「___はぁ…はあ……」
気がついた時には、環はもう牢屋の中で倒れていた。
動かない、反応もない。
当然だ___核が、ないのだから。
だが、その代わりに。
「……っ」
その代わりに、俺の目の前には人形が転がっていた。
あまりに環に酷似した人形と___その手に握られた赫い宝石。
それが……具現した環の核の姿だった。
「成功、した……のか……?」
それに答える人はいない。
だが、目の前に転がる“それ”は、事実として環そのものの様だった。
___あとは、俺が“壊す”だけ。
俺はそっと手を伸ばして、人形の首を両手で掴む。
そして、その首を絞め折ろうとし___
「…っ……ぁっ」
人形が、動いた。
苦しむ様に、身を捩ったのだ。
___人形、じゃない?
俺の手に伝わる体温。
人形にしては生々しすぎる、喉を締める感覚。
それは……あたかも、生きている人間の様だった。
人形の、その目が開く。
「……こ…」
溢れた涙で縁取られたその目の色は___綺麗な黒い色だった。
「殺さ……ない、で……」
辿々しい発音で発せられた言葉に、俺は思わず手を離してしまった。
首から手が離れた瞬間、彼女の身が、地面に落ちる。
苦しそうに咳き込んだ様子は、あまりにも生き生きとしていた。
「……なんで……だ……?」
俺の呟きは、きっと彼女には届いていない。
目の前に居たのは___まさに、人間である環だった。
……そう、か。
俺は静かに悟る。
環の核は、あまりにも強力すぎたのだ。
俺が具現化して良いようなものでは、到底なかったのだ。
目の前の彼女は、きっと、環の在りたかったものなのだろう。
夢喰いじゃなくて、永遠に生きる者じゃなくて……ただ一人の少女として生きたかった、心の奥底に秘められていたであろう、そんな願望。
それは、“
「……ここは、君がいるべき場所じゃない」
気づいた時には、俺は言ってしまっていた。
「……?」
彼女は不思議そうに目を瞬く。
救えなかった。
___俺には、彼女を“殺す”ことは出来なかった。
彼女が“生きている”ことまでを……奪うことは、出来なかった。
「ごめん」
俺は呟いた。
「……どう、しました…?」
何も理解できていない彼女は、俺に尋ねる。
ごめん、救えなかった。
間違えてしまった。
……そして、最後まで間違い続けることは出来なかった。
俺はそっと彼女に、階段を指し示す。
「……行きなさい。
ここは君のいる場所じゃない。
君は……生きるべきだよ____」
俺は、彼女をそう呼んだ。
「___玲衣」
55話に続く。
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