第53話 人と人ならざるものと 後編


「綺麗…」


環が、パッと駆け出した。


アサギ様にお仕えして数年目にあたる、とある日。


彼女が、「行きたいところがある」と言って……俺たちを遠くに連れてきたのだ。


「見てください、アサギ様、轍!

こんなに咲いていますよ!」


環が、はしゃいだ声を上げてくるりと回ってみせる。


……あたかも、本物の年端の行かない少女のように。


アサギ様が連れてきてくださった場所……それは、白い花が一面に咲く花畑だった。


満天の星の下、夜空の黒と花の白。

二色に分かれたそれは地平まで続いていた。


「これは、なんて言う花なんですか?」


そう尋ねた俺に、アサギ様は優しく答えた。


「ノースポール……だったかしら。

綺麗よね。数百年もの間、こうやって人の手が入らずに咲き続けているのよ?

数少ない私の“秘密基地”なの」


「……凄いですね」


そう、彼女は数百年……いや、1000年以上生きてきたのだ。


途方もない悲しみと、苦しみと共に。


俺が目を上げると、環がしゃがみ込んで花冠を作っているのが見えた。


その様子は、普段の(主に俺への)当たりの強さから想像できないほど、あどけない。


「…環も、あんな風にはしゃぐんですね」


「ええ、そうね。

……ねえ、轍。

あの子はね、私たち夢喰いとすら違う存在なのよ」


俺はアサギ様を振り返る。


……どういうことだ?


「環は、夢喰いじゃないんですか?」


彼女は、ほんの少しだけ首を横にふる。


「いいえ、あの子は正真正銘夢喰いよ。

……だけどね。彼女は私たちと違うの。

私たち夢喰いは……核の消滅によって“死ぬ”ことができるでしょ?

だけど、環ちゃんは……“癒”のせいで、核が壊れても修復できてしまう。

つまり、死ぬことすらできないのよ」


ひどく無機質に、でも悲しそうに彼女は言った。


無邪気に花冠を作る少女。


「だからね、轍。

私の夢は_____」


彼女に向けて、アサギ様は冷淡に言い放った。


「___環ちゃんを殺すことだったの」


その言葉は、きっと彼女には届いていない。


だって、環は楽しそうに花を冠に挿しているのだから。


そんな純粋さを___アサギ様は、殺そうとしているのだ。


「アサギ様……」


「なぁに?」


彼女の名を呼んだ俺に、彼女は笑って振り返る。


「……お二人共が幸せになれるように、俺はずっと願ってますから」


環を殺した後、アサギ様はどうなるのだろうか。


……ふと、そう思ってしまったから。


この数年、彼女達と一緒にいて……環が、アサギ様にとって娘のような存在であることは重々承知した。


そんな彼女を殺したら______きっと、アサギ様は苦しんでしまう。


それでも、俺は2人共に幸せになってほしかった。


「駄目よ」

だが、アサギ様は笑う。


「貴方も、幸せにならなくちゃ」


彼女はそう言ってしゃがみ込んだ。


「それに、貴方と出逢って……貴方の優しさに触れて、そんな夢は捨てたわ。

いつか彼女が自ら“死ぬ”ことを望むまで、現実から彼女を遠ざけることにしたの」


ぽそりと、言葉を一つ一つ丁寧に置くように。


彼女は、静かに言った。


再び立ち上がった彼女の手には、白い花が一輪。


恥ずかしがるように、慈しむように。


彼女はその白い手で、俺に花を差し出した。


「___桜坂轍。

私、貴方と一緒にいる覚悟ができたの。

こんな私だけれど、どうか____」


目の前の彼女は、恋をするような目をしていた。


優しく、どこか夢見心地な目を。


……そして、多分。


多分、俺も同じ目をしていた。


___俺は人で、彼女は人外。


喰らわれるものと喰らうもの。


それでも……俺たちには互いが必要だった。

側にいるためになら、きっと二人の差を大きくは思えない。


彼女の声と被せるように、俺は彼女に自分の思いを伝えた。


「「結婚してください」」


かぶさったその言葉に、アサギ様が目を見開く。


数年前のプロポーズもどき。


その時に自分が言った言葉で、自分が彼女のことを大切に思っているのだと理解した。


……だから、俺は自分の言葉で伝えたい。


もしもこの気持ちが彼女と同じならば、俺から言いたい。


「……俺は、最期まで貴方のそばにいる覚悟は出来てます。ずっと前から」


彼女の差し出した花を俺は手に取る。


そして、それを彼女の髪に差した。


白い花が、彼女の赫い目に映えて綺麗だ。


……そういえば、俺は彼女の目を怖いと思ったことだなんて、一度もなかったな。


ふと、そう感じた。


彼女の目の赫は血の色じゃない。


___夕焼けの湖面の赫だ。


誰よりも優しくて脆い、彼女だけの色だ。


「……ふふ…っ」


アサギ様が、いつものように笑った。


「なら、轍。

私に敬語は使わないようにしなくちゃね。

“夫婦”になるのなら」


「あ……そ…そうですね…っ、じゃなくて!

そうだね_____アサギ」


名前を呼ばれた彼女は、くすぐったそうに笑い声をあげる。


“様”をつけないで呼ぶのが、こんなにこそばゆいことだなんて。


……そう、それだけ。


それだけのことが、こんなに嬉しいなんて。


俺は、そっと彼女の手をとり_____そして、その手の甲に優しく口づけをした。











健やかなる時も、病める時も。


いつか終わるその日まで________

愛することを、誓います。








54話に続く。

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