第48話 私は____じゃない 後編
「思い出したらどうなんだ___
「……ヨザ…キ……」
私は力がうまく入らない足を叱咤して、どうにか立ち上がった。
日は既にくれ、辺りには影が満ちている。
私を嘲笑うかのように立っていたのは、確かにヨザキ____その張本人だった。
黒と青の髪に、血よりも赫い眼。
見間違うわけもない。
夢喰いの、その始祖だ。
彼は、つかつかと私に歩み寄る。
そして、後退りをした私の肩に……迷いもなく、手を置いた。
その動作は存外に優しく、少なくとも今は私を傷つける意思はない。
……そう思えてしまった。
「…ヨザキ、“様”だろ」
「っ…」
彼の赫い目が私を捉える。
今すぐここから逃げたかった。
___だけど、逃げれなかったのは何故だろう。
“影縫い”で動きを封じられているから?
…いや、ヨザキは今……夢術を使用していない。
____逃げれなかったのは、私が逃げることを拒んでいたからだ。
無意識で____でも、確かな意志で私がここに留まる事を望んでしまっていたから。
彼は、ゆっくりと私に語りかける。
「よくやった、環。
お前も白昼夢を使えるようになったんだ____喜ばしい」
____環?
私は、そんな名前じゃない。
私は環じゃない____玲衣だ。
桜庭見廻隊の、神奈月玲衣。
だけれど、自分のどこかでその名前に懐かしさを覚えているのも確かだった。
環は私じゃない____けれど、私でもある。
ヨザキは、私の腕を掴む手を強める。
その目が存外に憂いを帯びていることに___私は気がついてしまった。
「思い出せ____思い出してくれ。
お前の父親から、お前を救ったのは誰なんだ?
お前の使命はなんだ?
___俺の元を去ったのは、何故なんだ?」
「ちが……う」
違うんだ。
初めから____違ったんだ。
私が座敷牢の中に閉じ込められていた時____
そう、父親が倒れてきたんだ。
初めて見るような量のその赫は、未だに鮮明に残っている。
牢の鍵が簡単に壊されて____それで____
……自分の息が、上がっていく。
思い出しちゃいけない。
忘れたままでいなきゃいけない。
それでも、記憶の蓋は少しずつ開いていく。
……この記憶は、いつのもの?
数年前?十数年前?
____否。
もっと前だ。
『……俺と一緒に来い』
そう言葉を吐いたのは……私を明るい世界に連れて行ってくれたのは……そう。
「ヨザキ……さ、ま……」
私の言葉に、彼は安堵を含んだ笑みを見せる。
そして、私の耳元にその顔を近づけた。
「…なぁ、環。
お前の使命はなんだ?
俺は、なんてお前に命令した?」
…そう、思い出した。
私の使命。
私がなぜ“桜庭見廻隊”に入ったか_____
何で忘れていたんだろう?
私は、私は___
「…桜坂、の血、を…根絶やし、にする」
…そのために、生かされたのだ。
___そうだった。
私は、「夢喰い狩り」じゃない。
純粋な…ヨザキ様に従順な、奴隷。
素敵な人形。
そして、「救済の暁」第二隊、隊長。
“
それこそが、私の名前なのに。
「そうだ、環……それがお前の名前だ。
…帰るぞ。お前の居場所に。
居るべき場所に」
ヨザキ様が差し出した手を、もう一度取る。
そして、私は立ち上がった。
ずっと前に、座敷牢から連れ出された____それの再放送のように。
だが、その時だった。
「…神奈月さん!」
叫び声が背後から上がったのは。
「…詩、さん…?」
ヨザキ様を睨む詩ちゃんが、そこに血だらけで立っていた。
彼女は、私を見て言う。
「…神奈月さんを離してください。
彼女は、桜庭見廻隊の隊員です」
その脚は微かに震えている。
夢喰いの始祖の姿を間近に見て、怖いのだろう。
その証拠であるかのように____銃に縋るように、握りしめている。
しかし、それでも彼女は。
…ただ、私を取り返そうと立ち向かっていた。
勝てないと分かっている相手でも、それでも。
するり、と私の手が抜ける。
「詩さん…っ」
私の足は、彼女の方に向かっていた。
詩さんの表情が、ほんの少しだけ安堵に緩む。
…帰ってきてくれたんだ。
彼女の笑顔がそう物語っていた。
でもね、詩さん。
私は、“神奈月玲衣”じゃないんですよ。
「ごめんなさい」
____白昼夢:光
* * *
その数時間後。
「……う………風磨さん?」
「んぁっ!?」
僕____桜坂風磨は飛び起きる。
夜空の下の公園のベンチ。
考え事をしていた内に、眠ってしまっていたらしかった。
声をかけてきた誰かが、くすりと笑う気配がする。
「……風磨さん、こんなところで寝てたら風邪引きますよ」
そう言って笑うのは。
「あ…晶くん」
僕は目を瞬いた。
彼は、僕の横にストンと腰を落とす。
「お久しぶりです____詩の一件以来ですかね」
「だね」
詩ちゃんが桜庭見廻隊に来るきっかけとなった一件。
彼と会うのはそれ以来だった。
「……あれ、でもこんな時間に外で歩いていて、怒られない?」
僕はふと気がつく。
晶くんは、まだ入院中だったはずだ。
面会時間もとうに過ぎたこの時間に出歩いているなんて。
しかし、彼は緩く被りを振った。
「いえ、ちゃんと許可は取りましたし____それに」
彼が自分の手を見下ろした。
「退院、出来ることになったんです」
「……え?」
僕は目を瞬く。
「脳波が安定するようになったらしくて____それで、今退院手続き中なんです。
詩には退院後にサプライズでもしようかと思って、話していませんけど」
……良かった。
彼の言葉に、僕は喜びよりも安堵が押し寄せていた。
今までに、僕は彼の入院着姿しか見てきていない。
白い病院内で、味気ない入院着を纏った彼の姿しか。
でも、これから彼はどこへだって行ける。
詩ちゃんと、一緒にいれるんだ。
「良かった……本当に、良かった」
自分の妹と一緒にいれることの尊さを、僕は知っている。
「はい」
晶くんは照れたように笑う。
「風磨さんも____何か悩んでいることがあったら、僕に言ってくださいね。
僕も力になりたいので」
「……悩み?」
彼の眉尻が、少し下がった。
「風磨さんって顔に出やすいんですよ…意外と」
僕は目を見開く。
____そう、彼のいう通りだ。
確かに悩み事が無いといえば嘘になる。
だからこそこうやって夜中に出歩いているのだから。
____でも言葉にして……認めたく無い。
「……っ」
認めたくなんて、ない。
____玲衣さんが裏切った、だなんてそんなこと。
第49話に続く。
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