第49話 左手の夢術 前編

第49話



時を遡り____先程。


「……た……ただいま」


玄関から聞こえてきたのは、詩ちゃんの声。


僕____桜坂風磨は、思わず階段を駆け降りる。


血だらけの彼女の背後に、玲衣さんはいない。


____でも、それよりも。


それよりも僕が息を呑んだのは、ぼたぼたと床に落ちる赫。


玄関でしゃがみ込んだ彼女を、シオンが支えた。


「先輩!?

その怪我…どうしたんすか…!?」


彼女は血だらけの服を握りしめて、虚な目で虚空を見つめる。


「ちょっと待ってろ、救急セット持ってくる!」


キッチンから優希が慌てて奥の部屋に駆け込んでいった。


「奥のベッドまで歩けるっすか?

今、玲衣さんが帰ってきてないから“いやす”はできないっすけど____」


「____知ってる」


シオンの肩を借りて立ち上がった詩ちゃんは、低く呟く。


「え…?」


思わず聞き返した彼に、詩ちゃんは忌々しげに答える。


「神奈月さんが___帰って来てないこと……分かって、ます」


「……どういうことか、説明できるか」


物音に反応して降りて来たのだろう。

階段の上から、凪さんが声をかける。


その言葉に、彼女は拳を握る。


一度、泣き出す寸前のような浅い呼吸をして____それから、一息に言った。


「攻撃……されたんです、神奈月さんに。

____あの人は、ヨザキについて行ったんです」


____それは、その場を凍り付かせるのには十分すぎだった。


玲衣さんが、詩ちゃんに攻撃を?


ヨザキに____救済の暁について行った?


僕の脳裏には、先程邂逅した少女が浮かんでいた。


____環。


彼女が僕に彼女を“殺せ”と言ったのは____こうなることを見据えてだったのか?


「私だって____私だって信じたくない!」


詩ちゃんが、耐えかねたかのように叫ぶ。


苦しげに漏れるのは、嗚咽と血。


「神奈月さんは優しくて………でも、彼女は私に迷いなく攻撃を放ったのは事実で____

もう何もかも信じられないんです……!」


「……先輩、傷が広がります」


全ての感情を押し殺すように、彼女の傷口を押さえたのはシオンだった。


そのまま力が抜けたように奥の部屋に連れていかれる彼女から、小さな啜り泣きが漏れる。


____その様子に、一切の嘘はない。


冗談なんかでも、嘘なんかでもない。


受けた傷よりも、それが仲間だった人につけられたということの方が____ずっと、痛いのだ。


「信じられないな」


小さく吐き出された凪さんの言葉に、僕は同意せざるを得なかった。


* * *




シオンと優希が奥の部屋から出て来たのは____それから十数分後のことだった。


「とりあえず傷はそこまで深くなかったわ。

出血は酷ぇけど、なんとか止まったし____大丈夫、今は寝てる」


優希が少し楽観的に言う。


だが、その手に抱えられた血のついた包帯の量が、ことの重大さを示していた。


「……」


僕はそっと俯く。


“環”のことを、言うべきなのか?

玲衣さんの中に、“夢喰い”が棲んでいたことを……そのことが、おそらく彼女がヨザキについて行った理由であることを。


言ったとして、それでどうなる?


見廻隊のみんなを傷つけるだけで____玲衣さんの居場所を奪うだけじゃないか?


「……例え、それが玲衣だとしても」


凪さんの呟きが、低く響いた。


「玲衣だとしても、に手を出したと言うことは、間違えようのない事実だ。

それは俺達にとって敵であることにあたる」


____それは、隊長としての____隊員を守る立場としての発言。


「だから____」


「だから何ですか」


____神奈月玲衣を殺す。


その言葉は、僕が言わせなかった。


「玲衣さんが敵に回ったって……それが何だって言うんですか。

玲衣さんは、僕らの仲間なんです。

絶対に、殺させなんてしません」


「……風磨、分かるだろ。

仲間んだよ、玲衣は」


彼の考えは分かる。

正しいのは、凪さんの方だ。


家族がなんだ?仲間がなんだ?

敵に回ったのなら、元々がどんな関係だったなんて____関係ない。


それが、夢喰い狩りのあり方だ。


それでも____だめだ。


僕は彼女を“救う”と約束したのだから。


それに____


「凪さんだって____本当は、殺したくない…くせ、に」


僕は、吐き捨てた。


だって、凪さんはずっと____泣きそうだった。


そりゃあそうだ。


玲衣さんを拾って以降____ずっと彼は自分の娘のように、玲衣さんを大事にしていた。


歳がそこまで離れていなくても、彼らは家族のようだったから。


「……っ!」


彼の表情が、歪む。


もう、見ていられなかった。

もう、この場にいたくなかった。


____だから僕は、その場から逃げ出してしまった。


「おい、風磨!」


叫び声を背後に聞きながら、僕は扉を後ろ手に閉める。

そして、脇目も振らずに町の方に駆け出した。


……誰にも分かられなくても、良い。


誰もいなくても、良い。


だけど____誰かが傷つくところは、見たくなかった。



* * *



「家出?」


「あ、ははは……」


まさか玲衣さんが裏切って、晶くんの妹を傷つけただなんて言えず____咄嗟に、「家出」だと言ってしまった。


いや、嘘はついていない……ついていないのだけれど。


「家出……ですか……」


晶くんが僕を見る目はどこか呆れがこもっている。


たしかに…この歳で家出&行くあてがないのは……ちょっと恥ずかしい。

衝動的に飛び出して来てしまった為、お金を持ってくるのも忘れたし。


「……どうしよ……とりあえず、夜が明けるまで何処かで時間潰さないと」


僕は思わず天を仰いだ。

まだまだ夜が明けるまでには時間がある。


すごすごと帰るわけにも行かないし……何しろお金ないからなぁ。


「そ……それなら、ちょっとだけお願いしたいことがあるんですけど」


晶くんが、キラキラとした目を向ける。


「……?」


「どうか僕に……夢術の扱い方を教えて下さい」


彼の言葉に、僕は目を瞬いた。


「夢術の……?」


問い返した僕に、彼は罰が悪そうに左手の甲を擦った。


「____ずっと、秘密にしてきたんです。

、詩には言えませんから」


うっすらとその甲に浮かんでいた____“まもる”の字。


「え____」


そう、に……だ。


それが表す意味を言葉にしようとした、その時____




「やっと見つけたぜ、“丹生にふ”晶」





どこからか、声がした。


「____っ、伏せて!」


僕は晶くんを抱き抱えて地面に伏せる。


そのすぐ上を掠めたのは______


「雷……?」


電気だ。


触れなくても、一瞬痺れるような感覚がした。


続け様に、閃光。


_____夢術:刃


咄嗟に刃を構える。


だが、僕が見たのは、その刃が電流で弾けるところだった。


爆ぜた。


……夢術が実体を成すその前に、電流で壊された。


僕は晶くんを背に立ち上がる。


公園の暗闇の中にいたのは、夢喰いだった。


……それも、そんじょそこらに居ないような、強いエネルギー量の。


ありえないその量に、僕は圧倒される。


……なんなんだ、この夢喰いは?


そもそも夢喰いなのか。


それすら疑問に思わせるエネルギー量。


夢術の巧みな使い方。


「お前は……」


お前は何者だ。


その質問は、発せられる前に答えられた。


らい

救済の暁、第六隊長」


ひどく不機嫌な、自己紹介。


救済の暁_____第六隊長?


僕は刀を出現させ、握りしめた。


「……晶くん、下がってて」


僕は、目の前の夢喰いに勝てる自信がない。


……それくらい、そいつは圧倒的だった。


だったら、せめて晶くんだけでも……。


「嫌、です。

だって……」


晶くんから帰ってきた声は、あまりにも冷たかった。


冷たい?


……いや、違う。


怒りだ。


彼の声に満ちていたのは、深い怒りだった。


「…だって、僕を“丹生にふ”と呼ぶってことは______楓を殺した夢喰いの証だから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る