第53話 人と人ならざるものと 前編
第53話
「ふぅん……なるほどね」
ヨザキ様から預かった手紙を、彼女は指先でなぞる。
___細いな。
本当に1000年も生きてきた存在だとは思えないほど……彼女の指は白く細かった。
「大体の要件は掴めたわ。
お遣いご苦労様」
アサギ様のゆるい微笑みで、俺はとりあえずほっと一息をつく。
ごたごたはあったが……一応、仕事はこなせたようだ。
「も、勿体ないお言葉です……」
思わず姿勢を正した俺に、彼女はこちらに手紙を見せる。
「でも、見て。
ほとんどが時候の挨拶なのよぉ。
要点だけ書いてたら、もうちょっと読みやすいのにね」
ころころと高く笑う彼女の言う通り、たしかに便箋は小さな文字で埋め尽くされていた。
「あ…あはは…」
これ、肯定したらヨザキ様に失礼だし、否定したらアサギ様に失礼なのでは……?
結局俺は、どっちつかずの苦笑を漏らすしかなかった。
……そもそも、なぜこの方は俺なんかに手紙の内容を教えてくれているんだろう。
普通、教祖の手紙なんて門外不出レベルじゃあないのか?
さらに、俺の背後には環が仁王立ち。
……そしてなぜ、この夢喰いは俺にこんな殺意丸出しの目を向けてるんだろう。
警戒心なのか?
警戒心にしては___あまりに殺意が高い気がしないでもないが。
そうこう悶々としていた為、俺の頭上に手が伸びていたのに気がつかなかった。
ぽん、と唐突に頭を撫でられる。
「ひぇ……っ!?
あ、アサギ様……ぁ!?」
突然撫でられて、驚かないわけがない。
俺はその場で盛大に肩を震わせた。
だが、当の撫でた本人であるアサギ様は嬉しそうだ。
「うんうん、持病の方も大丈夫そうねぇ。
環ちゃん、流石だわ」
「……これくらい造作もないことです」
アサギ様のお褒めの言葉に、とろけそうなほど甘えた声で答える環。
どこか自慢げな環に対して、俺は目を白黒させた。
___持病の方も大丈夫?
俺の心中を読んでか読までか……アサギ様がゆっくりと言う。
「環ちゃんの夢術は“
___ヨザキの手紙に、貴方の面倒を見て欲しいって書いてあったわ。
多分、持病のことも分かった上で遣いを頼んだのね」
「え……っと……それってつまり…」
俺は思わず自分の胸元を握っていた。
___とうに医者に諦められた、この心臓は……。
「……治したわ、その心臓も肺も。
だから、もう死ぬだなんて考えなくていい」
環がアサギ様の背後から俺を覗き込む。
その目は冷たいようで……ほんの少し、心配気に見えた。
「倒れた後、凄く苦しそうだった。
死にたくないって何度も連呼してて、見苦しかったし」
俺はそれに返す言葉がない。
___自分では、諦めていたつもりだった。
先が長くないことも、一生救われないかもしれないことも。
それでも……実際はこんなに。
「あらぁ、環ちゃんダメよ?
人の子を泣かしたら」
アサギ様のおどけた声で、自分が泣いていることに気がつく。
死なないという事実で、その事実だけで……良かった。
俺は、救われた。
* * *
「さて、報告しろ」
彼の声は、威厳に溢れていた。
ヨザキ様の謁見の間。
報告の為にそこを訪れた俺は、前ほど緊張することはなかった。
俺は頭を下げて言う。
「手紙はアサギ様に無事お渡しできました。
アサギ様からは任せておけとのご返事です。
あと、それから___」
俺は、そっと息を吸った。
こんなことを言うのはきっと出しゃばりだけど……それでも、思わず声に出してしまった。
「___それから、本当に優しいことがわかりました。
アサギ様も、ヨザキ様も」
俺が手紙を届ける任務を仰せ仕った時、俺は自分の夢術が見込まれたのだと自惚れていた。
……でも、それが勘違いだったことが、手紙からわかった。
ヨザキ様は、俺の持病を知って___アサギ様と環の元に送り出してくれたのだ。
俺の言葉を聞いて、一瞬だけヨザキ様が目を見開く。
だが、すぐに彼は息を吐きすてるように笑った。
「…お前は、どこか勘違いをしている」
どこか安堵したように、彼は宣言する。
「ここを何処だと思っているんだ?
____ここは、救済の暁。
信者は、全員救い出すのが当然だろう」
それが、救済の暁の名前の理由なのだから。
* * *
「…第一隊は、ヨザキの直轄部隊。
私、アサギが隊長を務めるのが、救済の暁第ニ隊よ。環ちゃんはその副隊長なの」
「はい」
第一隊がヨザキ様…第二隊がアサギ様、環……と。
俺は彼女の言葉をメモに書き出す。
ヨザキ様への初めての報告の後、俺は正式に第二隊への編入が決まった。
そのため、今こうしてアサギ様からご説明を受けているのだ。
「これで説明は終わり_____あら、大事なことを言い忘れていたわ」
彼女は両手を合わせた。
明るい笑顔で、彼女は言う。
「第二隊は、人を殺さない部隊なの」
「はい______え?」
メモに書き下ろそうとした俺は、一瞬遅れて動きを止める。
「人を殺さない…って……夢喰いも、ですか?」
夢喰いは夢術に必要なエネルギーを主に人間を殺して喰らうことで得ている。
要するに、俺らが食べ物を食べるのと同じような感覚。
……不殺だなんて、夢喰いにしてみれば死活問題じゃないか。
だが、アサギ様はあたかも当然のように頷いた。
「ええ、そうよ。
人と同じ食物だけを食べていても、最低限の夢術以外を使わなければ、生きていく分には支障は出ないわ。
一応元々は人だもの。
____環ちゃんは、自分の夢術で回復できるから夢術を使っても大丈夫だし」
ふふふ、と彼女は笑いながら説明する。
俺は開いた口が塞がらなかった。
……どうして。
俺は率直に思った。
彼らにとって、人間はエネルギー源である。
それはもう当に分かっているのに。
夢喰いが人間を殺すことへの嫌悪感は、既に捨てたのに。
「…どうして、ですか……?」
本来、俺にこんなことを訊く権利はない。
だけど、どうしても尋ねずにはいられなかったのだ。
どうして彼女達は、人間を庇護しようとするのだろう?
___そんなことをしたって、彼女達には一切の得がないのに。
すると、アサギ様の目が伏せられた。
「…さあ、なんででしょうね?
本当は、人間を食べないと消えない飢餓感だってあるのよ。
夢術を使いたい、っていう衝動だってなくはない。
それでも人間を食べないのは_____もしかしたら、ほんの少しだけ…人の仲間でいたいって気持ちがあるからなのかしらね。
……そんな“逸れもの”ばっかりいるのが、この第二隊だと思ってくれて良いわよ」
もちろん、貴方も変わり者だけどね。
そう言いながら彼女はクスクスと笑う。
「それに……こうしないと、救えないものもあるから」
そう呟いた彼女は少し悲しそうな目をしていた。
何か苦いものを飲んだような、悲しい表情。
その表情に、一瞬俺は目を奪われる。
「あら、貴方は気にしなくていいのよ。
抱えるのは、私“だけ”で十分」
だが、彼女はパッと表情を明るくしてそう言った。
「……駄目です」
俺は思わず口を出してしまう。
…気づいたら言葉が口をついていた、というのが正しいかもしれない。
「駄目ですよ。
アサギ様だけに抱えさせる訳にいかないじゃないですか。
俺だって……一信者にしかすぎないけれど……それでも、アサギ様の隊の一員なんです」
どうにかしたい。
どうにかして、そんな悲しい表情をさせたくない。
それだけだった。
「だからどうか……俺にも、アサギ様の苦しさを背負わせてください」
俺に力なんてないけれど……俺には素敵な夢術だなんてないけれど。
「……こんなの、自分勝手だって分かってますけど……」
だけど、彼女が俺を“救済”してくれたのだから……俺は。
「アサギ様を、俺の一生を懸けて救いたいんです!」
できることだなんてないけれど、それでも俺が側にいることでもしも彼女の何かを変えられるなら___
だが、その直後。
「いっっっっだぁぁぁ!!??」
鉄拳が俺の頭を直撃する。
遠慮も加減もへったくれもない、本気の一撃。
振り返ると、環がキョトンとした表情で立っていた____その手を、硬く握りしめて。
その目は大きく見開かれていて……怒りというより、混乱して思わず殴ってしまった……といったように見えた。
「……今、貴方が何言ったか…分かってる?」
彼女が、その表情のまま言う。
その声が震えていた。
「……え?」
キョトンとした俺に、彼女は告ぐ。
「プ…プロポーズ……」
……“俺の一生を懸けて守りたい”。
今しがた自分が言った言葉が、脳を掠めた。
「…え…あ……いや……その…」
自分の頭の先まで赤くなっていくのが分かる。
背後から聞こえたのは、抑えきれられずに漏れるアサギ様の笑い声。
「ちが……っ、違うんです、アサギ様!
俺は別にプロポーズとか……そ、そういうことじゃ……!」
「ふふふふ……良いのよ、若いって素晴らしいわ……ふふ…っ…ふふふ…」
「わ……笑わないでください…!!??」
俺の叫び声は、虚空に響いた。
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