第51話 夜を轢く 前編

第51話



「……またね、か」


階段を駆け下りていく先輩の背中に___聞こえないように呟く。


ぼく、シオンは少しだけ唇の端を吊り上げた。


ぼくがっていうだなんて、あまりに皮肉だな。


「___うん、見廻隊の人。

でももう帰った」


そんなことを思いながら、ぼくは言う。


正確に言うと___階段の背後にいるモノに向かって、答えを発した。


そのが何者か___それが人でないことも、ぼくらにとっての本来の“敵”であることも理解していた。


それでも……いやだからこそ、ぼくは言葉を投げる。


「それで、ちゃんと約束は果たしてくれるんだよね」


帰ってきた答えに、ぼくは小さくため息をついた。


「そう、ならいいんだけど」


ぼくは階段を登り始める。


“そのモノ”には名前があった。


なんと言ったか___ああ、そうだ。


憑神つくがみ”。

そう名乗っていたっけ。


「何度も言ってるけど___ぼくは、“生きる”こと以上の何のリターンも望まない。

求めることはそれだけ」


そう、それだけなんだ。


ぼくの脳裏は、血で溢れていた。

まごうことなき、ぼくの血。

___だけどそれは、本当の血じゃない。


いつか間違えなく訪れる、“予知”通りの死……その、血だ。


もし、それさえ避けられると言うならば___


「もう死ぬくらい、どうだって構わないよ」




* * *



「……やっぱり、言いすぎた」


凪さんの苦々しい呟きは、リビングの方から聞こえてきた。


俺___竹花優希は、足を止める。


凪さん、一階に居たんだ。


暗い廊下を壁沿いに進み、階段に足をかける。


音を立てないように、気づかれないように。


「俺は、“見廻隊の隊長”として為すべきことを為すべきだ。

……だけど、風磨の言葉も……間違っていないんだろう」


彼の呟きは、誰に向けられているでもなく……夜の静寂に溶ける。


___そう思った。


「お前はどう考えたか、優希」


凪さんの目が、こちらを向いていた。


「あー……気づいてたんですね」


俺がそっと凪さんの近くに行こうとしていたことを。


「まあな、 こんなこと夢喰い狩りしてたら、警戒心が強まっていくのは自然なことだろう」


彼は、ひどく無機質な声で話す。


壁から手を離し、俺は階段を下り切った。


凪さんは、ソファーに腰をかけたままで口を開く。


「抜足で来るだなんて、何か他人に知られたくないような事でもあるのか?」


「……まあ、そんなとこですね」


彼の座るソファーの目の前で、俺は足を止める。


……他人に知られたくないどころか、言いたくもない。


本当は、ずっと……。


「凪さん。

俺、4月になったら___」


だけれども、もう言わなくてはいけないという事が分かるくらいには、俺はいつの間にか大人になっていた。


諦念。


それは、俺が昔からずっと心の中で飼っていた気持ちだった。


諦めなくては、生きてこれなかったから。


俺は、凪さんに___桜庭見廻隊隊長に、言った。


桜庭見廻隊ここを、します」


4月になったら、俺は高校を卒業する。


そして、進学するのは___凪さんのいる、東桜庭大学。


そうなった時、きっと俺は“竹花優希”として隠れ続けることはできなくなってしまう。


……だったら、俺から終わらせなくては。


気まずい沈黙が、あたりに落ちた。


「……そう、か」


小さく、彼が答える。


「……お前の決めたことなら、それでいい。

どちらにしろ、夢喰い狩りなんて血に塗れた道に居たいやつの方が少ないからな」


それは、まるで彼が自分自身を納得させるために吐いたようにも見えた。


「他の隊員には黙ってて欲しいです。

特に、シオンには……」


俺の相棒には。


脱隊してしまえば、シオンとは二度と会うことがないだろう。

きっと、永遠に。


だったら……彼は、知らない方がいい。


勝手なことをした、と俺を恨んでくれれば良い。


嫌って、怒って……それから前に進んで欲しいから。


「優希、ならひとつだけ聞いていいか?」


部屋に戻ろうとした俺に、凪さんが声をかける。


「……はい?」


俺は振り返る。


彼の目は、俺を射抜いていた。


って、誰だ?」


「……」


俺は彼に見えないように拳を握る。


……なんて、今更。


今更、そんな質問をしたって……意味なんて、ないのに。


俺は彼に笑って見せた。


「親戚ですよ」


ああ、まただ。


また、俺は“俺”を殺した。



* * *



僕は、ゆっくりと瞼を上げた。


目の前には……知らない天井。


___こんなとこも、2度目だっけ。


僕___桜坂風磨は、ぼんやりと考えた。


確か、凪さんと戦って___桜庭見廻隊に出会った、あの日。


あの日も、こうやって目を覚まして、「知らない場所だなぁ」と思って。


あれから、随分全てが変わってしまったことに、今更気づく。


笑えなかった僕は、玲衣さんに救われて。


紅さんがいなくなって……でも、詩ちゃんと出会って。


それから……


「っ、玲衣さん…!」


そうだ、こんなことをしている暇はないんだった。


思い出した僕は、思いっきり布団を跳ね上げる。


勢いよく舞い上がった布団は、畳の上に柔らかに落ちた。


……畳?


僕は目を瞬く。


見廻隊の個室は、洋室だ。


だけど、今まで僕が寝かされていたのは、紛れなく畳の上だ。


そう……知らない和室、知らない布団。


……本当に、ここどこだ?


僕は布団の上で辺りを見渡す。


部屋の真ん中で座っていた晶くんと目があった。


彼は、僕を見て目を輝かせる。


「ふ、風磨さん!

ちょっと待っててくださいね!」


慌ただしげに腰を上げた彼は、僕に背を向けた。


「えっ、ちょ……」


僕が止める暇もない。


彼は、バタバタと部屋から駆け出ていった。


縁側を走ってどこかに行ってしまう。


わだちさん、轍さん!」


後には、彼が誰かを呼ぶ声だけが残った。


「えぇ……」


僕は頬を掻いた。


もちろん、彼が元気なのは凄く良いことなのだけれど___


問題は、彼が呼んだ「誰か」さんだった。


数十秒後に部屋に戻ってきた晶くんが手を引いていたのは、1人の男性。


……誰?


僕は目を瞬いた。


パッと見て、30代位だろうか。

身長は結構小柄な方だ。


だが、それよりも。


「……っ!」


僕は慌てて身を起こす。


身体がズキリと痛んだが、気にする間はない。


夢術:刀


出現したその切っ先を男性に向けて___僕は叫んだ。


「晶くんから離れろ……!」


救済の暁の___黒いローブ。


男性は、それを着ていたのだった。


だが、彼は刀に動じない。


それどころか、どこか安心したように言った。


「……大丈夫、俺は風磨の敵じゃない」


静かに、彼はローブを脱ぐ。


その下の顔に____俺は目を見開いた。


ああ、似ている。


似ている___澪に、僕に。





そして、かつて見た夢の中の“お父さん”に。

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