第51話 夜を轢く 後編


「……っ」


静かに微笑んだ彼に___あまりにも、あまりにも懐かしさを覚えて。


「お___お父、さん___?」


刀が床に落ちて、消える。


言葉になったことで、微かな温もりが蘇った。


……そういえば、僕にも自分の父親を呼んでいた時期があったのだ。


あまりに昔のことすぎて___あまりに毎日に押しつぶされて___忘れてしまっていたけれど。


「昨日、わだちさんが僕らを助けてくれたんですよ」


晶くんの微笑。


桜坂轍おうさか わだち

それがお父さんの本名だった。


「……助けるって言っても、2人を連れて逃げることで精一杯だったけどね」


彼の言葉に、僕は笑うべきだったのだろう。


___だけど。


だけど、笑えないよ。


「なん、で……」


僕は唇を噛む。


笑えない。


「感動の再会」だなんて___出来っこなかった。


「なんで…なんで、どうしてもっと早く来てくれなかったんだ」


その言葉に、轍さんが息を呑む。


場に落ちる、静寂。


少しの間ののちに、晶くんが静かに言った。


「…僕、少し席を外しますね」


彼が音を立てないように部屋から出て行く。


……あぁ、そうだ。


彼が踏んで行った縁側は、夢で出てきた。


お母さんが座っていて、僕が駆け寄った…あの縁側。


それに、そこから見える桜の木。


あの木で、僕は遊んでいたじゃないか。


お父さんによく高い高いしてもらったのも、今なら思い出せる。


「……なんで、もっと早く来てくれなかったんだ」


僕は繰り返した。


こんなこと言っても仕方ないことだって分かってる。


だけど……だけど、言わずにはいられなかった。


「もっと早く来てくれたなら……一緒にいれたなら……!

澪は……澪は、救えたかもしれないのに……」


そして、僕が今こうして戦うこともなかったのに。


見廻隊に出会えたことは、本当に良かった。


そこに後悔はない。


……だけど。


「ぼ…僕は…っ!」


僕は、いらなかった。


夢喰いの始祖の子?夢術?白昼夢?


……そんなもの、いらなかった。


「僕はただ…!」


そんなものじゃなくて、僕は。


「ただ、僕は普通にあなた達と…家族と…暮らしたかった…!」


それだけなんだ。


幸せとか、そんな大層なものじゃなくていいから。


僕は……ただ、平穏に暮らしたかったんだ。


僕は拳を握りしめる。


強く、痛いほどに強く。


じゃないと、泣き出してしまいそうだった。


……澪を救うまで、涙を封印してきたのに。


泣いたってどうにもならないから、泣かないようにしてきたのに。


「っ___

それだけ……なのに……」


「……ごめん」


僕の言葉は、彼の腕に遮られた。


抱きついてきた彼は___僕に、優しく言う。


「寂しい思いをさせて、ごめん。

守ってやれなくて、ごめん。

ごめんね___一緒に居られなくて」


ああ、そうだ……そうなんだ、僕は。


「……っ……うぅ……」


こうやって、抱きしめられたかったんだ。


その温度で、その言葉で___ただ、優しさで抱きしめられたかった。


「お父さん………」


視界が滲む。


涙が溢れそうになって、僕は唇を噛んだ。


お父さんの声が、優しく響く。


「……今は、泣いていいんだよ。

風磨」


もう限界だった。


___十年間。


その時間溜め込み続けた思いは、もう溜めきれない所まで来てしまっていたんだ。


「うわぁぁぁん___」


僕が考えていたよりもずっと簡単に、涙は溢れ出てしまったのだった。





「どうっっっっっっか忘れて下さいっっっ!!!!」


晶君の差し出してくれた熱いお茶を前に、僕は盛大に頭を畳に打ちつけた。


僕の言葉に、彼がお盆を抱えたまま柔く笑う。


「風磨さん、泣くことは恥ずかしいことじゃないんですよ。

ただ風磨さんにとってが久しぶりすぎて、ちょっと恥ずかしく感じてるだけですから」


その言葉と共に、お茶を差し出される。


彼が一生懸命に僕のフォローをしようとしてるのが、余計に僕の羞恥心をくすぐっていた。

 「うう……」


僕はどうにかお茶を受け取り、口をつけた。


心地よい温かさと、ほんの少しの苦味。


それのおかげで、僕は少しだけ冷静さを取り戻していった。


「轍さん、すごかったんですよ」


お盆を置いて、晶くんが言う。


「風磨さんを背中に背負って、僕の手を掴んで。

それで、気がついたらくねくねが消えてるんですもん」


…びっくりしました。


彼は楽しそうにそう言いながら、腰を下ろす。


「…念のため、僕もついてきたんですけど…見た様子じゃ、僕の心配は杞憂だったみたいですね」


「うん」


僕は湯呑みを手で包み込んだ。


「でも、晶くんがついてきてくれて……本当に良かった」


布団で目が覚めたとき。


あの時、晶くんがいなかったら?

一人だったら?


……きっと、僕はもっと取り乱していた。


「…だから、ありがとう。

本当に助かった」


僕の言葉に、晶くんが目を見開く。


「……」


数秒の謎の沈黙。


それから、彼はお父さんの方にくるりと向いた。


「轍さぁん、この人優しすぎません?

逆に心配なんですが…」


「夢喰い狩りを始める前は、ずっとそんな調子だったよ」


お父さんがお盆に茶菓子を乗せてきながら、笑う。


「……側にはいれなかったけど、時々遠くから見てたからね。

それに、環のこともあったし」


彼はそっと煎餅の袋を破った。


たまき……」


僕は湯呑みを持つ手を下ろす。


……そうだ。


お父さんは……桜坂轍は、知っているのか。


たまき」という、玲衣さんと繋がる少女を。


その、夢喰いを。


コトリと湯呑みを置いた音で、彼が目を上げる。


その目線が、交わった。


「お父さん」


僕は彼に問う。


「……環、って…何者ですか?

神奈月玲衣は、誰なんですか?」


自分の声が微かに震えたのがわかった。


……怖い、知るのが。


だって、その答えは僕の中で形を今成そうとしているから。


それが形になってしまうのが……限りなく怖いから。


お父さんが、目を伏せた。


スッ、と息を吸う音が聞こえる。


その直後、たった一言が僕の鼓膜を揺らした。


「____いない」


……え?


僕は、耳を疑う。


だってそれは、あまりにも不可解で……あまりにも、答えにならなくて……そして、残酷だったから。


だが、彼はもう一度繰り返した。


はっきりと、確かに。


「いない。

神奈月玲衣は、存在するはずのない存在だよ」



彼の目が、少しだけ冷たく光った気がした。

煎餅がパキン、と二つに割れる。


「……神奈月玲衣は、環という夢喰いから生まれた____だ」




52話に続く。

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